歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

復讐は何のためにするのか・・・・

2016-04-24 | 映画

カミさんが友人と旅行に行った。

久しぶりに発散できる。

と、言ったってそんな大それた自由を発揮するわけではない。

好きな時に好きなコトをするだけの話なのだ。

僕の自由などと言うものはそんなものだし、不自由極まりないのかもしれない。

そんな自由さなのだ。

 

映画は映画館で観ると決めていた。

しかし観逃した映画は日本中を追っかけなくては見られない。

 

久しぶりにTUTAYAに行った。

店内の様変わりに、唖然となった。

店員がいない。見知らぬ機械が鎮座している。

自動貸し出し機ってやつなんだ。

あいにく期限切れのカードだった。

店員を探し回る羽目に陥ってしまった。

そして借りた映画は

「GONE GIRL」「マッドマックス・怒りのデスロード」の2本。

別に狙っていたわけではなかったけれど2本とも復讐劇(マッドマックスはちょっと違うかな?)

家に帰ったらカミさんがいない。近所に出かけてすぐ戻る空気感はない。

それは夫婦なら直観でわかる。

GONE GIRL

出だしはこんな調子だった。

うっかり見逃すところだったけれど、

冒頭、主人公エミーのクローズドアップに男が問いかけるシーン。

「僕たちはこれからどうなる?」

このシーンだけで、この映画は「ひっかけ」が仕込まれている感じるべきだろう。

 

 

絵に描いたような理想の夫婦が・・・そうではなくて・・・実は・・・・。

まあ、良くあるストーリーなんだけれど。

この映画を観て僕はなんだか作った人間が意図したこととは違ったコトを考えてしまったような気がしたんだ。

それは、女のしたたかさや男のアホのようなお人好しぶりやマスコミの醜悪さの暴露なんかではなくて、

人間にはプライドという厄介な代物がべったりとくっついていて、

頭で分かっていて、それを剥がそうともがいたりする人間もいれば

逆に開き直ってしまって愉しんでしまう人間もいるのではないか・・・・そんな事なんだ。

 

映画のストーリーはカンタン。

とてつもなく悪知恵の発達した女房が旦那の浮気を許さず

旦那に復讐をする。

空きのない彼女の周到な準備と段取りの良さには舌を巻いてしまう。

世間はすっかり騙されてしまうだろう。

でも、人までは殺さないだろう・・・と思ってしまう。

なぜなら動機があまりにもぷぁ~だし。

「その女アレックス」と比較してしまったんだ。

あの小説を読んで思ったんだ。

確かにこんな仕打ちをされればきっとこれぐらいのコトは想像するだろうし

こんな計画もたてて実行するだろう。

そしてそれがいま生きていくことの支えになるだろう。

まあ、僕にはそんな計画性も実行力もありはしないけれど。

動機が浮気の復讐?

しかし、この映画の面白いところはそんな動機でも十分にリアリティがある事なんだ。

オンナは裕福な家庭に育ち挫折をしらない。

いつも誰かに見つめられ尊敬され注目を集める存在。

完璧な女を演じなければ生きられない。

無様な一面は見せられず生きてきた。ダメな自分と優れた自分を同時には愛せない。

旦那に傷つけられたらやり返す。痛い目を見させ完璧に服従させる。

そうなんだ。単なるお仕置きをしたいだけ。

 

浮気をされた女たちが僕に相談に来たりする時期があった。

その時の彼女たちの口癖は誰もかれも口走るのは・・・・

「もう過ぎてしまったことは仕方ないと思ってるの、悪かったって言ってるし、もう許してるし・・・・

でもね、お仕置きをしておきたいの。」だった。

やり直しなどというものはない。男たちは実感しなくてはならない。

そんなに甘くはないんだ。おんなは・・・。

 

