歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

殺してしまおう・・・・

2014-07-21 | 日記

いつまでも自己犠牲だけが全ての支えになっていたなんてのは、もうやめよう。

つまり、周りの人たちに合わせて、空気を読むなんてことはさ・・・もう、うんざり。

自分に目覚めて、自己中心的に生きようよ、なんて言っていないよ。

ただ、自分自身の感性や、反対意見を言われたりしても、許容できる人との繋がりを大切にしたい。

たぶん、やみくもに周辺の人々の顔色と空気を読むのが上手かっただけなんだ。

それでいい時もあったしね。

でも、ホントにくたびれたんだ。

いったい僕は何を感じて生きてきたんだ・・・と。

人の話は良くも悪くも最後まで聞けたし、それに対して話もできた。

しかし、どことなく相手の欲しいがっている答が分かってしまったりして、その望む答を話していた。

自分の考えとは違ったりしても、喜ぶんだから・・・それでいい・・・と。

大概は悩みでもなんでもないのだ。そう、愚痴ってるだけだったしね。

聞いてうなずいて、大丈夫!なんてしゃあしゃあと言っていれば通り過ぎて行った。

過剰に反応したのは僕の方だし、ぶちまける方は愚痴ってるなんて思ってない。

最近のはやり言葉に「ホスピタリティ」と言うのがあるけれど・・・

特に飲食店でのサービスの総称なのかな?

ホントはこの言葉の本来の意味なんて知らない。

上手く遊ばせてくれるかどうかなんだろうけれどね。

でも、遊ばせてもらおうなんて事がどうもシックリ来ない。

遊びは自分で見つけ出したり、作り出したりしていくものだと思う。

誰かに段取りをつけてもらって、それに乗っかって気分良くなる・・・・

そんなことが楽しいとは思わないんだ。

余計な笑顔やご挨拶なんてものは、無くても一向に構わないし、

人に気遣われることが負担に感じることだって往々にしてあるし、

つまり、放っておいて欲しいんだよね。

自由に振る舞えるスペースを提供してもらえれれば充分なんだ。

そんな店はないもんだろうか?

そんなコトで言えばホテルがそうなんだけれど、

いずれにしても金をかければ、僕ごとき人間の欲求なんてものは簡単に満たされるわけだし、

しかし、数少ないともだちとゆっくり過ごす時間がもっともベターなのかもしれないね。


いつでもだれもが不安なんだ・・・でも・・・。

2014-07-07 | 日記

そう、漠然とした、得体のしれない不安がいつも心の底にあって、

恐怖と言うわけではないけれど、身体全体がけだるさに埋め尽くされたりしている。

それは、僕だけじゃなくて、多かれ少なかれみんな抱えている。

いつもいつも笑顔でいられるわけじゃないしね。

多分、それは脳細胞のホンの一部分が自分の細胞を守るために信号を発信しているんだ。

危ない危ない、そっちに行くな!とか、気を付けろよそいつには!とか・・・・

過去の経験だったり、先見性だったりする。

でも、大概はあたっていたり、外れたり、の繰り返しなんだ。

いいことの次には、悪いこと。ただそれだけなんだけどね。

何も達観しているわけじゃない。

それを解消する方法はあるのか・・・・だけれど。

あるとすれば、

ただ、ロマンチックに

目の前にいる自分の大切な人としっかりつながっていくことでしか解消されないんだ。

希望はいつだって遠くにある・・・なんて思わないことだ。

もうすでに「ここ」にあるんだ。

でも、問題は見誤らないことなんだろう。

それは、今そこにいる人が、自分にとって「大切な人」かどうかなんだけれどね。

 

 

 


想像してごらん・・・・とジョン・レノンがかつて歌ったこと

2014-07-02 | 日記

別にどっちだってかまやしないけれど・・・・

このままでいくと人類は滅びるし、地球は生き延びていくんだ。

地球にとっては、人類なんてものはちっぽけな存在なんだと思うよ。

自然の摂理というものを何とかできるなんて思う浅はかさは・・・たぶん救いようがないんだろう。

戦争反対と言いながら、武器を作り、平和を維持するために闘わなければならないという。

牛や馬や植物を殺して生きながらえている。

人とはそんなものなんだって痛感する。だから傲慢にならずに身の丈で生きればいいだけなんだろうに・・・

そんなことすら理解できずにいる僕たちは一歩たりとも成長なんかしていないんだ。

人類がホモサピエンスが二足歩行をし始めて、頭で考えて、心身を使わずに楽をして生きようと考え始めてしまったときからなんだろう。

南洋で暮らす家族が一日一日生きられる量だけの魚を捕り、北国で暮らす家族が一冬を凌ぐだけの動物を狩って、のんびり暮らしていたはずなのに・・・

経済なんてものを考え出し、ともに豊かになろう!なんて言い出した時、犠牲にする何かに対しての尊厳を失った。

そう、いつかは代償を支払わなければならないときが来るのだ。

安倍晋三はその代償を支払うために首相となったんだろう。

戦争が始まれば、真っ先に親類縁者とともに前線へと行かれることだろう。

だって、この法律を通すために命を懸けたのだからね。

そして、みんなのために一命を落とし、日本を救ったのだ・・・と国民から思われなければ

彼にとって意味がないだろう。政治家は自己犠牲がなくて存在価値などないのだからね。

自国に軍隊を持たずに平和を維持するか・・・・それが紛争多き国の密かな希望だったはずなのだ。

唯一、日本がそうだった。

人道的支援こそが、平和への道だったはずなのだ。

そのために経済力を果敢に身に着けたのだ。昼夜を問わず働けたのだ。

アメリカに媚びを売りながらも、カネで解決できることはカネで解決すればいい!と割り切っていた。

それが団塊の世代。

自己犠牲の権化だったし、それが最終的に自分自身を支えることのできたたっ理由だった。たった一つの理由だった。

いまはもう、国のほとんどの人々がサラリーマン。

経済的脳による思考しかできなくなっちゃってるんだよね。

だから、美しい日本ではない。貧しさの国ニッポンなんだ。

さてさて、じゃ、どうするのかって・・・・?

決まっているではないか・・・そう、逃げ出すのだ。

世界の果てへ、地球の果てへ

ノアの方舟。

作るのだ。