少し寒い日々が続いて、身体の痛みがいつもの倍返し。
痛み止めも飲まずに、じっと耐える日々が続くかと思うとぞっとしたりしている。
今日は休み。
金曜日の夜。友人のライブに出かけた。予想外の友人が来たのでちょっと悪乗りしてしまった。
つまり、深酒。
二日酔いで土曜日をやり過ごして、日曜日は朝早くから起こされた。
ウッドスプリングベッドが届くんだそうな・・・・・
特に関心があるわけではない。
でも、気持ちよく眠ることができる寝具は年寄りには大切なのだ。
しかし、体力というのだろうか、体のあちこちの弱り方が実感できるほどになってきた。
痛みだったり、気力だったり・・・・・。
そんな、いつもの不安感が募る日々が増える中でこんな映画を観た。
「クレアモントホテル」。
イギリス映画らしい。
映画の舞台がロンドンのようだしね。
夫に先ただたれた、老婦人。
子供は独立しているし、世話になろうと思えばいくらでもなれる状況。
なのに、長期滞在ホテルで過ごそうと決心したようだ。
気持ちは痛いほどわかる。
今まで、ず~と誰かの為になるようなことしかしてこなかった。それが喜びだったし、楽しみだった。
周りの人間の笑顔ほど支えになるものはない。
しかし、ふっ~と振り返り考えてみれば・・・・自分の為に何かしてもらった記憶がないことに気づいたりする。
とても自然な思い過ごしだ。
だから、彼女は行動をする。自分自身のために生きることを、つまり自立するということだ。
誰の為でもなく、自分のことを考え、思い、行動するのだ。
しかし、そんなロマンチックな思いとは裏腹に、周囲の人々はあまりにも現実的すぎる。
その場所がクレアモントホテルだ。
思慮深く、寛大で寛容。
会話には常に予想外の落ちをつけての返答、人々は彼女に魅了されてしまう。
人間品性とは何かが映画をみながら感じられる。
老いるということは・・・・多分こんなことを言うのだ。
明日などないのだ。今のこの瞬間がすべてなのだ。
思い出の中でその一つ一つを確認しているから、
できてしまうこと敢えてやらないのだ。
若い人たちに席を譲ることもそうだし、恋していることを自覚していながらその若い男が彼女と結ばれるように最善を尽くしたり・・・・
その瞬間、瞬間に最大の努力をするのだ。
しかし、そんな幸せな周りの人たちを眺めて彼女は愉しいのか?うれしいのか?
ひたすら哀しいだけなのだ。たぶんね。
だから、何気なく気遣う周りの人たちに怒りを込めて言い放つんだ。
「私のことは放っておいて頂戴!」
そして、とても傷つき自分を責めるんだ。
でも、たぶん、幸せなのだ・・・・自己犠牲などと言うものは自己満足なのだから。
あなたが傍に居てくれて成り立つ人生もあるのだ。