この映画の結末は、彼女の計画どおりコトが運んで行くところで終わる。

男は彼女が作り上げた「ウソ」を認め彼女に全面服従するところで終わる。

人のもつプライドは時として支えにもなるけれど、時として凶器にもなる。

まあ、お仕置きをされても仕方のない男は山のようにいるし、僕もその一員。

結婚する相手はクールに観察したほうが、ゆくゆくのためになるよ。

そして仮に結婚してしまって、これはいけないと思ったら、

ゆっくりと考え行動し準備をして慎重に別れなくてはならない。

プライドなどというものは投げ捨てるためにあって、

己の身を守るためにあるのではない。

 


弱者って誰のことなんだろう・・・・

2016-04-21 | 日記

熊本が・・・・いや、九州が揺れている。

もう、余震なのか本震なのか解らなくなっている。

毎日、震度3だ5だとか、スマフォの告知が頻繁に鳴動する。

怯えて眠れない。

 

先日、博多の友達にそれとなく連絡を入れたら

そんなことを言いだした。

そして、冗談まじりに 

「ガンで死ぬ前に地震で死んでしまいそうだ。不本意だ」

 

自覚して死ぬのと無自覚で死ぬのは大きく違うようだ。

 

もう、そんなコトを考える歳なんだ。

 

過ぎ去りし日々を語るよりも身の回りをキレイにし、別れ際のことを考えておかなければならない。

それは、モノであったりするけれど・・・・やはり隣人に対しての言葉だったりする。

「ありがとう」「ごめんなさい」

そんな言葉をたくさん口にするようにしよう。

 

そんなことはどうでもいいんだ。

 

内田樹。「もういちど村上春樹にご用心」の評論本を読んだ。

内田樹の考え方が好きだ。

率直であるからだ。自分で書いたことに対して逃げない姿勢。

反論に対して真正面で受取り、返す。

議論に勝つためのレトリックなど持ち合わせない。

潔さ

があるからなんだ。

 

その彼が絶賛する村上春樹の小説とはいかなるものなのか・・・?

実は、村上春樹の小説はそんなに多くは読んでいない。

ただ、こんなに世界的に読まれている小説家はどこを探してもいない。

で、何が魅力なのかを知りたかった。

 

僕が読んだ彼の小説て゛感じたことがいったいどうなのか?

正解か不正解か・・・・それを知りたいわけではない。

小説に正解も不正解はないから・・・・

読んでいる最中になぜかホッツとする瞬間が訪れる、いや、そんな感覚にならない時もあり

それがまちまちなのだ。同一の小説の中でそれが起こったりする。

で、なんだかんだとこいつは下手な小説家なのだ!と思う瞬間がある。

 

そんな単純な謎を解き明かせればいい。

 

しかし、そんな勝手な願望など、何の意味もないことが分かっただけだった。

 

村上春樹の有名なスピーチ。

「壁と卵」

どんな状況ても僕は卵の立場に立っていたい。

そんな視点で小説を書いていたい。

 

そんな意味なんだろう。

つまるところ人間はそんなに強くもないし、だらしないし、いい加減だし・・・・

それでも愛すべき生き物なのだと。

人間の業の肯定。

談志ではないか?

と、ふぅ~と思ってしまう。

しかし、小説も落語も一緒なのか?

物語であればいっしょだろう。

どちらも強くてかっこいい主人公なんかではない。

ごく普通の考え方をしている。

ただ、村上春樹の主人公は若者で日々を坦々とルーティンとしての暮らしを楽しんでいる。

しかし、どうやって生きていくのかは定まってはいない。

その点が若い人々の共感を呼ぶのだろう。

「この小説には僕のことが書かれてある」

熱烈な村上ファンは口を揃えてそう言うのだ。

さすがに年寄はそうは言わない。そう感じていてもだ。

若かった頃、思い返したて、あの頃の僕と同じだ・・・きっとそうなんだろうな。

しかし、過去の自分の歩いてきたみちなどはほとんど勘違いで

頭の中は勝手にカッコよく創作されていてよい思いでを作り上げてしまっているものなのだ。

過去に囚われていればまともになんか生きていけないからだ。

 

そう、村上春樹の小説は今の自分に目隠しをさせると同時にかこの歩んだ道のりを

カッコよくしてくれる手助けをしてくれるんだ。

 

