日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 親の思い・・ *

2014年07月10日 | 雑感


沖縄が過去最強クラスの・・とか、まれに見る大型の台風・・何度聞いたであろうか。
ゆっくりと北上する台風、沖縄の様子をTVで見て更に北上へと聞くと、心配なのは息子一家の住む鹿児島である。

新しい住宅のそばは海、高台になっているのだろうが、見たわけではない。
RINEで届く動画や画像を見て、判断している。
鹿児島・・と聞くと今までよりも更に敏感になっているので、台風情報が気になる。

携帯のメールでは、返信がないと見たかどうかは分からないが、アイフォンだと見たら「既読」となるので有難い。
昨夜九時半ごろ送ったが既読にならなかった。 

起きている限り、ネットで鹿児島市のご両親や息子たちの区域の情報をずっと見ていた。
大雨・洪水・暴風・波浪・・・町が台風避難準備区域になっていた。
鹿児島市の避難所がびっしりと掲載されていたが、こんなの見るの初めてだった。

大阪でも三時ころから雨が降りだした。

早朝からずっと情報を見ていたが、朝も鹿児島市、息子一家の区域の警報も続いていた。
六時半既読になったのでRINEでメールを送った。
「学校は昨日お昼までで、今日はお休みです。 昨日から雨と風がすごいですよ~(>_<)でも、家にいたら問題ないです。 
大阪もこれからですね。 気をつけて下さいね☆
「ゆいちゃん、怖がってない?」「大丈夫です。ありがとうござます(^^)/」
なんて有難い。

遠距離では心配してあげることしかできないが、TVの台風情報を見ながら、どんなだろう・・どうしているだろうかと気になる。 
私たちのそんな思い、ご両親も今までずっと同じ思いをしていたんだろうなぁ。 
私たちが近くにいると言えども、やはり子や孫のことを案じ心配しておられたと思う。

今は高齢者であろうと、多くの人が携帯を持っている。 公衆電話の少ない今、どんな場所からも連絡ができ、受けられるし便利な時代だ。
愛ちゃんたちも、ビデオ電話で鹿児島とは良く交信していた。
ご両親は私たちのブログを見てくださっていたので、ひろとやゆいちゃんの成長を目にして下さっていて有難かった。
だから年一、二度の再会でも、昔のように会ったときその容姿、成長ぶりに特別びっくりするほどではないと思うし、
いつも会っていると言う感じが、しないでもないと思っている。

私たちにしても、折に触れ写真や動画がRINEで送られてくるので声も聞けるし今の成長ぶりが見られる。
寂しくなると思っていたが、文明の利器に大いに助けられている。

今まで私たちは子供たちが三人とも近くに住んでいるので、何かと言うと十二人が集まって賑やかに行事をこなしていた。
それは逆に、私たちばかりいい思いをして・・お嫁に出したご両親には申し訳ないとさえ思っていた。

今、ご両親の近くに住まいしているこの事は私たちには安心だし、日常でも孫たちと接することのできるご両親を思うと、
今後のことも合わせきっと嬉しいに違いない・・いいことになると、嬉しく思っている。 

鹿児島へ越してはや百日ほどになった。


* 「そうだ美容院、行こう。」 *

2014年07月09日 | 雑感


一ケ月前にヘアカットしたので伸びてきているし、連日の蒸し暑さ・・メタボで汗かきときている私、もうたまらない。
特に夏のロングヘアの人、本当に尊敬するわ・・いつも思う。 
ショットカットでも一センチ伸びたら、暑い~! 

