「まほろ駅前狂騒曲」。
犯した過ちを過ちだと気付くまでに時間がかかる。
それは、過ちであることを認めたくないからだろう。
肯定するために、小さなウソをつく。
そして重ねながら、重ねきれなくなってしまう。
そう簡単に自分なんてごまかせないし、自分の身を守る細胞は存在するし、
厄介であることだけは確かなんだ。
トラウマをかかえたまま、人のために役立ちたいと、そんな願いだけで便利屋を営む男。そしてその友達。
今回は相方の男、「行天」のトラウマが中心の話。
あまりにもキマジメすぎる奴と自己中心的すぎる奴とのコンビネーションから生まれるものは・・・何か?
なんて、テーマは「真夜中のカーボーイ」「レイン・マン」など男同士の繋がりを描いた映画は腐るほど存在した。
でも、この映画は同じ男の友情物語とはちょっと違う感じなんだ。
どこが違うって?
トラウマの原因でもないし、二人の過去の繋がりのありようでもない。
僕が感じたのは、登場人物の星くんこと「高良健吾」の存在。
東京近郊の町の新興やくざ。頭脳派若親分という役で、頭の切れで伸し上がろうとするクールやくざ。
便利屋をうまく利用して立ち回る、しかも絶対にスタイルを崩さない。そんなシーンを盛り込んでいない。
彼もトラウマを抱えたひとりであることは間違いないし、だからやくざ路線に乗っかっている。
登場人物のすべてがそうなんだろう。みんながトラウマとうまくでもないけれど付き合いながら、
このふたりの便利屋の行動で生きている意味を感じたりしているんだ。
生き方なんて、そう簡単に変えられない。
・・・・・なんて、思う。
きれいごとでは生きられない。かといって、そんな言葉を理由づけにしてきたなく汚れて生きてはいけない。
そう、例えば・・・・・・・・・・・・・
ポジティブとネガティブは一対なのだろう。
一番嫌いなのは、根拠もないのにポジティブでいる奴。
本当にポジティブな奴は真剣に落ち込める奴だと思う。
FBなんかで、毎日書き込みをして、最後に「今日も一日元気で、がんばろー!」なんて書き込む無神経な奴。
そして、それに「いいね!」なんて平気でENTERする奴。
疵ついてないとダメ!なんて言わない。
でも、哀しみを知る。それは生きていく上にはとても大切なことなんだ。
改めて、そんなことを感じさせてくれた映画だったよ。