歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

万里の長城は何のために作られたのか・・・・

2017-04-30 | 映画

自然が作ったものではなく、人的な力によって作られたものには畏怖を感じる。

自然にはかなわない。

でも、人が作るものには親しみがあり共感することもあり、ひょっとしたら僕にも・・・と、思う。そな建造物もあるからだ。

少々の努力なんて言わないけれど、ひどく頑張ればできなくはないんだ。

そんな、あと押しをしてくれる何かがあるから・・・・

 

「グレート・ウォール」

偶然見ることになった。

チャン・イーモウ監督作品。

特に興味深い監督ではないし、でも、高倉健の出ていた「単騎、千里を走る」を見て以来、

なんだか素人くさいけれど丹念な映画を作る監督だなぁ。

そんなことをぼんやり思っていた。

この映画も期待することもなく見てしまっていた。

 

万里の長城はなぜ作られたのか・・・・?

そんな疑問があったけれど、北方民族の中国首都への接近を防ぐ秦の始皇帝の妄想。

そんなことを小学生の頃に教わった。そんな知識だけで今まで過ごしていた。

なぜ?

疑問の応えは千差万別で、限りないエピソードが生まれてくる。そこが面白い。

この映画もそんなエピソードのひとつを描いて見せただけなのかもしれない。

そして、それは「信頼」することの偉大さを観る者に伝えたい・・・そんな気持ちが溢れていた。

中国の監督だからなんだろうか?

分からない。

「信頼」・・・・人として生きている限り大切であるなんてことは至極当たり前。

そんな当たり前のことを映画にする。

いまさらなが・・・もう、うんざりな感が・・・・僕の中にあふれかえっている。

信頼できなければ、関係は成り立たず、人と人との距離は離れていく。

それでいいじゃないのかな。

信頼関係が保たれる時間はそう長くはない。

時間の流れは過酷。近寄ったり離れたり。つまり「虚ろ」なんだと思う。

中国は偉大な思想を生んできた。でも、すべてを破壊する思想も生んできた。

人の中に「強欲」と言う化け物が住み着いている。

この化け物が誰の心にもあるから人間なのだ。

 

自分の身は自分の身で守る。これもまた、強欲のひとつなんだろう。

すぐ傍にいる人間を守る。頭のなかでは、誰もがそう思う。

でも、できない人もいる。

その場にある危機に遭遇しない限り分からない。

この映画を観て感じたのはそんなコトだった。

チャン・イーモウが描きたかったのは、いまの中国が必要としていることを示したかったのかな?

 

僕にはわからない。

 

いまさら、なに?

分かっていないがらできないことがいっぱいあるんだ。

だから、何をするんだ。何をするべきなんだ。どうするんだ。

人間やめるしかないんだ・・・・・

 

で、僕はと言えば・・・・・・

環境を変えるしかないんだよね。

そんなことを思う2時間だった。


お人好しと呼ばれて…

2017-04-25 | 映画
日曜日にくだらないコトで仕事場に行って2時間ぐらいで依頼ごとを片付けた。
仕事場のビルを出て、空を見上げ、深く息を吸い込み、さて、どうしょう?
このまま家には帰りたくない。
どうしてなんだ?
中途半端な時間を抱えると、いつも思う。ても、結論は出さないままだ。

神保町に向かって歩きだしたけれどやけに人が多く、歩きにくい。そう、日曜日なんだ。
平日の昼間しかこの街を歩いていない。
だからか…。

そんなことをブツブツ考えながら神保町シアターまで歩いた。
しかし、上映予定の映画はさして興味の湧くような作品ではなかったし、何よりも身体がクタクタだった。仕方がない。日比谷に行こう!


