昨夜来の突風、まるで台風のよう。 西側のマンション建設中の巨大クレーン傾いている・・わざと?
あちこちでは豪雪になっているのでは・・寒い休日、今日は七草。
美味しいもので飽満な胃を休めるにはいい具合の日、ゆかしき日本人の知恵であろう。
JA西条と記されて、生産者名が書いてあった七草セットを次女が買ってきていて、これはセリ、
これがなずなと説明する。 あ・・田舎のあぜ道探せばあったのに(そんな余裕もなかったけれど)
子供の頃からずっと欠かしたことないのに、今日から離乳食を始めるなつめにもちょっと入れよう、
そんなことでやっと興味、自覚。 昨夕来ていた長女など「え? 茹でるん?」ナンタルチア、母は悲しい。
って言うかちゃんと話していなかったのか・・(いたと思うけれど)でも買っていたから、まいっか。
目で楽しむ秋の七草と違って、食する春の七草は覚えやすい。
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろこれぞ七草。
幼い子供の頃から、母と摘んだ七草、話しながら炊いてくれた七草粥。
セイくんと長女が旅行のお土産にくれた輪島塗りの夫婦碗、糸底には私たちの名前が記されてある。
何かことがある時にと、その時期を待っていたが、今日初使い。
休日の朝みんなで頂く七草粥、一年間の無病息災を心に込めながら・・。
◆カランコエ 弁慶草科 カランコエ属 花言葉:幸福を告げる
昨夜帰阪して、夫が風呂からあがった9時頃、次女が携帯のメールに気づいた。
愛ちゃんからだった。 「小腹すいていると思って、ちょっとだけご飯作ったんだけど・・」
車中、次女はカバンに入れていて気づかなかった。
次女が電話を入れたが出なかったのでメールを返し、返事はいいよと締めくくったようだ。
息子が調理師と言う仕事柄真夜中の帰宅、その後食事をするので夕刻から夜の電話は気を遣う。
もし仮眠していたらとか、ひろとを寝かしつけていたら悪いなとか、いつも気にする。
世間が寝ようと言う時間、帰宅する息子の食事をしてくれているだけでも大変だと思うから。
夫の実家や兄弟たちからのお土産や野菜を預かっているので、午後市内の義姉のところへ持参。
愛ちゃんにも声をかけ新年の挨拶方々、私たち次女&なつめと6人で訪問。
息子は二日から仕事だったから、愛ちゃんにはお正月らしくもないだろうからと誘ったのである。
甥っ子も今日まで休み、義姉夫婦もお嫁さんも歓待してくれて賑やかなひと時だった。
間もなく5歳になる子、ひろと、なつめ、子供がいると場が和む。
愛ちゃんも我が家で夕食を、と言うことで一緒に帰宅。
昨夕作ってくれていたのは、煮込みハンバーグだった。 彼女作ハンバーグは初めて。
昨夕帰阪の時間が早ければお土産を届けるはずだったから、ちゃんと用意してくれていたのだ。
しなければしないでなんとも思わないのに、夕食の用意も大変だろうと用意してくれた心遣いが嬉しい。
母から、「気を使うんじゃない、心を使いんさい」 と昔から良く言われた、がこれってむつかしい。
正月を淡路島で過ごした釣り仲間から、はまちやお土産を頂いた。 今夜のご馳走!
