歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

そして、目が覚めたら朝陽が昇ったあとだった・・・・

2017-03-26 | 旅行

爽快な目覚めではなかった。

とても厭な夢を見続けていたようだし、昔の女もやたらと登場したし、そのすべてが冷たかった。

 

それは仕方のないことだ。

冷ややかな視線は僕の専売特許だったし、

今更、悔い改めると言ったところで、誰も信じはしない。

冷徹な人間は最後まで冷たさの鎧を脱いじゃいけないんだ。

 

小鳥の囀りと、猫の鳴き声。

薄日がダイニングルームに差し込んでいる。

風景はあくまで爽やかで僕はひとしきりあくびをして、たくさんの空気を吸い込んだ。

 

朝食は、いつものそば粉のクレープにベーコン目玉焼きが一個乗っかっている。

ケチャップはかけない。シリアルに野菜を入れて搾りたての牛乳をかける。

豪勢な朝食だった。

 

いつものように午前10時30分にクルマのエンジンをかけた。

 

さて、どちらへ向かうか?

「修善寺」そんな声が聞こえた。

昨夜の雪が嘘みたいに、青空が広がっている。

 

そして、ホテルのそばにある「箱根湿生花園」へ行った。

5日ほど前に冬の休みを終えてOHPENしていた。

でも、花はどこにも咲いていなかった。植木職人と思える人々が忙しそうに木に登ったり苔の手入れをしていた。

なんだか、とても安定した表情をした人たちばかりで嬉しい気分になった。

落ち着いた人の顔を見るのは久しぶりだった。

小一時間の散歩は、寒さが戻った所為か頭痛を引き起こし始めた。

「ヤバイ!」

気が付くのが遅かった。

目の前が暗くなる。呼吸がしんどい。

慌てて、胃袋の中の酸素を掃出し、両手を頭上高く伸ばし、腹を膨らませて酸素を吸入した。

昏倒は避けられた。しかし、目の前は明るくならない。

腹式呼吸を10回続けた段階で、明るくなった。

 

そして、誰もいない駐車場からクルマを出し、修善寺に向かった。

 

 

その宿は、修善寺の温泉街の端っこにあった。

高級料亭風の造りは門構えを立派にしたせいで安っぽく見えた。

宿の前にたむろする下足番の爺さん愛想がいい割には動きが鈍い。

駐車場は宿のすぐ前の砂利を敷き詰めたスペイスなのに案内をしてくれない。

僕を客だと思っていないようだ。

 

宿帳への記入はお部屋で、と、仲居に案内され15畳ほどの部屋に通された。

そして二間ほどの大きなガラス戸の向こうには横に広がった大きな池があった。

驚いたことに能舞台までがあった。

幻想的だ。幽玄の世界を感じた。

狂言は分かりやすく面白いと感じることはあっても能は何も感じなかった。

しかし、この能舞台には怪しげな空気がまとわりついている。

邪悪さと寛容さが渾然一体となったねっとりと僕の身体にまとわりつく気がした。

少しだけ、怖い。

嫌なものを遠ざけるのは当たり前だし、できるだけ近寄らぬように心がけてはいる。

しかし、そんな厭ものに限って惹かれてしまうケースが、ここ最近になって僕に纏わりついている。

哀しみは人の心を曳きつけ、後悔させようとしているのだろう。

 

大浴場に入る気がしなくなって貸切風呂に入った。

胸のザワザワは収まり、夕食の時間まで、一角に設えられたブックギャラリーで写真集を眺めて過ごした。

稲城功一の「中村吉衛門」。

見事な写真集だった。男の色気はコヤツのためにあるようなものなのだ。

 

そして、新玉葱を一個丸ごと食べた。

 

とても、とても旨かった。


旅は1日でも旅だし、3日でも旅なんだ・・・

2017-03-25 | 旅行

幾つかの食い違いが重なると人は疲れを感じてしまう。

たとえようもないすれ違いが、昔から誤解をしている・・・そんな風に思うことだってある。

たぶん、分かってくれてるのだろう・・・

そんな思いばかりが先行して、言葉にしないでおくと、

人はとんでもないことを妄想してしまうものだ。

 

とても簡単なこと。

「ありがとう!」「お疲れ様」「申し訳ない」「おはよう」「お先に・・・」

そんな言葉だけで、「思いやり」は伝わったりする。

 

そんな言葉をなくしてしまう奴もいる。

 

そんな思いをどうしたことか周辺の人間すべてに感じ取ってしまった僕。

旅に出るしかなかった。

 

クルマを走らせたのは午前10時30分きっかり。

意味はないけれど、みんなが仕事を始める頃合いだからかな?

