なぜ君は総理大臣になれないのか。
そんな映画が出来たって話。
政治家はなりたいものじゃ無くて、ならなきゃならないものなのだと。
やらざるを得ないのではないかという気持ち。
政治家がバカだとか、政治家を笑っているうちは、絶対にこの国は変わらない。
だって自分たちが選んだ相手だから。
有権者の目は節穴じゃ無い。
目が節穴って何だろう…。ただ開いているというだけで、物を十分に見る役に立っていない目。
利他心信じる。
利他心とは…。他人に利益を与える、自分のことよりも他人の幸福を願う。
そうですな。
特段、別世界の人じゃ無いハズなのに。
政治家になった彼らが離れていったのか、それとも投票しているワタクシどもが丸投げして、その後に何の興味も示さないのか。
街頭インタビューなどでは結構な評論をする人も見掛けますけどね。結局は日常のこととして政治を語らなきゃならんのです。
もう評論家はたくさんだわ、だって何も変わらないんだもの。そもそも評論するネタが無きゃ商売にもならない人たち。
みんながその狭い枠に入り込もうとしたってダメなのさ。愚痴っても結局は自分の暮らしに跳ね返り、ただただ諦めるだけ。そう、物わかりのいい人たちってことでしょうかね。
何も期待しない。
政治に、そして自分自身にも。
この作品の問いかける部分とは。
「なぜ君は~」は極論すれば、この小川さんじゃ無くてもいいのだと。
志があって、世襲でも無く、単に社会を良くしたい人が政治力を発揮する社会。
なぜ私たちはそれを手に入れることが出来ないのか、それを問いかけているのだと。
ううーん、いつまでもふざけた気持ちで生きてちゃいけないなぁ。