歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

ひとりぼっちになったんだ。そんな気分にならないのはどうした訳だ…。

2017-08-30 | その他
2週間前に父が死んで
2週間後に母が死んだ。
3週間前にふたりを見舞った。
その前から感じてた。
呼吸をしてる内に顔を見せておこう。
ハタチの頃に家を出た。
一年に一回ぐらいは帰っていた。
もともと親孝行なんて事は柄では無かったし彼等もそんな僕を期待したわけでは無かったし。

もう少し寂し気持ちになるのか…と思ったけれどそうならない。
親との縁が薄いのだろう。
それとも、死んだ事を認めていないのだろうか?

哀しみを感じられなくなったらおしまいじゃないか。

そんな言葉をカラスが叫びながら僕の頭を掠めるように飛んで行った。

夕陽はなくて、雨が降り出した。
ビニール傘を買う気になれない。

なんだか慌たゞし日々に揉まれてるだけの様な気になってきた。

あしたは、新潟へ行く。
詰まらない仕事なのだ。
でも、ないよりはマシだ。
そんなことを考えたりすることが詰まらなくなってる。そんな自分に気が付いて大声を出したくなってしまった。

なんの映画だか忘れてしまったけれど。
「失望したり、裏切られたりしたら、声に出せばいい。自分を曝け出せばいい…」エンドロールに流れた歌を思い出した。

飾り物をぶら下げていては辛いだけ。

曝け出せば楽になる。

でも、さらけ出す自分がない。

まったくもって詰まらない人間なんた。

僕は。


キユーバの空と海はあんなに碧のだろうか…

2017-08-14 | 映画
パパ・ヘミングウェイの真実。
そんなタイトルの映画を観た。
アメリカ人はどうして彼が好きなんだ?そんなことをもう一度考えてみることになってしまった。
人に対する想いが何らかの障害があって通じなかったり。そう、恋い焦がれる相手に呆気なく袖にされたりするとき、人は文書を書くんだ。
対峙する相手に自分が欲しい答えを言わせるまで何度でも問うのだ。そして、書き綴るのだろう。詰まらなくて哀しいことだ。自分自身で納得していればいい。なかなかそうはいかないんだ。生きていくと言うことはね。一人で生きていればいいじゃない。しかし、寂しくて生きていけないんだよ。多分。そう、僕にしてもこれだけ歳を重ねたって、一人ぽっちだと痛感したことは、ほんの数回しかないんだ。

パパヘミングウェイの苦悩はなんだったのか?
この映画はそれを教えてくれるんじゃないか…そんな浅はかな想いで観た僕が間違ってたわけだ。

誰もがそうだけれど自分の過去に脚色をして生きてしまっていて、その嘘を気づかない内に信じてしまう。それが忘れられてしまえるただ1つの方法なのだから。普通はそうなんだが、彼はそれが出来なくなってしまった。59歳にでもなれば気付くよ。それはそうだよ。僕でさえも悔やまれて仕方のない事を山のように抱え込んでいる。いいコトも悪いことも…それから逃れるには許してくれる人が必要で、その人の言葉が必要なんだ。しかし、そうはいかない。
そしてもう1つの方法は何もかも全て下呂することなんだ。散弾銃で自らの腐った頭を吹き飛ばす勇気があるんなら、それぐらい平気なはず。

でも、彼はそうしなかった。
60歳を超えたって楽しい事は山ほどあるのにさ。
でも、かっこよくはないんだ。

しかし、カッコ悪いことは、なんてカッコいいんだ!そんな言葉もあるんだよ。

まあ、どうでもいいけれど。愛されてばかりいると、猜疑心ばかり発達しちまう典型的老人嫉妬症候群なんだろう。

僕はもう少し、その嫉妬症候群とやらを見極めながらも楽しもうと思うんだ。


真夏の神戸なんかに行くものじゃないよ・・・・

2017-08-08 | 旅行

新幹線は定刻通りに新神戸駅に着いた。

陽射しは強く、二の腕を焼き尽くすかのように照り続けていた。

僕は来るんじゃなかった・・・と大きな荷物を抱えながらホームで思った。

電話を掛けた。

兄貴にだ。

いつものように出なかった。

きっかり3秒後にスマホが振動した。

いきなり、明日じゃなかったっけ・・・

いつものことだ。でも、今回は僕が一日間違った。

 

仕方がない。病院へすぐに行こう。

まずい出だしなのはいつだって同じ。

この町に来ればいつだってつまずくのだ。

 