行く先は箱根。仙石原。

一泊2食の温泉料理ホテル。比較的安いが、思いのほかおいしい夕食と朝食を出してくれる。

ポーラ美術館に寄って「ピカソとシャガール展」を観た。

化粧品会社というのは儲かるものだ!この収集財力に圧倒された。

それと、ピカソとシャガールがこんなにも密接な関係だったと気付かされて驚いた。

強烈な仲たがいをしたわけだけれど、親密だったが故なのだ。

第二次世界大戦終了のあとに、愛と平和を謳いあげる二人は、調子に乗りすぎたのだろう。

独占欲120%越えのピカソが、無神経な一言をシャガールに投げつけた。

シャガールは二度とピカソと会おうとはしなかった。

「無邪気さ」という周辺の人たちの評価が、

「無神経」。 そんな評価に変わる瞬間がある。

気を付けたってしょうがない。人の気持ちはガラス細工なのだから・・・・

50点余りの天才画家の作品を見て、ホテルに向かった。

小雪が降り始めた。思いの外、寒さが身に沁み始めた。

 

宿の風呂にに浸かって、6時から夕飯を食べ部屋まで゛の廊下に設えられた書架を眺めこの本を見つけた。

いずれも「月」に関する本だった。

一冊は「月」についての詳細を記してあった。

量と距離。地球との関わり。そして世迷言のような人との関係。

地球唯一の惑星は昔から愛され続けられている。

そして、もう一冊。

月の暦について説明されていた。

太陽暦ではない・・・・

僕の親父は「よく見ろ、観察しろ、試せ、そして動け」

そんなコトを言うだけで、僕の「なぜ?」には答えようとしなかった。

「科学的なことがすべてではない。」

そんなことがこの歳になって初めて理解できるようになった。

 

この2冊の本を斜めに読んで思った。

人間の身体と月の関係は驚くほど密接に関わりあっているんだ。

まだまだ解明できていないことが、この世に溢れている。

だから、素直に月の動きを注視して、心に留めることが大切なような気がしてきた。

そこまで感じ入ったところで、瞼が落ちた。

久しぶりに深い眠りに落ちていきそうな気配があった。

 


騙す奴より騙されるほうがいい・・・そんなことはありえないんじゃないの・・・・。

2017-03-11 | 映画

「お嬢さん」。

このタイトルに騙された。

もちろん映画の概要も読んだ。

騙し騙され大ドンデン返しに期待が膨らんだ。

韓国映画はしばらく見ていなかったし、それに韓国語のトーンが好きだ。

フランス映画と錯覚しそうなセリフの響きが好きなのだ。

しかし、シナリオは貧弱だし盛り上がりはない。

エロスでもなくグロテスクでもない。中途半端ないやらしさ加減が何とも・・・稚拙。

 

物語の舞台は日本軍が韓国を席捲し戦争前夜の混沌とした韓国の底辺。

あえぎ苦しみながらもたくましい詐欺師集団の話。

貴族になりたい田舎者の富豪日本人を騙そうと策を練りすぎる詐欺師とそのパシリの女。

計画は進むが、最後に挫折。

すべてにリアリティはない。

最後のドンデン返しでチャラになるはずがなりようもないドンデン。

 

つまらなかった。

 

ただ唯一面白かったのは、日本人役の俳優たちの日本語のセリフとイントネーション。

特にお嬢さま。

いまの韓国の人々日本への感情がつぶさに感じられた。

 

羨望のまなざしと嫉妬の入り混じった感情。

この映画の監督が意図としたことであれば、大したものだ。

その意味ならば、この映画は喜劇だし、よく作られた喜劇映画だ。

衣装も、セットもすべてが薄っぺらいし、

レズSEXシーンに迫真はない。

どこかおどけていて滑稽なのだ。

喜劇映画としては最高の作品だと思う。

 


世界の終わりが明日だよと言われても、アッツそう!と答えるしかない。

2017-03-10 | 音楽
「たかが世界の終わり」なる映画を観た。
カナダとフランスの合作だ。
だから、台詞は全部フランス語。
だから、ラブロマンス。
と、思ったら大間違い。
自分の死を悟ったら、
ひとはどんなことをするのだろう?
それはこんな行動もあるよ…。
そんなことを描いている。
決して悪い映画じゃないけど現実味に欠ける。
そんなことが気になった。

30歳代で自分の死を意識する人は
殆どいないだろ。
12年間実家に帰らなくて、死ぬ事がわかって、
其れを家族に告げに行く。
そんなお話しなんだけど、
結局言えずに帰ってしまう。
そんな青年。
ホモで劇作家。少し売れはじめてる設定。

家族は主人公がこの家を出る前から
それぞれ、日々のマンネリ化に疲れてる。
だから身内だけには不満をブチまけ
言いたい放題。

言いたいことは解る。でも気持ちは分からない。

其々がそんな気持ち。
家族の絆を描いているよう見える。
だけれど
そうじゃないような気がしてきた。
映画を観ているうちに。

どおしてか?

愛しあっていたったてやっぱり一人は一人。
哀しみや寂しさは、理解しょうもない。
ましてや言葉では埋められない。
身を寄せて、言葉を無くして、
見詰めているしかない。

それでいいのに質問ばかりしてしまう。

ちゃんと相手に向きあって、応えなくちゃ…
そんなコトを観ながら、
何度となく思う。

でも、できないんだ。
でも、それでいい。

それは、主人公だけじゃなく
誰もが心の奥底に抱えてる
哀しみの所為だからなんだ。

この孤独は誰にだって分からない。
神だけが知っている。

そんな歌で、エンディングロールは終わる。