新しいお弁当箱を買いに行った。
(ラッキー!半額やわ) 、もう一つ買おうかなと思ったが、まいいや今日は。
夫に「もう一つ買っておこうかしら」と言ったら、
「買わんでいい、いらんで」 そう言われてはっとした。
そっか、9月で夫は65歳、いよいよか。 もうお弁当もいらないのか。
結婚したら、毎日お弁当を作ってあげたいと言うのが私の一つの夢だった。
なのに、会社で皆業者さんからのお弁当をとっていた。
正直、がっかりした。
そのうち、会社のお弁当は・・と夫の要望で、家から持って行くことになった。
嬉しかった。 3人目の子供が出来た時はもうさすがに作ってもらえないだろうと会社で言われていたそうだが、作って来た。
そりゃぁ、家のお弁当は好みでないものは入ってないし、家庭の味が詰まっている訳だし、言うことはない。
私も多少は、皆さんの目にもとまると思うと、頑張って作ったし。
後で聞いた話だけど、夫は当時経理をしていた神戸の夫人の業者さんのお弁当と、自分のを交換してあげていたらしい。
お弁当に関しては、昔から母はお弁当を作るのが得意だったかもしれない。 嫌そうにしたことも、言ったこともなかった。
子供たちが一生懸命に勉強するようにとか思い浮かべながらいつも作ると言っていたし、楽しんで作ってくれていた。
料理もおやつ作りも上手だった母のお弁当は、工夫もいっぱいで自慢だったし、特に遠足などは誇らしかった。
そんな母を見てきた精だろうか、私がお弁当づくりが楽しくて好きなのは。
まぁ今頃は、「明日はいらんで」と言う日があると、「楽!」と思ったりしてその時間ゆっくりできて嬉しく思ったりするけれど。
時々楽させてやろうとの配慮や、近くに食べる所がひしめいているし、時には外食もいいと思ったりで、「いらないよ」と言ってくれる。
夕食の時、何種類かのおかずを少しづつ残して、「これみんなお弁当に入れてくれたらいい」と言うこともある。
40年作って来たけれど、「美味しかった」とか「ありがとう」とか言ってもらった事は多分ないかも知れない。
まぁ夫にそんな言葉を求めるのは、酷と言うもの。
その代わり、持って帰った空のお弁当箱を洗う時に「ありがとう」「美味しかった」の言葉が見える。
おかず何を入れたかな? と思うほどに、何の陰形も残っていないのだ。
大げさに言えば、まるでお弁当箱を洗ってくれたかのように、きれいにきれいに食べてくれているのを見ると嬉しい。
それはよその奥さんには言っても、妻にはお世辞も言えない夫の最高の表現の形だと思っている。
あと、どれだけお弁当を作ることが出来るのであろうか。
そう思いながら新しいお弁当箱をキュキュッと洗った。