日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 90と70で・・ *

2013年02月15日 | 雑感

姉の誕生日であった。

少しばかり姉夫婦で食べるようにと、お菓子を送っていた。
届いたよと電話があった。  声がうわずっていたので「その位で感激せんでもいいよ」と言ったが、お菓子よりも
手紙に感激したようだ。  本当に姉は涙もろい、私以上に。

姉には朝一番、母からおめでとうの電話が入ったようだ。  
これは誰にもであるが同居の息子夫婦にはもちろん娘4人、そしてその旦那さんの誕生日にはおめでとうの電話、
結婚記念日にも必ずかけてきてくれる。
今年89歳になるが、この歳になっても忘れないでいてくれる、きっとカレンダーに書きこんでいるのだと思う、毎年。
感謝なのはもちろんだが、これはひとつの母自慢かも知れない。 

長びいた風邪の菌の影響らしいが、昨年から両耳が聞こえなくなっていた。 兄夫婦とは筆談で話していた。
耳に溜まった水を抜きに毎週、兄夫婦が交替で病院へ連れて行ってくれている。
補聴器がつけられるようになったので、電話で話が出来るようになったと言う。

姉は昨年、二回に渡る膝関節の手術をした。 
自分で歩くことが困難だったが、手術のお陰で杖をつきながら、スーパーへも手押し車で買い物に行けるようになった。
姉を案じ、いつもお仏壇に手を合わせ、祈り続けていた母、5人兄弟の一番上戦前生まれと言う事で苦労をかけたと言う
そんな思いをいつまでも残っている母である。 
母は還暦前に亡くなった父の分まで長生きをしていることの幸せを、いつも口にしている。
姉も身体の事では入退院を繰り返したりしながら、歩けるようになった今、その幸せを沸々と感じている。
そんな親子の話は、きっと有り難いと涙涙だったであろう。

母と2人で言い合ったそうだ。
来年母は6月、90歳の誕生日を迎える。  姉は2月に70歳になる。
最後には、「90と70、2人がお互いに元気でおめでとうが言えるように頑張ろうで」と言い合ったそうだ。

「そうやね、本当にそう、すごいね90と70で元気でおめでとうが言えたら、がんばってよ」
その後、2人で母の事を話した。 それはいつものこと、電話の終わりはいつも父のこと、母の事、
両親への感謝と、そして頑張ろうね!なのだ。

「今からはお互いに、母が目で見せて導いてくれたように夫婦が仲良く、親子も、兄弟も、みんなが仲良くを貫こうね、
兄弟夫婦、みんなが仲がよければ、いずれ私たち亡き後どんな事があってもきっと助けあって乗り越えて行けると思う。
私はそう念じながら少なからず努力をして今を過ごしているのよ」 姉も賛同してくれる。
「妹の分際で偉そうに言ってごめん!」 最後にはまた笑い合う。

世の中では毎日のように、人が人をあがめたニュースを聞く時代になった。
親が子を、子が親を、おじいちゃんが孫を・・孫が・・身内、他人、簡単に・・耳をふさぎたくなる信じられないニュース。
やはり「和」 母が子供の頃から、耳にたこが出来る位言い続けていた言葉「和」 この「和」が欠けたら・・。
父も電話や話の終わりには、いつも「兄弟仲ようにな」で締めくくっていた。

親から子へ、子から孫へ・・親の生き方「和」の生き方を継承して行くことが、親の願いに叶う生き方であろうと思っている。
両親を裏切らないように、子供や孫の前を歩く立場の者として責任を持って生きて行きたい。

「子供には美伝(財産)を残すな、人の道(無形な財産)を残せ」と聞いた事がある。 
残せない者のひがみかも知れないが、それが子供たちの自立へ繋がり努力する親の姿を見せる子供への教育だと思っている。