夫が帰る直前までエアコンは使用しないので、首にはクールネックあるいはタオルを巻いている。
家の中ならタンクトップに太くて短い足に短パンでも、人さまには決して迷惑をかけないが、(急な宅配の人には礼を欠くが)
外へ・・世間へ出るときはそうはいかない。 
一応身支度を整えお化粧もして、人さまに迷惑をかけないようにはしている。 

昔のことだが、目上である友人に、
「あなたは誰の為にお化粧するの? ご主人の為にが一番大事じゃない、世間の人なんて他人には別にすっぴんでもいいじゃない」
そう言われたことがある。
家にいるときすっぴんで、買い物に行くときはちゃんとお化粧する。 
なるほどね、夫は外で若くて美しい人いっぱい見て、家に帰って女房がすっぴんおまけによれよれではね・・そっか、反対じゃん。
と、ある時期までは、朝からお化粧をし夫が帰宅する前には、鏡を見て眉毛と口紅はちゃんと描いていた時期がある。 
不思議にもそれを意識すると、夫を待つ気持ちの中にれれ? うきうき感があったりして、不思議なことに。

時々、部屋の陰に隠れて「わっ!」なんてびっくりさせたりしてた時があったりして。
それも若い頃の話で、もう今更ね。 
いえ、いえ、おばあとしては、今だから大事これからが大事なのでは? 子供も見てるし孫も見てるよ~。

だけどだけど、夏はもうええねん、どう思われようがええねん。
暑いねんから、汗かきやねんから。 
「すごい動いてるんやね、偉いなぁ」
お隣さんから褒め?られるけど、頑張らんかて汗かきやねん、別にええねん夏はぼろぼろでも。 

「そうだ美容院、行こう。」
お化粧して。 

「かけ具合、どのくらいにしますか?」「手櫛でいけるように、ゆるくかけて下さい」って言ったのにぃ~。 
聞かんといてよ、ならば。 
続きはまた。 
ごきげんよう・・さようなら。


* 蝉の声・・ *

2014年07月08日 | 雑感

 
帰宅するなり
「今年初めて蝉の声を聞いたわ」と夫が言った。

公園のそばを通るとき、老眼の私にも見えたのはセミの抜け殻。


年がら年中耳を意識すれば、私にはずっと蝉が鳴いているみたいな・・
みーん みーん みーん。

夏本番への助走が始まった。


* 七夕 *

2014年07月07日 | 行事


木曜、孫たちが晩御飯に来ると言うので、関スパへ買い物に行ったら・・

「本日に限り、お買い物のレシートを見せて頂きますと笹の葉をプレゼントします」とのアナウンス。
毎年お花屋さんで、二百円で買っているのでラッキー!
帰りの自転車置き場で、笑顔のおじいちゃんが
「みんな笹持ってるけど、今日なんかあんの?」
「七日が七夕なので笹飾りをするんですが、お買い物をすると無料でいただけるんです」
「そうなんか」七夕なんぞ無関係って感じだった。

なつめとかんたは、輪っか作り。 かんたは保育園で作っているので得意げに作る。 

結婚した翌年の七月、長女が生まれた。
その翌年から七夕飾りを作り始めた。  
くしくも長女二十二日、長男と次女は二十四日。三人が七月生まれである。
経済的に産んだ。 バースデーケーキは二十二日、ろうそく・・長女がふーっ! 二本とって長男がふーっ! 三本とって次女がふーっ!
だから我が家にとって七月の七夕飾りは、子供たちの誕生日を前にしたお祝い月の、格別な行事だった。

一人、二人、三人・と子供たちが家から離れ自活するようになって、夫と二人になったときも飾りは欠かさなかった。
節分のヒイラギにイワシを・・と同じで、毎年していたことをやめるのは後で後悔しそうな気がして欠かせない。
七夕を前にして娘たちは家に帰ってきて、短冊に願い事を書いて飾って帰った。
こんな夢ある遊び心・・出来ればずっと楽しみたいと思う。

いつしか年月は経ち、今は孫たちとも飾りつけるようになった。
そんな自分の存在を、歳とったと言うか歴史と言うか・・なんだか不思議な気もする。
鹿児島の息子一家の軒下にも、ゆいちゃんが持って帰った笹飾りの短冊が揺れていることだろう。 

なつめが書いた短冊を見たら・・
「家ぞくや友だちを大切にして、みんな仲よくけんこうにくらせますように」
一年生のときはひらがなばかりだったけれど、今年は習った漢字まじりの短冊だった。 
なつめのもう二枚
「ひろととゆいちゃんに 会えますように」
「たなばた おりひめひこぼしが 天の川をのるのにせいこうしますように」

