歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

郷愁、挫折、絶望、希望、欲望、孤独、そして…

2018-01-26 | 映画
そして何が言いたいんだろう…
エドワード・ヤンは。
そんなことを思った。

映画「クーリチェ少年殺人事件」を観た。
なんと、3時間56分。

ちと長すぎやしないか?
正直にそう思った。
余りにも語り過ぎ。
削る努力をするべきだろう…。

蒋介石が200万人を率い台湾に移住した。
ネイティブのことは語られず、外省人の閉塞感だけが語られる。

それぞれの家族をつぶさに描き続けるこの映画には若者たちと大人たちの混沌が描かれてはいる。

人はある年齢に達するまで、欲望の翼を広げるだけ広げて自らと対決することをしない。
否応なしに対決しなくてはならなくなると他人を非難することに終始する。

決して逃げ場などないことを知り抜いているにも関わらずにだ。
全ては己が蒔いた種。
立ち上がれそうにない。
そんな事を体験できることは幸せなことなのだ。
絶望を感じずに成せることなどない。

14歳の少年が好きな娘を刺し殺す。
衝動と言うしかない。
殺さなくたって…。
でも、殺さずにはいられない。
自分のものにならないからだ。

周りの男たちの気を惹くことだけが、彼女の生きがいなのだし、無意識にそんなことをしてしまってるのなら救われる、がしかし、自分の身を守る為ならなんでもするのだ。
しかも自らの手を汚さずに計算高く喋り行動する。おんなの生きる力だ。男たちにはできそうにもない。
まんまと嵌ってしまったら死が待ち受けている。

国が考えいることと同じのように思えてきた。

エドワード・ヤン監督はそんなことを語りたかったんだろう。

そんな気がしてならないんだ。

国家を作り上げていくという事はこの少女の行動に似ている。

振り回される男たちは喜んで死を受け入れていくのだろう。

生きているようで、
ホントは死んでしまっている男たち。
憐れで切ない。

そして、経済だけが発展していく。

どこまで登っていく。天井なんかないと…

しかし、あるのだ。
天井は。

哀しみにも終りがあるようにだ。


降りしきる雪。凍てつく道。足をすくわれそうになったが…

2018-01-23 | その他
昼を過ぎた頃から降りはじめた雪は瞬く間に積もり都心の足を止めてしまった。20センチ程度の積雪で大慌てするなんて。まったくもう…と、札幌育ちの友人がSNSで呟いていた。僕は帰りが遅くなることを早々に覚悟して家に帰ることすら諦めかけていた。

風雪。
積もったばかりの雪の中を歩くとキュキュ!と音がする。子供の頃を思い出した。世間知らずが故に無神経な言葉や行動は周囲の人々をハラハラさせたことだろう。それを、みんなは無邪気と呼んで囃し立てもした。可愛げの有無は評価基準のようなものだった。

家に帰るといつものルーティンがあり、笑顔でこなす。そして、ここから2時間がヒトリの時間。
しかし。身体のあちこちに痛みが走り始めると全ての集中力は消え失せてしまうのだ。
歳を重ねることはいい事ばかりじゃないんだ。
思い出すら自らを責め立てたりもする。支えてくれることなど万分のいちぐらいだ。
でも、生きていくのだ。

宗教かぶれのひとは口を揃えて言う。
生かされているのよ!

生きているのは僕なんだ。
周りの人たちに少しだけど気遣いを示して、
意にそぐわぬ仕事をこなし、食べ物を買っている。
別に必要とされているわけではない。
仕事は目の前にあるだけだ。
僕が自ら作り出したわけじゃないんだ。
僕以外の人がやっても一向にかまやしないわけだ。

