カミさんが友人と旅行に行った。
久しぶりに発散できる。
と、言ったってそんな大それた自由を発揮するわけではない。
好きな時に好きなコトをするだけの話なのだ。
僕の自由などと言うものはそんなものだし、不自由極まりないのかもしれない。
そんな自由さなのだ。
映画は映画館で観ると決めていた。
しかし観逃した映画は日本中を追っかけなくては見られない。
久しぶりにTUTAYAに行った。
店内の様変わりに、唖然となった。
店員がいない。見知らぬ機械が鎮座している。
自動貸し出し機ってやつなんだ。
あいにく期限切れのカードだった。
店員を探し回る羽目に陥ってしまった。
そして借りた映画は
「GONE GIRL」「マッドマックス・怒りのデスロード」の2本。
別に狙っていたわけではなかったけれど2本とも復讐劇(マッドマックスはちょっと違うかな?)
家に帰ったらカミさんがいない。近所に出かけてすぐ戻る空気感はない。
それは夫婦なら直観でわかる。
GONE GIRL
出だしはこんな調子だった。
うっかり見逃すところだったけれど、
冒頭、主人公エミーのクローズドアップに男が問いかけるシーン。
「僕たちはこれからどうなる?」
このシーンだけで、この映画は「ひっかけ」が仕込まれている感じるべきだろう。
絵に描いたような理想の夫婦が・・・そうではなくて・・・実は・・・・。
まあ、良くあるストーリーなんだけれど。
この映画を観て僕はなんだか作った人間が意図したこととは違ったコトを考えてしまったような気がしたんだ。
それは、女のしたたかさや男のアホのようなお人好しぶりやマスコミの醜悪さの暴露なんかではなくて、
人間にはプライドという厄介な代物がべったりとくっついていて、
頭で分かっていて、それを剥がそうともがいたりする人間もいれば
逆に開き直ってしまって愉しんでしまう人間もいるのではないか・・・・そんな事なんだ。
映画のストーリーはカンタン。
とてつもなく悪知恵の発達した女房が旦那の浮気を許さず
旦那に復讐をする。
空きのない彼女の周到な準備と段取りの良さには舌を巻いてしまう。
世間はすっかり騙されてしまうだろう。
でも、人までは殺さないだろう・・・と思ってしまう。
なぜなら動機があまりにもぷぁ~だし。
「その女アレックス」と比較してしまったんだ。
あの小説を読んで思ったんだ。
確かにこんな仕打ちをされればきっとこれぐらいのコトは想像するだろうし
こんな計画もたてて実行するだろう。
そしてそれがいま生きていくことの支えになるだろう。
まあ、僕にはそんな計画性も実行力もありはしないけれど。
動機が浮気の復讐?
しかし、この映画の面白いところはそんな動機でも十分にリアリティがある事なんだ。
オンナは裕福な家庭に育ち挫折をしらない。
いつも誰かに見つめられ尊敬され注目を集める存在。
完璧な女を演じなければ生きられない。
無様な一面は見せられず生きてきた。ダメな自分と優れた自分を同時には愛せない。
旦那に傷つけられたらやり返す。痛い目を見させ完璧に服従させる。
そうなんだ。単なるお仕置きをしたいだけ。
浮気をされた女たちが僕に相談に来たりする時期があった。
その時の彼女たちの口癖は誰もかれも口走るのは・・・・
「もう過ぎてしまったことは仕方ないと思ってるの、悪かったって言ってるし、もう許してるし・・・・
でもね、お仕置きをしておきたいの。」だった。
やり直しなどというものはない。男たちは実感しなくてはならない。
そんなに甘くはないんだ。おんなは・・・。
この映画の結末は、彼女の計画どおりコトが運んで行くところで終わる。
男は彼女が作り上げた「ウソ」を認め彼女に全面服従するところで終わる。
人のもつプライドは時として支えにもなるけれど、時として凶器にもなる。
まあ、お仕置きをされても仕方のない男は山のようにいるし、僕もその一員。
結婚する相手はクールに観察したほうが、ゆくゆくのためになるよ。
そして仮に結婚してしまって、これはいけないと思ったら、
ゆっくりと考え行動し準備をして慎重に別れなくてはならない。
プライドなどというものは投げ捨てるためにあって、
己の身を守るためにあるのではない。