全ての人間は全て前向きになり前のめりに生きている訳ではないし、

今の自分を肯定してくれる誰かが必要なのだ。

しかし、いつまでもとどまってばかりはいられないんだ。

先へ進まなければならない。どんなことがあったとしても。

 

しかし、下手をすれば一生とどまってしまうかもしれない。

彼の小説はそんな一面ももっている。

 

願わくば、談志のように、叱り飛ばしてほしいものだ。

「僕はナニをすればいいのでしょう?師匠・・・」

と、聞く弟子に、

「ばか!オレを喜ばせることを考えろ。そして実践しろ!」

 

前を見て歩くものには考える暇など与えられない。

行動だけが明日を作ってくれるのだ。

 


大自然に逆らえないんだ・・・・

2016-04-18 | 日記

地震・雷・火事・オヤジ・・・・

オヤジは権威を自ら失墜させてしまったから、

もうそんなことは誰も言わないし、言っても誰も納得はしないだろう。

圧倒的な破壊力をもってして、

僕らの暮らしを崩壊させてしまう。

しかも瞬時にしてだ。

予知などなんの役にもたたない。

圧倒的なチカラは誰をも差別や区別をしない。

破壊しつくすまで終わらない。

 

 

かりに、この地球に意思があったとしたら・・・・

彼も考えるだろう。

生き延びるためにどうすればよいか?

どんなものにも終わりがある。

だとしたら・・・・・あがいているのだろう。

 

 

こんなにウザイ生き物はいないだろう。

人間という生き物は。

「適度」などという感覚はない。

いや、どこかで失くしてしまったんだ。

 

なんだか、苦しい。

重い感覚が胸から去っていかない。

 

ウッディ・アレンが言ったんだ。

「家やお金といったものは、人生を深いところでかえるものではない。

成功は、健康にとっても恋愛においても何の助けにもならない。」   

 

そして、伊藤計画のこの本が僕を暗示にかける。

 

 


なぜ山に登るのか?それは・・・・降りるためだ。

2016-04-07 | 映画

映画「神々の山領」を観た。

エベレスト登頂に命をかけた登山家のお話。

 

ずっと前、FBで僕が書いたコメントに対して友人が返信した内容が

夢枕獏のこの映画の原作を読んだらいいです。と、書き込まれていて

ずっと、気になっていたからだ。

小説は読む気がしなかったので、映画を観ることにした。

 

がっつんと胸を打たれる内容の映画ではなかった。

 

でも、登山家の心の奥に潜む得体のしれぬ狂気を垣間見たような気がした。

 

山の所為にしては申し訳ない。

人間の山に対する狂気が存在するということだろう。

それがちょっとだけわかったような気がしただけなのかもしれない。

 

人の欲望。野心。

他の誰よりも優れていたい。

僕が一番なのだ・・・・優越意識。

 

どこまで行っても、見下したいのか・・・・だれを・・・・みんなを・・・

それで満足なのかい?

そんな疑問が湧き起ってしまう。

自然に対する畏敬の念。

ただ、眺めているだけでは満足できない。

それが人間なのだろうか・・・・

ただただ眺めて楽しめばいいじゃない。なんて思ってしまう。

 

いちどでも快感を味わうと、もっともっと素晴らしい快感か゜あるに違いない。

そして、そこに生死の境目が挟み込まれると快感度は加速されてしまう。

さらに、人の眼・・・注目が集まるとさらに倍増されてしまうようだ。

快楽は人間を弱くも強くもするものなのだろう。

 

最も困難、人には登れぬと断言された登山ルートを選択するのもその為かもしれない。

達成感などではない。征服感なのかもしれない。

どうしてか・・・・・仕事にしか達成感などというものはないからだ。

プロの登山家もいるだろうけれど・・・・登山に生産性は見当たらない。

この主人公もエベレスト登頂難攻ルートに憑りつかれ

世間の当たり前さに無関心になっていく。まるで悟りを開いた僧侶のようにだ。

達観したから幸せとはかぎらない。

生臭くドロドロと生きていくのが・・・やっぱりいい。