夫は昨年「ゴルフ今年中、85が切れますように」だった。
土曜のゴルフ、85だった。

昨日お昼夫と出かけるとき、玄関に笹飾りを飾ったが、すぐに雨が降りだした。 
ずっと降った雨で、今日は飾りがびっしょり濡れていたが
午後はぱらぱら降ったくらいで、雨はあがった。 
十一時過ぎ屋上へ上がったら、夜空は青く白い雲も見えた。
良かった・・七夕の夜のロマンチックな物語を思うと、晴れているとほっとする。

星・・少しぴか・・ 
田舎で見る夜空に天の川、集まった小さな星たちの川はきれいに見えるが、大阪の明るさでは、はっきり見えない。 
なつめの願い、届いただろうか。


* 雨降ったりやんだり 心も・・そうかも・・ *

2014年07月06日 | 雑感




出かける前に孫たちと作った七夕飾りを玄関に飾った途端に、雨が降って来た。  
飾るの明日でも良かったが、濡れてもまいっか。
運転中、助手席での撮影は危ないですよとまた読者さんに注意されそうだが、注意を受ける前に撮っていた写真なので

神戸の夫人のお見舞いに行く途中雨の中、まるで他国にでもいるような感じのパステル調の街並み、思わずシャッターを切った一枚。 
そう・・・ここは元町。




ベッドから落ち救急で日赤へ入院してから二ヶ月で、今の整形外科病院へ転院し入院中の神戸の夫人。
今日行きますねとは言っていなかったので、行ったら珍しくお昼寝をしていた。
入院は二ヶ月の期限なので十七日の退院が決まっている。
病院からはもう紹介してもらえないし、当面は行ける施設がないので在宅介護になった。 もう自炊も出来ないだろう。 
在宅介護の経験がないので、あれこれと私の中での心配が一気に増えた。
ヘルパーさんのお世話になるのだが、生活していくうえでの様々な事柄。 
食事は・・お風呂は・・洗濯や・・自宅の部屋のベッドの位置や今後の生活のケアな部分。
震災後特に独り暮らしの老人の多い現在、どうにかなるのだろうが我々にそのような知識は皆無に等しい。 

退院時の着替えの用意はしてきた。 
私たちより年が上のたった一人の甥っ子さん、年に一度会うかどうかお付き合いだったので毎週覗いてくれているが、
何しろ男の人、細やかな心遣いなど出来ない、夫がするにしても同じだ。
夫人にしても頼みにくい。 気やすく頼めるものは私しかいないのだ。 
なので見舞って帰るときは手をとってまた来るからと言うが、寂しそうに「来てや、また来てや」と中々手を離さない。
「娘みたいなもんやから」人さまにはそう言っているが・・。

当日からヘルパーさんの手配は頼んであるが、病院生活から一気に一人の夜になる訳で、夫人はとても不安に思っている。
退院の日は夫も快く了解してくれたので、一晩泊まることにしている。
四ヶ月空けた家の片付けもしてあげられるし、一緒にいた方が私も安心だし。

夫の会社の事務員だった夫人、四十年以上のお付き合いでここまで来たらもう成り行きに任せるしかないと夫と話している。
私の中でさせていただこうと快く思えるのは、田舎の夫の・・そして私の実家では同居している兄夫婦たちが、三百六十五日、
母たちのお世話をして下さっている。 夫の母は施設に入ってかれこれ一年近くになるが。
そのご苦労の一端を夫人のお世話をさせていただくことで、少しでも感じることができたら・・と思うからである。
長男に嫁いできたので最初からその気持ちだからとは言って下さるが、核家族で楽をさせてもらった分
(核家族のプラス面、マイナス面はあるが)お世話頂いた、ほんの少しの恩返しになればと。

不安や課題を抱えた帰り道に見えた風景。
西宮・・芦屋浜? 鳴尾浜?
雨関係ないし・・ウィンドサーフィン。

午後はみんなで新梅田シティの七夕イベントへ。