歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

真実は誰もが知りたくない。自分と向き合うのは怖いもの・・・・

2015-06-28 | 日記

久しぶりに、唸ってしまった。

「その女アレックス」

A新聞の日曜版で紹介されていたんだ。

日曜日の朝食をとりながら、気になった本はメモしたりしている。

けれど、そのメモを読んで買った本は一冊もなかった。

でも、この本だけは違った。

なぜか、自分でも忘れてるはずだったのに買ってしまった。

 

お決まりの誘拐事件で、救出されるまでの、担当刑事と、そして犯人の駆け引きと知恵の絞りあい・・・・

とにかく、黒沢明の「天国と地獄」を超えるものなどないと思っていたし、それ以上の小説など存在できないと思っていたわけだ。

 

しかし、第1部を読み終えた段階で完璧にはぐらかされてしまった。

誘拐と言うより監禁事件としての展開だったのだ。

しかも、読んでいて気持ちの悪くなる描写が溢れていて

それなりの忍耐が必要と思わせた瞬間。次のステップへと移るんだ。

第1部の終焉は読んでいる者を次なる不安へと駆り立てて、

この物語が早く終わってしまえばと願うほどなんだ。

そして、もう一つの面白さは担当の刑事のキャラだった。

背丈が異常に低い、妻を事件でなくして3ヶ月。

復活の話が組み込まれている。

第2部はその担当刑事の心象と絡ませながら、この物語はジョジョに盛り上がっていく。

 

深い、とても深い傷を負ったものはもはや立ち直る事などできないんだろうか・・・・。

そんな不安が読んでいる僕には感じられたし、まんまと書き手の策略にはめられてしまった。

 

そしてラストの第3部。

全く期待を裏切られ、このままこの本、終わってしまうのかよ!叫びだしてしまうくらいだった。

しかし、残り3ページですべての謎がとかれる。

 

決して気持ちの良い終焉ではないが、希望はある。

いまのヨーロッパ社会の混沌さ、人間の浅はかな残虐はなくなりはしない。

哀しいが、それが現実なんだ。

 

この刑事が主人公だったんだ。

彼の疵の疼きはいつか消える、

哀しみにも終わりがあるのだ。

アレックスという女の魂の叫びをシッカリ受け止めたのだから・・・・。

 


雨の日の過ごし方を考えた方がたのしく過ごせる・・・

2015-06-26 | 日記

晴れの日を待ちわびて暮らすより、少し鬱としいと感じる日の過ごし方を考えたほうが楽に生きられる。

どうも、誰もかれもが前向きな考え方の言葉を発しないと人じゃないみたいな言い方をされる。

とても、むかつく。

FBにはさりげなく自分自慢。リア充足・・なんていうんだろう?

Twitterでは「バカヤロー!死ね!」の言葉があふれだしている。

だれもが顔が見えぬことをいいことに、放電しまくる。

 

そこには遠慮もなければ、深く考えることもない。

野獣のような人間ばかりが揃っている。

感情を抑制するのが本来の姿なのに、解き放つのが当たり前みたいになっちゃった。

欲望をむき出しにして何もかも欲しがってしまう年代はある。

そんな時代には決して手に入らないんだ。何もかもがね。

 

まあ、なにはともあれ、

こんなことを書いてる僕だって・・・思いのほか考えずに気軽に文章を書いている。

ただ、書いていると、気持ちが整理されるし、落ち着く。

誰に読んで欲しいわけでもなく、誰かに伝えたいわけでもなく、

いまのあるがままの気持ちを残しておくこと。

僕にはとても大切なんだ。

いまは、余分なものがない空間で、とても気に入った数少ないものに囲まれて過ごしていたい。

それは歯ブラシ1本でもいいわけで、そう、今、キミとこうしている時間がとても大切に思える。

そして、心に沈んだ、その言葉やしぐさだけを感じていたいんだ。

余計なものはいらない。

 

もう、何もいらない。

 

だって、持ってはいけないでしょ。

 


厳しさなんてたかがしれている・・・・

2015-06-20 | 映画

雨が降り始めていた。

梅雨だから仕方がないんだ。

仕事場を後にするには少し早い時間だったけれど、

仕事仲間を残して外に出た。

 

数日前から気分は最悪だった。

カンタンに言えば自分自身の能力不足。

特に記憶力の減退。呆れるくらいに・・・だ。

 