京都の八坂神社へお参りに行ったセイくん&長女もタイミング良く間に合い、また賑やかな夕食。
お刺身どっさり、そして愛ちゃん特製のやわらか煮込みのハンバーグ、きのこ入りソースも美味しい。
子供の頃から母は「和」が大事と、食後は必ず冬なら掘りごたつで家族は駄菓子を食べながら、
それぞれの今日の出来事を話し、みんなに聞いてもらったりしたものである。
「和」していると物事が円滑に行くような気がするし、何かあっても「和」の力で切り抜けられそうだ。
反対に「和」が欠けると、人間関係はスムーズに行かず、その和の欠けた隙間から何か忍び寄る、
そんな気がしてしまう。 だから「和」 集まる、食するって大切なことだと思う。
最近、ことあるごとに食事を、我が家にとっては大勢ですることが多くなったが、有難い、
いいことだとこんなことを自分の中で喜んでいる私である。 ひろともうすぐ9ヶ月。
一日目(元旦)
年号が2007年に変わる少し前、私は夫と自転車を走らせUSJの対岸に到着していた。
岸壁には知る人ぞ知る、若者も結構いてその瞬間を見届けようと言う人の声も高い。
ちょうど前を通過するサンタマリア号のアナウンスでいっせいに「5、4、3、2、1!」
同時にUSJから勢い良く花火があがった。 歓声、拍手、そう新しい年の幕開け。
花火を写す海、冷えた空気が敬虔さをよけいに感じさせる。 あ・・年が明けた・・明けた。
あっという間のイベント、さぁ次は! 急いで自転車を走らせる、わが町内の天満宮に。
まだまだ世の中厳しいご時勢、ご縁がありますようにと福銭を授かろうと人の列が絶えない。
どうぞ家族みんなが健康で、平穏な年でありますように・・。 おみくじ・・6番 末吉。
明けてまだどれほども時間が経っていないのに、なぜか境内にいると新しい気持ち、少し興奮する。
このときは、どの顔も笑顔・・笑顔、新年に願いや祈りが満ち満ちて。
座る場所を探した夫が目で合図、差し出した飲みかけの甘酒をすする(やさしいな)
(お父さん今年もよろしくね) もちろん、おいで下さるみなさまも。
お昼には、りんくうのアウトレットへ8時から出向き福袋ゲットしたセイくん、長女、展くんが帰宅。
息子、愛ちゃん、ひろとがちょうど来て「これ私!」「これは展やな」とか、みんなでわいわいお年玉。
全員集合で初挨拶新年を乾杯、お雑煮とおせちで祝う。 本当に想像出来なかったこんなお正月。
その後長女、次女夫婦&なつめ、私たち6名で帰省の途に。 夫の実家に着いたのが四時間後の夕方。
義母には夏にひろとお披露目、今回お披露目のなつめで曾孫3人目。
兄夫婦、弟たち夫婦、姪っ子2人合計15人分の義姉の準備やもてなし大変である。
いつも快く迎えてくれる義兄夫婦、弟たちもみんな仲が良いが台所を預かる義姉が出来ている人だから、
私たちも帰りやすいのだ。 長男の嫁と言うだけで本当に長年お世話になってきた。
姪っ子のお土産は娘たちがするので、私は一番に義姉と義母に衣類をせめてもの気持ちとお土産に。
結婚した時から、母に言われていた。「私にはいいから、お姉さん、お母さんにもちゃんとしなさいよ」と。
二日目
あいにくと雨である。 いつもいつも早起きの義姉が起きる音を聞いて私も起きる。
みんなが起きる前に、台所で立ち話しを聞くのが長年の習慣、何もないことはないはずだから。
お雑煮とおせちで朝食を済ませ、雨の中を義兄や弟夫婦も一緒に義父のお墓参りをする。
小高い所にある墓所、海や造船所が見える。 背後の山は何年か前の大火の跡が生々しい。
手を併せると好きだった父のやさしさを思い出し涙がふわっと込み上げる。享年62歳。
大きな目をきょろきょろしているなつめ(お父さん、なつめの命守ってくれたのですね)
冷たい雨の中で揺れる線香の白い煙がなぜか侘しくみえる。
兄たちと別れてお昼前私の実家へ。 5月は高熱で8月はなつめが生まれたばかりで私は一年ぶり。
料理上手な兄嫁の手料理おせちと掻き揚げののった恒例のお蕎麦を頂く。 これがまたすごく美味しい。
何の気遣いもなく、娘たちがさっさと用意の手伝い片付けをしてくれるので有難い(当然なのだが)
母にはひろとについで二番目の曾孫。 兄の美男の息子たちは今年か来年かな身を固めるのは。
母83歳。 まだ結構元気ではいる。 毎日手芸に明け暮れる。 週一は介護の仕事で家を空ける姉
その分、兄や孫の世話。 それも元気のもとかな。
私の父は58歳で他界したが、それこそその悔い、母にその分元気を届けているのだろうか。
兄嫁が嫁いできたときから、母は30年間、私に兄嫁の愚痴などを一度も言ったことがない。
兄嫁と食事の後、お礼やら何やらで話に花が咲いたのだけれど、すぐに来るであろう姑の話に、
兄嫁は興味や関心を寄せている。
「お母さんは私がすることを、何も文句ひとつ言わなかった、私は息子のお嫁さんにそんな風に