その病院は神戸の山手から少し姫路よりの坂の途中にあった。

元シティホテルだったらしくロビーは狭く息苦しかった。

天井は3メートルもない。窓にはステンドグラスがはめ込まれていて夏の強い日差しが

妙に色ぼかった。

小さなエレベーターで2階に上がり親父の病室を探しながらほぼ一周したところで見つけた。

点滴の管につながれた左腕は黒すみ40年前と比べたら骨と皮だけの状態だ。

酸素の管は鼻へ容赦もなくつこまれていた。両手は手袋に覆われ点滴を外さぬように

まるでボクシンググローブのようだった。

痛々しかった。

左腕がベッドのポールにくくりつけられていたから。

寝言のように「痛い」と言った。

僕は、背中をさするしかなかった。

言葉が見つからなかったんだ。

でも、なぜかみじめな気分にはならなかった。

まだ生きている姿に驚いていたんだ。

人の生命力と言うものはとんでもない「力」なんだなぁ~なんて他人事。

ただ死にゆく人を観察している気持ちみたいだ。

子供が親の死に目に会いに来た姿ではない。

いつもこうなんだ僕は・・・・他人事なんだ、すべてが・・・・。

 

数時間もすればすべて忘れてしまえる。

しかし、背中ぐらいやさしくなぜられたし、少しは大丈夫だよ・・・

そんな言葉を吐いたことに自分自身で驚いたくらいだ。

涙がこぼれそうになるわけでもなく、ただ、背中をなぜていた。

 

強い親父でもなかたし、優しい親父でもなかった。

ごくごく普通のありきたりの愛情を持った人だった。

文句を言うわけでもなく、しかりつけるしぐささえ見せなかった。

僕を放置することをいとわなかった。

面倒な子供だったんだ。そう、実感していた。

振り返ることなどしたくはない。振り返ったところで、そこに思い出らしきものが見つけられないからだ。

存在が希薄なのだ。

親子関係がね。信じられないだろうけれど、親子でも縁が希薄なのだ。

僕たち親子は。信じられないと誰もが言う。でも、きっとそうなんだよ。

あまりにもみっともない死に際に戸惑いを隠せないだけなのかもしれない。

ただただ、ひたすら普通に90年近くも生き抜いてきたはずの人間が、

ベッドに括りつけられて、痛い痛いと言いつつ死んで行くのだ。

こんなにもカッコ悪い死に方はない。

 

 

多くを望んではいけないんだ。

人の死に方なんてものは、誰もが選択したりましてや演技などできないものなんだからね。

 

真夏の昼下がりは、いくら冷房を利かせたって気分上々なんてことにはならない。

 

ただ、死がそこまで来ているそんな予感に怯えてはいない。

僕にとってはそれだけが救いのようだった。

しかし、それすらわからない。

本人がそう言ったわけじゃないから・・・・・

できれば、静かに死にたい。僕はね・・・・・

 

涼しげな庭を眺めるようにだ。

 


誰もが発言に細心の注意を払う。軟弱な時代だ。

2017-08-01 | 映画
これは、クリント・イーストウッドのことばだ。
そう、アメリカ大統領選のときに言ったことばだ。アメリカ史上初の品のない大統領を選ぶ最中の話だ。差別用語に細心の注意を払い、マスコミに叩かれるのを恐れ安全な道を選んだ。勇気をなくしてしまった人々の結果がトランプなんだ。誰もがバカバカしいと実感しているにもかかわらずの結果なんだ。被害妄想に陥った人々を操るのは簡単なこと。具体的な敵を作り、攻撃する。そんな言葉を大きな声で叫べはいいんだ。そう、共通の敵をセッティングすればそれでいいんだ。差別を明解に打ち出したって、チョイとまえなら誰も共感なんかしなかった。『バカなこと言うなよ。そんなことはお前に言われなくったってわかってるんだ!同じ人間なんだけれど黒人と白人は違うんだインド人とアメリカ人は違う。男と女も明らかに違う。その差を埋めることじゃなく、その差を認めることが大切なんだ。』そんな時代になっているのに、日々の暮らしがひもじくなれば、誰しも不満を口にする。トランプはそこにつけ込んだ。詩人にもなれない憐れな経営者の姿がそこにあるだけだ。
そんな想いが頭をよぎったときにこの映画をみた。『ホワイトハンター・ブラックハート』。
人は欲望のままに生きればこうなる…そんな話だ。像の偉大さは人間の欲望なんぞたかが知れてるんだと心底思わされた。言葉や技術に頼り過ぎれば心の成長は止まる。寛容、含羞なんてものは、ましてや勇気なんてものは失われて行くんだ。とくに勇気は出さないと完璧になくなるものなのだ、