歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

やっと手に入れた自由をまた手放してしまいそうだ・・・

2020-03-04 | 映画

ミステリーと映画とギターと歌があれば生きていける。

そんな思いを胸に深夜バスに乗り込んだのは二十歳の時だった。

5月になったばかり京都駅は午後10時。乗り込んだバスの中は、ひと息で生暖かくて息苦しかった。

理由もなくウキウキした気持ちを今でも覚えている。

一人暮らしをする不安は全くと言っていいぐらいなくて、その割には体が少しだけ震えていた。

武者震い。そんな言葉を吐きだすように深夜バスは走り出した。

今と違ってそのころの京都、東京間の深夜バスはごく普通の観光バスで座席は二人席だったのを覚えている。

東京駅の八重洲口へ着くまで一睡もできなかった。

 

あれから48年がたった。

ごく普通のサラリーマンで過ごした僕はとりたてて良かったと思うこともなく勤め人の生活が8年前に終わった。

そして半年はきままに暮らし、以前の職場の先輩に誘われろ、くでもない仕事を手伝った。ろくでもない仕事と言っても

別に法律に触れるような仕事ではなかった。ただ、給料はほとんどなく時間潰しで働いては見たものの、いつも面倒な役

割ばかりを任されてしまった。これも何かの縁だから仕方あるまいと覚悟はしていたが我慢の限界を迎えてやめてしまっ

た。人を頼って生きてばかりはいられない。かと言ってやりたい事が明確にあるわけでもない。ホントにごく普通のサラ

リーマン生活を過ごしてきた平凡を絵にかいたような人間なのだ。

いわゆる「定年後の暮らし」本を買わなければ時間があり待って仕方がないといった風情なのだ。

1か月もすれば行き場をなくし、家に閉じこもり、時の過ぎゆくの待つのが怖くなる。そんな状況に反比例してモチベーシ

ョンは急降下し始めている。無関心は最大の敵となるのは目に見えている。

しかし、そんな僕に声をかける人がいた。

ちょっとヤバそうな感じだけれど・・・・少々、戸惑ってしまっている。

音楽業界でまだ現役で頑張っているらしい・・・。が、ほんとのところは分からない。

 


マイナス2C゜の痛みを知っていれば猫の微笑みを見ることができる。

2020-02-07 | 映画
確かに異常な気候なのだと思う。
暖かい日差しと鉛の重さを感じる曇り空を切り返す日々。
太陽のやさしさを思い知るには格好な気候だというしかない。
朝からBLUSのレコードなんか聴いてどうするのだ。落ち込む気分な時には心底落ち込むに限る。
でないと明るい気分の良さを感じなくなってしまうからだ。
「アイリッシュマン」を昨日、観た。
ここの所、2週間ばかりは3日にあげづ映画館へ通っている。
朝、目覚めて映画COMにアクセスして、観る映画を物色。解説は読まない。読むとろくでもない感性が働き下らない映画を観てしまう。
ろくでもない感性は僕の自由を不自由さに変えてしまう。
それは、何処にも行けそうにないと感じてしまう渡り鳥みたいだ。
アメリカという国の歴史を知りたいわけでもないし、特にダークサイドのアメリカの成り立ちを知りたいわけでもない。
マーチン・スコセッシとデ・ニーロの組み合わせが気に入っている訳でもない。
ただ、基本はアメリカが好きなんだ。
シンプルな思考は男らしく見えてしまう。が、大胆な行動をしたあとで気分の高揚と裏腹に自分の行動を悔やみ嘆いてしまう。
この世にこれほど哀しい男はいない。これほど悔やんでいる奴はいない・・・・。
そんな映画ばかりを作っている。しかし、そんな映画を作るアメリカが好きなのだ。