出来る自信がないわ」笑顔で言うその話は、おそらく本当だろうと母を称える気持ちを嬉しく思えた。
私の立場とは少し違うかも知れないが、しばらくはそんな話でしゃべりまくる私たち。
夕食も申し訳ないほど良くしてくれる。 子供たちが小さいときから細やかな心遣いお世話。
本当に頭が下がる。 私はとてもまねが出来ない。 母だっていつも口から出るのは「私は幸せじゃわ」
三日目
幸い雨があがった。 母も一緒にお墓参りに行く。 私の幼稚園だった懐かしきお寺に。
父の墓所からも瀬戸の海が見える、船乗りで後2年で還暦には陸へあがるはずだったのに、
好きなことがいっぱい出来たのに。 世界一好き・・と言っていた父の前まだ泣ける。
叔父の墓も参って後は必ずお寺の下の、年末にみかんを送ってくれた一人暮らしの叔母に会う。
行くと必ず嬉しそうに全員にお抹茶を点ててくれる、最低二服は頂かないといけない、敬意を表して。
三原でガラス工房をしている従兄弟が、帰って行くところだが足止めして話す。
今年一年分の仕事はあるそうだ、全国あちこちへまわるらしい。
行くといつも彼の作品をもらう。 去年はぐい呑み、今回はタンブラー展くん喜ぶ。
毎度実家で同じ場所で記念写真を撮るが、一年一年心に覚悟のような思いもよぎらなくはない。
お昼にはまた夫の実家へ。
三人娘がまだなので還暦を過ぎている義兄は、ひろともそうだが、なつめも可愛くて仕方ない風だ。
五人中男四人、孫がいるのは夫だけなのである。 親孝行かなと子供たちは感謝しないといけない。
あたたかい兄嫁さんのお昼のもてなしの後、丹精の野菜等も積んで帰途につく。
せっかくだからと島を一周ドライブ。 帰省したらやはりこれでしょう。
何気ない、特別でもない海のある風景、前は愛媛県。 子供の頃から眺めてきた瀬戸内のこの景色。
シトラスパークからの眺め。 休園で人気もないその場所がよけいに島らしく懐かしさを増す。
多々羅大橋、見ないで帰ると心残りをしたような気になるがそれだけ知名度が増えたように思う。
画家平山郁夫さんが、いくつも描かれているしまなみ街道。
このたびは天候に恵まれず、これと言った写真が撮れなかった。
しかし、背後に山前に海を控えたこの景色が私には何よりの清涼剤なのだ。
海水浴場サンセットビーチ、今は閑散としている。
夏の賑わいがはるか遠くに聞こえるような気がする、季節はずれの今は。
冬のほうがどちらかと言えば好きな私でも、太陽が照りつけるあの季節が急に懐かしくなる。
島へ帰ると必ず立ち寄る「ドルチェ」 楽天ジェラート部門では売れ筋連続一位だそうである。
私は断然伯方の塩アイス。
慌しく過ぎた三が日、私も同じ女として兄嫁たちには本当に感謝である。
互いに5人兄弟、家族の多さに盆正月大勢を迎える準備、帰った後、目に見えない事も多く。
私たちがいる時は、姉たちは実家に帰れないでいる訳である。
時には姉たちにゆっくりしてもらいたいと、帰省を控えるようにもなったのだが、このたびは、
昨年夏、もしかしたら母子ともに助からなかったかも知れないという、みんなにかけた心配、
「帰らなかったら、曾おばあちゃんに見せなかったら後悔するかも知れないから」そんな次女の思い。
母たちの一年の老いは隠しきれない。 次女の言う通りかも知れない。
義母等は立ったり座ったりも、少し難儀になり、洗濯や掃除も義姉がするようになったそうだ。
「みな世話になるんよ、ようしておくれて有難いことじゃ」義母が言う、弱くなった。
お姉さんたち、いつもいつも快いもてなし有難うございます。 いつも母を見て頂いて感謝です。
2007年の幕開けです、皆さま、新年明けましておめでとうございます。
昨年も本当に多くの方々とご縁をいただき、有難く楽しい感謝のブログ年でした。
いつも感じるのは、出会えたのは決して偶然ではなく必要あって・・必然なのだなぁと言う事です。
皆さまと頂いた尊いご縁がまた今年も、暖かく繋がりあえますように・・。
干支の最後の年『亥』は勢いが良く、勇気と躍進の象徴とされていますね。
昨年色々と乗り越えたことがらを礎に、『和』を大切に、穏やかな一年になりますように努力です。
まだ今年の抱負など深く心に入れてはいないのですが、じっくり考えても見たいと思います。
年齢にふさわしい私になれますよう、皆さまから学び得た事を少しでも身につけられますように。
今年は更新を一日おき位にさせて頂き、昨年訪問叶わず不義理をした分お邪魔させて頂きますね。
皆さまにとりまして輝かしい平和な一年でありますように、本年もどうぞよろしくお願い致します。
◆二十四節気
小寒(5日) この日は寒の入り、これから節分までが寒。 寒さはこれからが本番。
大寒(20日) 一年で一番寒さが厳しい頃。 ここを境に暖かくなる。
◆その他
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