神保町に向かって暫く歩いた。

足の付け根が痛む。しかし、気にせずに、痛みを堪える。

 

そして水道橋。三田線に乗った。

高校生の下校時間と重なってしまったのか女子高生で一杯。

車両は半端な女くささが充満していた。

大手町を過ぎて日比谷。

思い立って下車。

 

日比谷公園が好きだ。

しかも、雨に煙っている、この公園が好きなのだ。

誰にでも感傷はある。そんな気持ちを知りながら、

こっちにおいでと言っているような気持ちにさせるからね。

 

で、日比谷みゆき座にたどり着き「セッション」を観た。

やはり、演奏するものにとって音楽を楽しむと言うことはどういうことなのか?

その一部分をきちっと伝えてくれる映画だった。

テクニックの必要性、反復の重要性、憎悪の必然性。

それを若いうちに学ぶことがいかに大切なことなのかだ。

僕にはもう遅すぎる。

 

ジャズに限らず、音楽を愉しむなんてことは

そうたやすく手に入れることはできない。

特に演奏者にとっては。

 

細部にわたってこだわらないといけない。

なぜならばバンドはチームなんだから・・・そう、合奏。

15人がひとつの「音」を作り上げて、人に聴かせて愉しくさせるのだからだ。

自分のなかに感じた何かを表現するために「音楽」を選んだのだから

どれだけ早く叩ける、どれだけ遅く叩けるか、どれだけ長い時間テンポキープできるか

こんな変化の乏しい繰り返しの中で、学ぶのだろう。

人は如何に生きるか、大切なものは、大切な人とは

憎み、哀しみ、喜び、笑い・・・・

もがきながらしか手に入れられないものが存在しているのだろう。

 

そんな音楽「ジャズ」の演奏者が誕生する、ほんの初期段階の話なんだ。

この映画は。

 

そして、僕は思う。

どこまで続けられるかは分からないだろうけれど

今のバンドを続けていこう。

心の中には何もないのかもしれない。表現しようと思うものなんてね・・・

でも、あるかもしれない。

 

 


例えば眠れぬ夜が続いて、耐えられないとしたら・・・・

2015-06-17 | 音楽

レイ・チャールズ。

 

そんなに大好きだったわけでもない。

やけに洗練されたメロディーに違和感を覚えてたいたんだ。

ゴスペルをエンタメ化した一人。

あの頃、みんながチャレンジしていたんだけれど、うまくは行かなかったんだね。

映画「Ray」を観てその謎が 解けた。

アメリカ黒人にとっては、とても神聖な音楽なんだ。

そんなことは解りきってはいたけれど、いや、解っていなかったんだ。

信仰の 意味は僕が想像するより、遥かに重く、日々の生活の中に息づいていたんだ。

誰はばかることなく喚き散らし、ショービジネス化し金儲けを企むのは

「悪魔」なんだよ。

しかも、とびっきりのヤツなのだ。

おまけにレコードが売れれば売れるほどパッシングボルテージは上がる。

ひとはおかしなもので、周りからの反発が強ければ強いほど、ご当人は強くなれるものなんだ。

しかも、エネルギーはいらない。

ストレスは感じるけれどね。

他力の効用とも言うべきものなのだろう。

 

目が見えないことのハンディは逆に音楽の才能を開花させ研ぎ澄ませる方向へと向かう。

「盲導犬も杖もなくて、どうして一人で歩けるんだ?」

そんな質問に、彼は平然と答える。

「キミはどうして一人で歩けるんだ?」

そして、さらに言う。

「僕にとって耳が眼なんだ・・・・」

 

そんなことをどれだけ早く学ぶかが大切だとも言う。

彼の母親は賢い女だった。

緑内障でやがて眼が見えなくなるとわかった時、彼の母親を決断するのだ。

一人で生き抜くために何を教えなければならないか。

そして、息子にしっかりと伝える。

「二度までは助ける。でも、3度目は助けないよ」

それは「耳」が「眼」だということ。

ドジれば命が亡くなることもあり得る。そのドジを踏んだ時の決心さえしてしまっている。

優しさは強さだと思う。覚悟できるかどうかだ。

 

そして、歌手として成功を収めるのだ・・・・・

 

でも、本当に幸せだったのかと言えば・・・。

余りにもうしなったものが多すぎたんだ。