お腹が空いたら食べる。食べるものがあるうちはね。ただ、それだけのこと。

そんなことなのに、生かされてると言う。

アフリカで栄誉失調で死んでる子供たちは生かされなかったわけだ。

積もりゆく雪の中で歩くあの音も聞けないわけで…
あまりにも理不尽じゃないかと、降りしきる雪の中を歩きながら思った。



寒い。雪が降る。

2018-01-22 | その他
三度C。
耳がちぎれそう。
年々、寒さが身に堪える。
歳はとりたくない。

映画「ベロニカとの記憶」をみた。
身につまされる。
けれど、言い訳をしたくなった。

若かりし頃の過ちは、人生の残りの日々を充実させてくれる。悔やみきれぬ行動にはそれなりの理由がある。
激情。
疵を負えばやり返したくなる。
疵を負わせば陶酔が得られる。
どちら側にいようと無疵では済まない。
長い月日が流れて忘れかけたころ、報いを受ける。誤解があれば解いてやればいいのに、そうしないのは愛がないからなのだ。
「そう感じ、そう思うのならしかたがない。」
であれば最後までそうすればいいのに…

歳をとれば意地悪な気分になる機会がふえる。
悲しいことだ。
復讐は何も生み出さない。

ひとは時として愚鈍になる。
でも、それは罪なんかじゃない。
ひとときでも愛しあったならば、それは二分しておかなければならない。

そうだよ、この爺さんも60歳を過ぎて罪に気がついたのだから…幸せなんだろう。

都合のいいことばかりは言ってられなくなる・・・

2018-01-16 | その他

副都心線に乗るのは久しぶりだった。

この町で暮らし始めたころ、止まる駅ごとに違う風景があった。

饐えた匂いがしたり、女の安っぽい香水が漂ったり、ホームのベンチが木製だったりで

停車駅ごとにその駅に降り立つ人々の暮らしぶりが想像できたりもした。

しかし、もはやそんな想像すらできなくなってしまった。

駅舎じたいが画一化され、表情など覗うことすらできなくなってしまった。

 

そんなことを嘆いたりしたところで仕方のないことだ。

しかし、この駅だけは、数年前のコトが頭をよぎってしまった。

午後11時を過ぎたこの駅のホームには人が居なかった。

平日のこの時間にはこの駅から東京へ向かう人などいないかのようにだ・・・・。

彼女は僕の手をシッカリと握りしめていたし、6月にしては少し肌寒かったのを覚えている。

見つめあったかどうかは覚えていない。

少し酔っていた。

彼女の唇は堅かった。

「できるだけ自然に、したかった・・・・」

彼女のそんな言葉が、僕の耳に残されたままだ。

 

土曜日の昼にこの駅に来るとは思わなかった。

午前11時。この駅のホームには人が溢れていた。

少し後悔した。

「新年会など棒に振ればよかった。」

1年に一度だけかつての職場仲間とこの町であうことになっていた。

忘れてしまってもよかったし、先約があると断ってもよかった。

でもなぜか楽しみにしているなどと口走ってしまった。

それは、3年前に死んでしまった友人の墓参りがこの新年会のスケジュールに組み込まれていたからなんだ。

僕より二つばかり年下だった。

若くして高血圧症だったし、年の割には美食家だったし、

女にはトラウマがあったせいなのか・・・・近寄らなかった。

一人が好きなようだった。妙に気が合い、おいしい店へ連れて行ってくれて、そのことを決して自慢しなかった。

「どう? 美味しいだろう・・・」そんな下品な言葉は一切、吐かなかった。

彼のことを懐かしいと思いここに来たのではない。

なんとはなく、彼のことをじっくり思い浮かべたかったのだ。

一緒に飲んだ酒の銘柄や、食った肴の名前など、ひとつひとつをシッカリと思い出したかったのだ。

そんなことをしたからと言って何がどうなるわけでもない。

湿っぽい気分の自分自身を憐みたかったのか。

時々はそんな女々しい自分を見つめておくのもいいのかもしれない。

なぜなら、大した人間じゃないんだ・・・そんな認識は必要なのだ。

傲慢は奈落への近道だからだ。

そんなことをこころにめぐらしていると

黄昏がいきなりやってきた。

 

海と空がキラキラし始めて、遠くに山が見えた。

僕は少し軽やかな気分になった。