歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

厄災は忘れるものなのだ。

2016-09-15 | 日記
「シン・ゴジラ」を見た。

詰まらなかった。

ゴジラはやっぱ、怪獣映画なんだ。

政治家の話じゃないんだ。

どうしてかって?

リアリティにかけてるからだ…?

この映画が現代のお話であれば

誰もが気がつくはずだ。

ゴジラだって?

映画で観てない奴なんていないだろうに…

まあ、其れにしたってあんな政治家はいないだろ

うに。

失墜してしまった政治家の人気を取り戻す為の映

画としか思えない。


生き方より在り方なんだ…

2016-09-06 | 日記
今朝の新聞に書いてあった言葉だ。
書いたのは沢木耕太郎。
某新聞連載小説「春に散る」のあとがきの様なもの。キーウエストから始まったこの小説は老人の一年間を追った物語だった。何かを成す為に生きるのではなく歩き続けるコトに意味があったと老人に言わせることで終わる。誰もが自分が何もかを見つけようと躍起になって歩き進もうとする。それはそれ。いいんだ。でも、少し驕ってる気がする。生まれてきた価値ある人間なんだ。そんな幻想に囚われてしまう。でもね、元々そんな価値なんかあるはずもないんだ。僕は自身には。
例えば偶然にも人の手助けができることがある瞬間にあったとしてもね。過去の積み重ねで今があると人はいうけれど。そんな嘘は、ちょっと立ち止まって考えれば理解できるはずなんだ。かこを創作捏造しながらカッコイイ自分を作り上げてしまうものなんだ。ヘミングウェイがそうだったように都合のいい生き方を演出してしまう。生き方と言う連続性ではなく在り方という瞬間生が年寄りには最も大切なことなんだ。
気付いたからと言ったってどうすることもできやしない。ヘミングウェイのように猟銃を自分の頭に向ける勇気すらない僕にはね。

夏の陽射しか・・・・やっぱり今は夏なんだよね。

2016-07-31 | 日記

昨夜12時過ぎ、ベッドに入るとき少し蒸し暑さを感じた。

窓は開けたままにカーテンをぎりぎり閉めて眠りについた。

すぐには眠れなかったけれど、目の奥が痛んだ。

少し不安になる。

「頭痛」という後遺症。

 

しかし、もう気にしても仕方のないことなんだ。

息苦しいけれど、生きなくちゃあならないんだから。

 

朝陽は誰にも注がれてくるし迷惑であろうがなかろうが

幸せであろうが不幸であろうがお構いなし。

 

そう、幸・不幸なんてその時・場所・心の置き所によってコロコロと猫の目のように変わるんだ。

 

今日のお天気のように、午後から雨降りの予測がその気配さえ見せない。

 

「まあ、こんなものだよ。」

「そう、そんなものよ・・・・・・」

由紀さおりの歌っていた歌にこんな歌詞が出てきたのを思い出した。

題名は思い出せない。

 

誰か知っていたら教えてほしい。

 

今日は散歩に出よう。


まるで他人事のような30日間だった気がするんだけど・・・・目が覚めないかもしれないなぁ~と、ちょっと怖いなぁと思って眠るんだ。

2016-07-28 | 日記

あの手術から一ヶ月あまりが過ぎた。

頭の中には疲労感が鈍よりと内臓脂肪のように横たわっている感じがする。

どうにもこうにもすっきりしない。

 

5年周期。

僕の人生の節目のサイクルだ。

少しは身に染みて自分を責めさいなむタイミングの周期なんだ。

 

もっとも、覚悟だけはできているから・・・・・何かを改めようなどと言う気はさらさらないんだ。

 

無碍もなく君を捨て去ったあの雨の夜以来、そう思っている。

平穏の日々が続くとは思えない。

実際にそうなっている。

 

このまま目が覚めなくてもいいと思った。

確かに・・・・逃げ切れるかな・・・・・しかし、甘かったようだ。

 

僕の罪深さを知らない他人は言う。

まだやらなくちゃいけないことが残ってるんだよ。

だから生かされているんだ・・・。

 

まあ、そんな戯言はお人好しのきれいごと的社交辞令に過ぎない。

 

死ぬときに自覚なんてあるわけない。

そう、気が付いたら死んでた・・・てなもんじゃないの。

ほざけ・・・・この野郎!

随分とひどい言い方だ。

 

誰かに生かされているんだなんて、さも自分が見てきたことのようにいう輩。

そんな人間の言うことなんて信じちゃいけないよ。

 

死ぬときは自覚なんてできないんだ。

自覚できるのは幸せなことなんだ。

 

 

 


好きなんだろう・・・・女が。

2016-07-23 | 日記

「原色の街」を読み直した。

初めて読んだのは17歳ぐらいかな?

いや、東京に出てきてからだったと思う。

新小岩に住んでいたころだった。

「墨東奇談」永井荷風に憧れていた。

退廃の意味も分からず、自堕落に憧れていた。

自堕落に憧れるだけで、落ちる意味も分からずに落ちることをただ恐れていただけなんだろう。

 

そしておしゃれで粋な吉行淳之介に憧れた。

その文章や考え方に・・・・

 

しかし、今読み返して、あの頃、そう、初めて読んだときの感じとは随分と違う印象になってしまったことに驚いた。

あの頃は単なる娼婦小説。この視点からこの世の中を眺め、女は甘くはないのよ!と、そんな叫びしか感じられなかったんだ。

男にとって女は、いつだって何を考え感じているのか謎だらけの生き物だし、

正直に本音はどう思っているのか知りたい。そんなことばかりが頭の中をグルグル廻るばかりだ。

 

吉行淳之介もきっとそうだったんだ。

 

不安に襲われ、考え、妄想し、または思いめぐらし…答えにありつこうとして

つまらないプライドを少し忘れた振りをして女に聞く?

「よかったかい?」

「いった?」とは決して聞けない。

怖いからね。

本気で愛されているかどうか、それがいつも不安の種。

だから研究し掘り下げてある種の行き着いた結論がこの小説なんだろう。

 

女の身体は微妙に育成されていくのだろう。 

身体を開くことがビジネスでも生身の人間。

そんなプロをイカセルことが男とし凄い!そんな気持ちもすこしはあったようななかったような・・・

 

そんな子供じみたことではないんだ。

吉行淳之介は結構マジ。

探究したんだ。

娼婦という職業。セックスが売り・・・いつもいつも本気だと身体がもたない。

でも、彼女たちだって本物の恋がしたいし、幸せにもなりたい。

 

きっとそうに違いない・・・と信じたいがために

小説を書いている。

自分で疑い、仮設をたてては調べては書く・・・繰り返しでしかないのだ。

でも、本当は何もわからない。

不幸なことに、いくらセックスをしても

愛されているんだ!

 

そんな実感が身体と心の芯から湧き上ってこないからなのだろ。

僕にだってわからないんだから。

 

魔物なのだ。