この映画もご多分に漏れず、第二次世界大戦を戦い抜いた者の残りの人生を描いている。
戦争は人間の善良な部分を押し殺し邪悪さを優先させる。
戦いが終わったあとの人生などまるでないかのようだ。しかし、余生はあり続ける。
人を殺したあとの人生がどれだけ悲惨で孤独であり続けるのかを教えてくれる映画だった。
表の社会も裏の社会も同じ。
生き延びるため方法は殺してしまうこと。
銃器は簡単に手に入る社会だから、問題を解決するには単純すぎる方法を誰しもが選択してしまうのだろう。
そして、殺すことの理由は?聞かれれば・・・「家族のため・・・」と即答する。
しかし、この映画は少し違っていた。
「何から守ろうとしたの・・・」
娘から切り返されたフランクは答えが見つからない・・・・。

いつもの常套手段で主人公の死ぬ間際の回想で始まる映画。
年寄りの戯言に耳を貸す勇気すらないアメリカに明日はないのかもしれない。

それは、被害者意識の塊となっている大統領を見れば判る。

建国以来、大いなる勘違いのトンネルを抜ければ、暖かい日差しが待っていることを知っているのだろうか。

彼女が死んだ。

2019-10-07 | 映画
長い闘病だったようだ。
ここ2、3年は音信不通にしてしまった。
原因などはもう覚えていない。
気に触る事が多々あって、煩わしかったのを覚えている。振り返っれば大したことではなかったような気がしてくる。
若かった。
だから気持ちがすれ違ってばかりいた。
右と言えば左と言う。会話は苛立ちを隠せぬ程に積み重なり、己を見失っしまってばかり…。それが永遠に続いていた。一緒にいても楽しい気分になれずじまい。

しかし、そんな間柄も死んでしまえば後悔ばかり、先に立つ。
哀しみはない。が、少しの寂しさは隠しようがない。涙は流れぬが、胸には空洞が生まれてしまった。

さて、これからどう生きていこうか。




自分でやりたいことをヤル!てことはどう言うことなのか?

2019-09-27 | 映画



いつだって誰かの為とか言いながらやらずいたことが多かった気がしてきた。
やりたい事があった。なのにやらずにいた。それは、ホントにやりたい事じゃないんだ。そんなザレごとを周りの人たちが鬼の首を取ったように言う。人は幸せそうな奴を見ると腹を立て怒り出すのだ。不幸せな人を見ると同情心が芽生えて僕は大丈夫だと安心したりしてる。哀れな話しなのかもしれない。
抜けるような青空はヤル気を起こさせたりもするけれど大概は全身の力を抜くように存在している。身体のあちこちにに力瘤ができると軽やかさがなくなる。つまるところ、力み過ぎて身体の動きが止まってしまうのだ。そして心まで力が入ってしまって動けなくなる。
回遊魚のようにはなりたくはない。でも、身体が動かなくなるのは耐えがたい。
感動するしなやかさは筋肉の柔らかさに繋がっていてシンプルさを見逃したりしない。

ヤル気マンマンになる必要はない。
ただ、しなやかさが必要で、音楽に浸ってる時に似ている。
そう、音楽を続けていこう。

音楽に無知だったあの頃は、死にたくなるぐらいに幸せだったんだから。

人の力を借りるということ。それはそれで勇気がいる。

2019-09-21 | 映画
60歳を迎えて退職をした。半年を今までの取り返しの付かない多くの事柄に自分なりの決着を付けることに時間を費やした。しかし、付けられずに今に至るグズっている。それは人の縁という奴だ。踏ん切りがつかない。会って話す度に長引く。いつものように、まぁいいか!そんな呟きが僕の頭の中で渦くのだ。
しかし、それも限界が近づいた。
昔の東映の任侠映画の主人公のように行動しない奴もいるということだ。己の義理を果たすために周りの人間を巻き込まない。そんな心意気。だから、高倉健はたった一人でドスを抜こうとする。そこに、池部良が助太刀に入る。
たった一人で立ち向かおうとする姿があっる。だから、助けに入る。
そんな人の心を知りもせず、助太刀を前提に行動を思考する者がいる。
泣き言は言うまい。

諦めるにも勇気が必要なのだ。