歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

ひょっとしたら"熱中症"じゃないの?と思わせぶりな態度の雲に出会った。

2020-08-12 | 日記

それにしても・・・暑い。暑くてたまらない。地球は確実に滅びようとしている。いや、そうではない。人類が滅び去る時が近づいているのだろう。それも仕方あるまい。好き放題やってきたのだから。経済発展が人間を幸せにするのだと頑なに信じてきたのだからしょうがないのだ。国も企業も果たすべき責任の対象に地球を組み込まなかった。地球も己自身が生き延びる方法とし我々を除外しようとする。それは自然の流れというものだ。

テレビではコロナと騒ぎと同様、日本中でどの県が高温地域なのかをランキングして見せたり、熱中症予防は水を飲め!だとか諸々・・・・またまた庶民の判断に下駄を預ける。自然現象だから誰の責任でもない。だから、各自奮闘努力せよ!と煽り立てる。知りたいのは原因なんだ。1日に何十人の人が死んでしまう原因なんだ。テレビに向かって叫びだしたくなってしまった。

民主主義にしちゃ成金のこの国は、すべてが合議制。だから個人が責任を負うことは滅多にない。過去の過ちに決着を付けずに、いや結論を出せずに先に進もうとする。優秀な政治家が不在なのだ。

伝染病対策にしてもそうだ。感染拡大を止める方法は誰でもが知っている。役人が得意とする過去の事例を紐解けば判明する。感染者とそうでない者をハッキリさせればいいだけなのだ。人の行動は自ずと限られ、自分で考え、判断することになる。しかし、なかにはそう分かっていても行動できない人もいる。そんな人たちをいかに助けるかが政府の役割のはず。問題はいたってシンプルなのに複雑化させて人心を掌握しようと企てる。危機は人の心を鷲掴みするにはもってこいなのだろう。共通の敵を見出し、具体的に指をさせば人々は熱狂する。

いつまでたっても変わらない。同じ間違いを繰り返す。

それが人間なのだろう。

人はいかに多くの経験をし、その経験を積み上げてもそれで自分を肯定したり、満足することはできない。現在ある状態のなかで、自分の望ましい生き方をし、そのなかに意義をみいだしてゆく、というほかに生き方はないのだから・・・。

 


誰にでも「さぶ」が寄り添っていてくれる。そう思えば・・・

2020-07-05 | 日記

山本周五郎の小説を読み返した。

何年ぶりだろうか・・・そう初めて読んだのは16歳の頃。

学校の規則やらを破ることがカッコイイと、何でもかんでもルールと呼ぶものすべてを斜に眺めてイキガッテいた。

しかし、どうにもならないことが津波のように押し寄せてきて、しっぽを巻いた。

そして、ふるさとを捨てた。いや、逃げ出した。

自分自身と向き合うなどと人は簡単に言う。意味も分からずに人を責めぬくことで自分のダメさ加減をだれかの所為にする。それは自分と向き合うことなのではなく自分自身についた噓を肯定するために過ぎ去った事実を捻じ曲げてしまうことなのだ。哀しいことに憎しみは生き続ける糧になるからだ。

山本周五郎のこの小説「さぶ」は余りにも深く哀しく辛い。しかし、人間の持つ愚かな側面を肯定しながらも「だから、生きていていいんだ。」と教えてくれる。

誰もかれもが完璧な正義感を持って生まれてくるわけではない。半端な人格しか持ち合わせていないのだ。

人を傷つけては底知れぬ痛みを知り、思惑違いが終わりのない寂しさを招き、孤立を望むばかりに憎しみを知ることになる。

でも、自分自身のいい加減さ、弱さ、屈託や、すべての醜悪な心の存在を認めてしまえば、流れは変わるのだ。

体内に流れるリンパを刺激しなければエネルギーの流れは変わらない。

しかしそれは簡単なことではない。苦しみに耐え抜かねばならないし、そしてその試練は並みの神経では乗り越えられない。助けが必要なのだ。

弱虫で意気地なしだけれど愚直な「さぶ」が支えてくれる、「英ちゃんがいないとおらぁ生きて行けないんだ・・・」恥も外聞もなくすがる友がホントの友達なのだ。ケチなプライドなどかなぐり捨てる奴が友達と呼ぶにふさわしいのだ。

突き放してもいつの間にか傍にいる奴。あるいはすがりつきたくなる奴。

他力本願はいけない訳じゃない。生きるのはただそれだけで大変なことなのだから、助けてくれ!と正直に言える勇気があればそれだけで素晴らしくて素敵なのだ。

それが友達なのだ。

そんなことをこんなにうらぶれた爺様になっても教えてくれる山本周五郎とは一体どんな人だったんだろう。

 

勧善懲悪の物語で土下座で終わらせてしまう。そんな小説などは犬の餌にもなりはしない。


生きること、それ自体が不要不急なのだろう。

2020-05-18 | 日記

午後から雨は中途半端にふり、夜半過ぎに本格的になった。

中途半端が嫌いなわけではない。白か黒かはっきりしなくては生きて行けないわけじゃないしね。

感染症騒ぎも一段落し、新しい生活を始めろと世間は叫び始めた。しかも、その生活と言うのが関西のお笑いタレントのネタのようだ。マスクをして掌の皮が擦り剝けるまで洗い他人と濃密接触をしないこと・・・・その他諸々となれば、もはや声を出して笑うしかないではないか。

おまけに、“不要不急”などと正義の御旗をかざし始めたから始末に負えない。

だからというわけじゃない。「要」と「急」について思いふけってしまった。特に「要」。

そう、

今までだって、何故働くのか?