日比谷シャンテはいつもと違って5人ほどの客がチケット売り場に並んでいた。まあ、立ち見になる事はない。僕も並んだ。

見た映画はマット・デェイモン主演の「グレィトウォール」。米中合作でアクション映画としては十二分に金がかかっていて映像技術は最高峰なんだろ。でも、ストーリーはシンプル。万里の長城はなぜ作られたのか?そんな疑問に答えるいくつかの逸話をベースに飽くことのない人間の強欲さを否定する映画。
聞こえはいいけれど…意味のない映画。

悪人の出ぬ映画には説得力はない。

とは言え、十二分に愉しんでる僕は
意味のある生き方なんてしていない。

平気でうそをつくのは政治家だけじゃない・・・・でも良くできたウソは普遍なのかもしれない。

2017-04-17 | 映画

決してうまいウソだとは思わない。

すぐにバレテしまいそうなんだけれどウソをついてしまう。

 

映画「作家、本当のJ・Tリロイ」を観た。

1996年アメリカで起こった作家偽装事件。

事件と呼んでいいのだろうか?

ちょい、わからん?

 

マスコミも映画人もサブカル有名人もちょろく欺かれちゃった

そんなことの顛末をドキュメンタリーで描いた映画だった。

 

ただ、不思議なのはローラ・アルバートという女性は全ての関係者からの電話をほぼ録音していて

暴露される事を想定し、果てはこの映画を作ることをもくろんでいたフシがうかがえる。

だとすれば、結構面白い。

ちょっと厄介なのは、本物だと信じ切ってチカラを貸した著名人たち。

「本物と見抜けないやつ。ホンモノじゃないな~?」

そんな事を思われちゃたらたまったもんじゃない・・・そう感じた有名人は、怒るよ。

 

ただ、僕が面白いなぁ・・・なんて思ったのは、替え玉作戦を思いつき

それに協力してくれる人を見つけ、どんどん面白くなってきて、世間なんてチョロイな~と思いつつ

バレたら大変なことになっちゃうしどうしようと考えているうち、何十年か後に映画にししちゃおう

なんてことで対策を練っていたんじゃないかと思えるからなんだ。

 

日本でも少し前、クラシック作曲家がゴースト作曲家に頼んでCDをたくさん売っていた・・・そんな話があった。

基本的に作曲家の名前や地位でCDを買うわけじゃない。

いい曲だったから、もしくはいい曲だよって進められて買うわけだ。

それがたくさん売れたからって言って騙されたと腹を立てたりするのは

自分の馬鹿さ加減を晒されて悔しい!なんて、勝手な言いぐさなんだよ。

そう思っていた。

この映画も同じ感想なんだけれど・・・・

世間を騒がせる程のウソなんだから、それはそれで面白いわけだしね。

痛みを追求していくと笑いになるように、

偏執は

普遍に

変わる。のだ。

 

 

 


…らしさが大切な気がしてきた。

2017-04-06 | 旅行
新横浜から新幹線に乗った。
ホームには年寄りが溢れていた。
僕よりはかなり歳上。
そう、70歳以上ってとこか…。

多分、京都にでも行くのだろう。
長閑かな光景なんだ。
でも、礼儀知らず。
新幹線に乗るのに順番待たずに
我れ先自席に辿り着こうと必死。
年寄りはおっとりのんびり、乗るべき電車を
間違えてしまったり、席を間違えてしまったりして自責の念に囲われ
情けなくそうな表情をしているのがいい。
何と言っても可愛げがある。
謙虚で控えめな態度の人間に
辛く当たる人はいない。

80歳を超えてもなを元気なのはいいけれど、
態度や物腰は歳相応がふさわしい。
そう思う。
歳不相応だと、周りの人達に迷惑が掛かる。
ヒヤヒヤさせられる事は
それは、迷惑なことだと思うからだ。



年を重ねてきたのだ。
多くの人と出会って別れて哀しみも喜びも
重ねてきたのだ。
であれば、分かるはずなんだ。
自分の立っているその場所を
見知らぬ人にも譲ることがどれだけ大切か。
醜悪な老人。
老醜と呼ぶのだ。

孤独はあたりまえなんだ。
若いうちから学んできたはず。
でも、我れ先に忘れてしまう。

僕も、もう老人。
若者の今がカッコ悪いのは
目指したい老人が居ないからなんだろう。

つまり何なの?

そう、ヤレるけどね。
敢えてヤラないんだ。

そんなふうに
しやらりと言える。
どうせなら、
そんな老人になろう。
と、暫し思う。