歳が開けて3日過ぎた。
別に変わることはない。
ただ、日増しに頭痛がひどくなるのではないか?
そんな不安ばかりが頭を過る。あんな経験は二度としたくはないからだ。
1週間ばかり家人と二人で過ごした。
面白いTV番組が存在しないことに気付いた。
仕方がないので、家人が撮り溜めた録画ばかり見た。
「クリスマスの約束2016」
「吉田拓郎SONGS」
「ボブ・ディラン~ノー・ディレクション・ホーム前・後」
小田和正の番組は毎度のことだから見てしまった。
しかし、もう彼に創造性はない。
同じく、吉田拓郎の「SONGS」。NHKのドキュメンタリー?番組も見た。
70歳の老人が歌っている。
ただ、歌が好きだから・・・そんな理由だけでTV局はもろ手を挙げて食いつきしゃぶり尽くそうとする。
ほぼ、番組の構成と結末が読めてしまう。
小田和正に至っては己の楽曲に魅力がないことを知り尽くしている。
だから、カバー曲を演奏している。
若かりし頃の至らなさを懺悔するかのような態度。
そんな態度が受けた。悔い改める姿を見るのは共感を呼ぶ。
某TV局のプロデューサーの手腕によるところに腹が立つ。
吉田拓郎に至ってはもうピエロというしかない。
マスコミに背を向けていた男が、しゃらりとした顔で国営放送の番組に出演する。
いったいどうなっているのだ。
この厚かましさは・・・
ディランはその点、大きく違っていた。
「ノーディレクションホーム」
マーティン・スコセッシに映画を撮らせた。
独白とインタビューで構成されていた。
いままでの彼の言動と行動の謎ときに収支していた。
主題となったのは、1965年のニューポートフォークフェス。
そう、あのエレキギターを持ち、バンドを引き連れて登場したあのステージ。
アメリカの人間は・・・いや、ほんの一部の人たちのことだろう・・・恐ろしく保守的だ。
お目当てのスターの変わりゆく姿に我慢がならないのだ。
歌っている内容は何ら変わりはない。スタイルが変わっただけなのだ。
しかし、激しいブーイングの嵐。
帰れ!なんてものじゃなく「裏切り者!」「ユダ!」
しかしディランはめげない。
それ以降スタイルを変えることなく立ち向かっていく。
ファンに迎合しない。
ステージ後のマスコミのインタビューにも真っ向から立ち向かっていた。
それにしても、馬鹿げた質問ばかり。新聞記者の能力のなさが際立っていた。
見ていて腹が立った。
これが彼が25~26歳ぐらいの時なのだろう。
あることないこと、雑誌や新聞か売れるためには読者の喜びそうなことばかりを書きまくる。
不信感ばかりが重なり合っていく。
そりゃあ、厭になるだろう・・・・記者なんて人種を信じろ!そんな言葉はむなしいだけだし
彼らに迎合しなくても生きて行ける。
そう思ったんだろう。そう、金儲けなんて関係なかった。
そう、感じた。
ファンに迎合しない。しかし、自分が作った歌を伝えることに懸命だったんだろう。
その為に守らなくてはならなかったコトは、「説明しない」ことだったんだ。
有り余る金を得ても、ファンに嫌われまいとする輩とは人間が違う。
72歳を超えてもなを歌い続ける歌手。
支えているファンのクゥオリティー高低度の落差は大きい。