歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

仁義なき戦いは映画のなかの世界ではない・・・・

2018-05-31 | 映画

「孤狼の血」を見た。

ほどほどにつまらなかった。

どうしてか?

権力サイドから撮られた映画ほどつまらないものはないからだ。

権力に抗うモノの姿は哀れで悲しい。

あっちの世界にも権力者はいるし、こちら側にも圧倒的な権力者がいる。

あっちの世界の権力者がこちら側の権力に立ち向かう世界が共感を呼ぶ。

たとえ、こっち側の権力に立ち向かうこちら側の人間を描いて見せたとて

見ているものは喜ばない。

それは、世界は何も変わらない・・・そんな結論を見ている人間が感じてしまうからだ。

日本がかなりヤバイ状況を迎えている。そんな状況にも関わらず、何が何でも現状維持がいい。

そんなことを感じて生きている僕たちに

立ち止まれ!自分で考えろ!

映画監督の叫びは届かない。

いや、この映画では叫んでいない。ヤクザ映画であるにも関わらずにだ。

 

孤狼の血を受け継ぐものはいるのだろうか?

一匹オオカミではなく・・・・

孤独な心のままに最愛の伴侶を亡くし、子を亡くした狼は

群れ全体を考え精一杯の犠牲を払いながら奮闘し吠え続ける。

いまさら、そんな血など必要とされていないのだろう。

しかし、これは血の話なのだ。

血のつながりはなくとも、共に行動し考えた人間ならば受け継がれていく“血”なのだ。

そう信じたい。

 

 

 


何もかも思い通りにならぬ。であれば…

2018-05-30 | 映画
ドキュメンタリー映画「MIFUNE」をみた。
黒澤映画を価値あるものに仕立て上げた。
黒澤明は三船敏郎に演技注文をしなかったとこの映画では言っている。だとすれば、実に楽な映画作りが出来たわけだ。人を導くのには巧妙さが必要だからだ。それ以外のことは怒鳴り散らしてさえいれば周りのスタッフが整えてくれる。暴君であればあるほど映画の完成度は高まる。ディテールが全てだからだ。しかしながら、人はそうはいかない。手取り足取り伝えようとすればするほど乖離していく。どこかで妥協しなくてはならなくなる。出来ないものは出来ないからだ。
三船敏郎はだいこん役者だと思う。おおよそ演技などしてなかった。素のままで動き喋った。それが黒澤明のイメージとドンピシャだったんだろう。なんと素晴らしいふたりだったのだろう。

スポーツマンシップってなんなんだろう・・・

2018-05-28 | その他

中学生になって陸上部に入った。

来る日も来る日も走り続けた。練習が単調だったから二年生がいなかった。

三年生が厳しかった。しかし、ヒトキワ厳しい三年生が卒業する時に言った。

「お前がキャプテンになれ!」

顧問の先生は〇〇だと紹介もしてくれなかった。

夏の大会がせまっていた。顧問のセンセイの処に行った。

大会に出たいと言った。部員は僕以外に三人いたし、それぞれの力も試してみたかった。

しかし、センセイは言った。

「無理だ・・・お前らじゃダメ!」

その日に陸上部を止めた。

部員たちは怒った。でも僕は止めるのやめなかった。

投げ出した。陸上部を投げ出した。

陸上競技は団体プレイではなかったし、自分のしたいことであれば、自分で努力をしろ!

そう言いたかった。

 

いま後悔している。

個人プレイの競技だけれど陸上部はチームだった。

センセイの放任もそれはそれで意味のある対応だったんだろう。

この歳になると過ぎ去ったコトを無意識に後悔するコトになる。

時間がすぎて、あの時ああしておけば良かったなどと後悔しないために

深く考えもせずに行動してしまう。

そんなことを平気で言う奴は嫌いだ。

どっちを選んだとしても後悔はするのだ。

それが人間なのだ。

仮に後悔などしていない。そんなことを平気で口にする奴は・・・無神経なだけなのだ。

たぶん、後悔することになるから思い出すことを止めただけなのだろう。

鈍感さは罪なのだ。

スポーツは自分との闘いなのだ。

格闘技であろうと、タイム競技であろうと、相手は関係ないのだ。

己の肉体的限界にどれだけ立ち向かえるかなのだ。

ルールはルールだ。けれど、ルールを破ったからと言って犯人を捜して訴えたりする輩はスポーツを知らな過ぎる。

けがをした子供の親が訴える。

もう、ここまで来てしまったのだ。日本人の被害者意識は・・・・

 