そんな馬鹿みたいな質問を投げかけ続けられ、自分自身にも問いかけ、

暮らしを維持する為に必要な金を稼ぐためだし、労働に不条理はつきものだ。

そう答えてきた。そして、残念なことには、やっている仕事にはどんな意味があるか?

そんな問いかけには答えてはいなかった。それは無意味な仕事ばかりをしてきたからだ。

しかし、今頃になって気が付いた。やっている仕事が好きだっただけなのだ・・・・そんな単純なことだ。

好きな仕事だから自分で納得するように考え行動してきた。世間のために役立つのかは分からない。

極端だけれど、別にその仕事が存在しなくても世間は困りはしない。そんな内容なのだ。

限られた人々が多少なりとも笑ったり泣いたり怒ったりしただけだ。

でも、仕掛けた僕はそれでも結構楽しくやれた仕事だった。そして、程々に幸せだったのだ。

 

そんな事をだらだら考えて過ごしている。

ホントはこの騒動が永遠に続いてくれればいいとさえ思う。

煩わしい人間と会わなくてもいいし、好きでもない酒を酔ったふりしながら飲まなくてもいいし、

ホントに親しい人たちとは人目を忍んで会いに行けばよいだろう。そのうち密会酒場などと言う酒場が出現するだろう。

世の中のルールは大概、破り捨てるために存在するものだ。

やたらと正義を振りかざす人々は“変態“の素養充分で、

人の汚れを忌み嫌わなければ自分の清潔感を満足させられないのだ。

自己満足のためには人を責め苛む必要があるだけなのだ。

 

バカげた世の中になってしまったものだ。人はいつも多少の罪悪感を抱えていないと、親切心を失くしてしまうのだ。

 

 


先月で会社を辞めた。

2020-01-07 | 日記
なんでもそうだけれど、引き際が肝心。
7年働いた。重篤疾患に悩まされて、人間関係に煩わされ、幸せ感など微塵もありはしなかった。
毎日、行く場所があると言うことは幸せなことなんだよ。そんな戯言に騙されるフリをしていた。それが心地よかった。確かにそうなんだ。なにかれなしに周りに気を使って日々過ごすのは優越感に浸れるからね。他人を利用して至福の時を過ごそうなんて、なんともはや傲慢で優しさの押売員のようだ。そんな事にやっと気がついた。
歳を重ねる度に自分の思い描く人間になり損ねて行く。
ほとほとアイソが尽きて辞めた。

さて、何をするかな?
何をすれば僕は喜ぶのかな?

雨が降り止むまで考えよう。





ノーベル文学賞はボブ・デイラン。なんてことだ。

2016-10-14 | 日記
それはそれなりに驚いて、ディランはどう思うんだろう?
そんなことを妄想して眠れなくなった。

ディランには会ったこともなければ話した事もないわけで、レコードを聴きかじったに過ぎず、どんな人間なのかも知らないのにとやかく書いたりするのはどうかと思うけれどね。
でも、書かずにはいられない気持ちなんだ。

不思議な人だよね。

ディランの歌を初めて聴いたとき、あの嗄れた声に魅せられた。
僕の声は高い声だったんだ。
ウィーン少年合唱団ほどではないけれど、澄んだ歌声だったし、あまり通らない薄っぺらな気がしてとても嫌だった。
だから、憧れたんだろうね。
それに、何を歌ってるのか全くわからないし、
でも歌手だし、こんな歌いっぷりでもいいんだ。
歌手としてみんな認めて、人気者になってる…。

そんな感想を抱いてディランを聴きはじめた。
歌詞は謎にみちていて、わざわざ聴き手を混乱させて喜んでるんじゃないか?と思えるほどだった。解き明かしたい気持ちは充分なのに途中でなげ出さずを得ない。

まるで性悪女のようだった。

難解さを売りにしてるロックシンガーやフォークシンガーは山ほどいたし、しかしどれもこれも長続きはせず大概は偽物。
長続きはしないってことだ。
しかし、ディランは少し違っていたんだ。

ディランが作った曲をカバーしはじめたことだ。

特に売り出そうとする歌手がディランの曲でヒットしたことが余りにも多過ぎる。
PPMがそうだしね…


歌手としてのディラン。
作家としてのディラン。

僕は、やっぱり歌手としてのディランが好きだ。
ウッディ・ガスリーに憧れ続けたディランが好きだ。放浪するディランが好きだ。

イギリスのゴールデンデスク賞を蹴飛ばしたように抗うディランに興味が湧くんだ。

そして何よりも、誰よりも
謎に満ちていてほしいんだ。

いつまでもだ。