新幹線は定刻通りに新神戸駅に着いた。
陽射しは強く、二の腕を焼き尽くすかのように照り続けていた。
僕は来るんじゃなかった・・・と大きな荷物を抱えながらホームで思った。
電話を掛けた。
兄貴にだ。
いつものように出なかった。
きっかり3秒後にスマホが振動した。
いきなり、明日じゃなかったっけ・・・
いつものことだ。でも、今回は僕が一日間違った。
仕方がない。病院へすぐに行こう。
まずい出だしなのはいつだって同じ。
この町に来ればいつだってつまずくのだ。
その病院は神戸の山手から少し姫路よりの坂の途中にあった。
元シティホテルだったらしくロビーは狭く息苦しかった。
天井は3メートルもない。窓にはステンドグラスがはめ込まれていて夏の強い日差しが
妙に色ぼかった。
小さなエレベーターで2階に上がり親父の病室を探しながらほぼ一周したところで見つけた。
点滴の管につながれた左腕は黒すみ40年前と比べたら骨と皮だけの状態だ。
酸素の管は鼻へ容赦もなくつこまれていた。両手は手袋に覆われ点滴を外さぬように
まるでボクシンググローブのようだった。
痛々しかった。
左腕がベッドのポールにくくりつけられていたから。
寝言のように「痛い」と言った。
僕は、背中をさするしかなかった。
言葉が見つからなかったんだ。
でも、なぜかみじめな気分にはならなかった。
まだ生きている姿に驚いていたんだ。
人の生命力と言うものはとんでもない「力」なんだなぁ~なんて他人事。
ただ死にゆく人を観察している気持ちみたいだ。
子供が親の死に目に会いに来た姿ではない。
いつもこうなんだ僕は・・・・他人事なんだ、すべてが・・・・。
数時間もすればすべて忘れてしまえる。
しかし、背中ぐらいやさしくなぜられたし、少しは大丈夫だよ・・・
そんな言葉を吐いたことに自分自身で驚いたくらいだ。
涙がこぼれそうになるわけでもなく、ただ、背中をなぜていた。
強い親父でもなかたし、優しい親父でもなかった。
ごくごく普通のありきたりの愛情を持った人だった。
文句を言うわけでもなく、しかりつけるしぐささえ見せなかった。
僕を放置することをいとわなかった。
面倒な子供だったんだ。そう、実感していた。
振り返ることなどしたくはない。振り返ったところで、そこに思い出らしきものが見つけられないからだ。
存在が希薄なのだ。
親子関係がね。信じられないだろうけれど、親子でも縁が希薄なのだ。
僕たち親子は。信じられないと誰もが言う。でも、きっとそうなんだよ。
あまりにもみっともない死に際に戸惑いを隠せないだけなのかもしれない。
ただただ、ひたすら普通に90年近くも生き抜いてきたはずの人間が、
ベッドに括りつけられて、痛い痛いと言いつつ死んで行くのだ。
こんなにもカッコ悪い死に方はない。
多くを望んではいけないんだ。
人の死に方なんてものは、誰もが選択したりましてや演技などできないものなんだからね。
真夏の昼下がりは、いくら冷房を利かせたって気分上々なんてことにはならない。
ただ、死がそこまで来ているそんな予感に怯えてはいない。
僕にとってはそれだけが救いのようだった。
しかし、それすらわからない。
本人がそう言ったわけじゃないから・・・・・
できれば、静かに死にたい。僕はね・・・・・
涼しげな庭を眺めるようにだ。