スポーツには忍耐は最低条件なのだ。

練習は修行なのだ。修行に目的はない。目的が存在すればそれは修行ではない。

スポーツの勝ち負けは。他人が相手ではないのだ。

心の中にいるもう一人の自分に勝てるかどうかなのだ。

それが勝負と言うものなのだ。

 

あまりにも大人の未熟さばかり際立ってしまっている。

 

 


哀しみから抜け出すには…

2018-05-18 | 映画
人は醜く哀れで切ない生き物なのだ。
恨んだり憎んだり馬鹿にしたりするからだ。
やがて我が身に降りかかることを気づきもせずに憎しみに没頭するからなんだろう。人の犯した間違いを笑って受け流すことができない。大きな罪はより大きい償いをさせないと腹の虫が治らないからなのか、ひたすら責め続ける。自分のことを棚に挙げることには才能など要らないかのようだ。「女は二度決断する」を観た。愛する者を失った哀しみは想像を超え憎しみへと変わっていく。憎しみを誰かに向けないと哀しみは消えないかのようだ。忍耐などと言うものは間抜けな人間のすることだと言わんばかりだ。
あまりに理不尽な殺され方をされればそうなるのだ。そして、法的手段での覚悟と復讐での決断。しかもそれを行うのが女性であるという事。この世で最も弱いとされてきた生き物が決断をする。彼女をそこまで追い込んだものは何?そんな問いかけで終始する映画なのだ。殺したモノに代償を支払わせる。己れが気付く前に分からせてやろう。そんな気持ちなのかもしれない。主人公の女性に迷いは出てくる。それは実行できないでいる悔しさかもしれないし罪の意識なのかもしれない。映画では実行するんだ。
余りにも切ない結末に虚脱状態となりそうだった。そして、僕ならどうする?そんな問いかけをしながら、マンデラのことを思い浮かべた。
少し気持ちが落ち着いた。

軟弱な時代なんだろう。

2018-05-01 | その他
軽ぐちも叩けない。
うっかりと失言などしようものなら袋叩きに合う。冗談には程があり、其れを見極めるのも下手な冗談を聞かされた人間の度量を測るいい機会だった。まあ、そんな時代もあったのだ。
ハラスメント。
嫌がらせ。
特にセックス。肉体的欠陥を突いての非難はやめた方がいいに決まってる。もしくは、強要する。
私と寝ないといい仕事は回さない。そんな話ってとこか。そんなことは山ほどあった。そんなお陰でいい仕事にありついて幸せ気分を味わった輩もゴマンといる。フェアなのはそんな誘いがあったとしても断ることができるということなのだ。
強姦ではない。強姦は犯罪だからだ。
嫌がらせは犯罪に繋がることもあり得る。
未然に防ぐのは誘惑に乗らないことなんだ。
そして今。世間が騒ぐセクハラは
無神経なおっさんたちを懲らしめたいだけなんだ。土下座をさせたいだけなんだ。
人が土下座をするところを見るのが気持ちいいかのようだ。しかも、それが嫌な上司だたりすると気持ちが良いと思うんだ。
でも、人が土下座をするところを見るのは気持ちいいなんてことは一切ないのだ。
ただ、恥ずかしいだけなのだ。

無神経な発言には毅然とした言葉で言い返せばいい。自らリスクを背負って戦うだけなのだ。法律だとか弁護士だとか自分の代わりに戦う者を探して戦って貰うなどと言う事に我慢がならない。