その場を凌ぐことは機転がきく冴えた人間のようなに思えたりする。
でも、時と場合だ。
その場の危機感の度合いによって人は簡単に嘘をついてしまう。
根拠ない。なのに大丈夫!などと簡単に言ってしまう。
生死がかかってればなおさらだ・・・・・
リュック・ベンソンの映画を久しぶりに観た。
「ANGELーA」
逃げてばかりの人生を28年間も続けて、いよいよどん詰まり。
もう逃げる場所もない。
そんな時の選択は「死」しかない。
定石どおりに見捨てられた男は橋の上から身を投げようとする・・・・
でも死にきれずに、人助けをしてしまう。それどころではないはず・・・・
なのに、助けてしまう。
どうしょうもない屑なのに切羽詰まれば行動は心とは裏腹。
身体が勝手に動くものなのだ。
肉体は男。けれど心の80%は女。
天使は言う。だから素直になれ!と・・・・
そうだよね。思ったままのことを言葉にするのではなく、
自分の心の中にあるホントのコトを口に出すことなんだよね。
しかし、それほど難しいことはない。
それは、自分の心の中の真実を見つけていないからなんだろう。
この映画を観てリアリティがない・・・だとか
主人公の男のアホさ加減にあきれて、天使が惚れるはずがないだとか・・・・
そんなコトを感じる奴らは己知らずなだけだ。
謙虚さもなく、憐みも知らず、人の不幸だけが自分自身を救う・・・・たぶんそんな風に思っているのだろう。
想像力のなさは無知に通じる。無知は貧困を招く。
金があれば幸せになれる。そんなことが生きる原動力になるなんて世間知らずもいいところだろうに。
いつまでたっても気付かずに経済ばかりを論じていては
幸せは遠のくばかりだ。
奇跡は起こるのだ。
哀しみをかみしめさえすればね。
すがるべきものにはきちっと言葉にして言うのだ。
「君がそばにいてくれなければ生きていけない」
女の股間をジッと見つめることも必要なんだ
そして、勇気を振り絞って言うのだ
「オレを助けてくれ」・・・と。