モノ言わぬその口。
待つことは
そんなに尊いことなのか。
ひとの気遣いには敏感。
自分の思いやりには鈍感。
待ってれば
いつかは良くなるんだ。
そんなことを誰に教わったんだい。
欲しいモノは
たったひとつしか手に入れることはできない。
そろそろ気付いてもいい。
そろそろだよね。
失わないうちに。

休日の夜。
家人とふたり。
夕食のあと、観るテレビ番組がないと、録画リストを開いてナニを観るかを決める。
通常のテレビ番組を観なくなって、どれぐらい経つのだろう?
映画が中心のリストだけれど、ドキュメンタリー、料理番組、がほとんど。
お笑い系番組は一切ない。クイズ番組もない。
そんな中に糸井重里し中井貴一の対談番組を見つけた。
そんな対談のなかで、中井貴一の話が、昨日の出来事とクロスして僕を元気にしてくれた。
中井貴一のお父さん「佐田啓二」がアカデミー賞の主演男優賞の授賞式のスピーチ。
「今度はがんばって助演男優賞をいただけるように頑張ります!」
そして、うちに帰ったら佐田啓二の奥さんが、嫌味を言った。
「なんで、あんなスピーチをするんですか?とても気障で嫌な感じでした。」
そこで、すかさず佐田啓二はこんな風に答えたそうだ。
「キミはなにも分かっていない。主演男優賞というものは、周りの人間が取らせてくれるものなんだ。
しかし、助演賞は違う。自分自身の努力でとれるものなんだ。」
今日はなぜかそんな中井貴一の話を思い出したんだ。
朝、起きたときから気分が落ち込んでいた。
昨夜、朝からイベントって言うか、とある健康志向系の社団法人を立ち上げを手伝った、その第一回の理事会と記者会見を
イベントぽく仕込み進行を任された。
全体を取り仕切りこの法人を作るにあたってキーとなる人物とそれを進行するスタッフ5名でのチーム作業だった。
この会はなんとかうまく進行し、プレス関係も良く取材に来てくれた。
驚いたことに某国営テレビ放送局が取材にやってきた。
現役時代でも似たような仕事をしたけれど、この放送局がやってきたのは初めてのことだった。
この企画の中心だったN氏とともにびっくりし喜んだ。
無事に終了し理事である高名な医者からも労いの言葉もかけられた。
正直、嬉しかったし、達成感もあった。
荷物もあった。17時を回っていたので、残りのスタッフたちには解散を告げ、仕事場へ戻り雑務整理をした。
19時近くに仕事場を出て、小腹がすいたのでタ卵とじ蕎麦を食べ、ドトールへ入った。
疲れていた。とても。半日は立っていたから。
本を読む気にもなれなかった。スマホを開いてFBを観た。
想像はしていた。
案の定、Nさんが今日のイベントのコトをアップしていた。
もちろん、この協会のPRをすることが前提で書き込んでいる・・・・・
しかし、僕の受け取った印象は「僕が作ったんだぜ!」と目いっぱい言っているように感じてしまった。
とても恥ずかしい気がした。
自分のやった仕事は自ら進んで言い放つには中身がプア過ぎるし、何もかも全部自分で作ったわけではない。
その書き込みには「はにかみ」「てらい」「ためらい」もなかった。
もう少し、自分を出さずに広める手法があるのではないか・・・そう思った。
従って、「いいね」は押さなかった。
嫌な気分だったけれど、それほどではなかった。
しかし、数時間してからFBを観た。
仕事を手伝ってくれているK嬢が、Nさんの投稿に「いいね」をし。協会のHPをシェアしていた。
ここまでの設立への協力は彼女としてはさほどチカラを発揮していたわけではない。
だから、協力してるつもりなんだとは分かっている。
しかし、一向に気分は良くならず、この苛立ちはかえって倍増してしまった。
そして今日、11時過ぎに仕事場へ足を踏み入れ、PCを開き、メールチェックをした。
12件ぐらいのメールの中に、この協会のサイト制作をしてくれている会社のSさんからものがあった。
某国営テレビ局のニュースサイトのURLが貼り付けてあり、賛辞を送ってくれた。
とてもありがたかった。
Nさんはまだ来ていなかった。たぶん来たら自分のFBに「いいね」をしなかったことを遠回しに聞くだろうな・・と思った。
で、某国営テレビ局のニュースサイトをFBに投稿しておいた。
もちろん僕だって、このネタをどうやって広めるかぐらいは考えていた。
拡散方法は俺が俺がと前へ出たら反発を食らうのが関の山だと思っている。
仕事が忙しい忙しいと言ったり、長い出張をして全国を飛び回ってるんだ・・・なんてことをFBに投稿する奴。
仕事のことを細かく投稿するのは自己弁護のような気がして、嫌な気分になるのだ。
僕はこんなにたくさん仕事しています。どう、エライでしょ。できる奴でしょ。カッコイイでしょ。
そんな風に受け取ってしまう。ひねくれているんだ。
そんなこんなもあって最悪の週末になってしまった。
なにが言いたいか・・・って。
そう、中井貴一が続いて言ったのは。
「いい子分がいなくなったから、いい親分がいない。とくに政治の世界で・・・」
いい子分になろうと覚悟しないで、すぐに親分になろうとする人たちが多いということなんだろう。
威張りたがったりする人たちも、自慢話をしたがるのも・・・気持ちは分かる。
周りの人間が褒めてくれるのをジッ~待つことができないのだ。
自分の存在を自分の口で言わないとだれも分かってはくれないと思うのだろう。
つまり、不安なだけなのだ。
謙虚であることはかなり難しい。
そんなこともあって、この二人にはがっかりしてしまった。
同じ匂いがし始めたんだ。
そうでないことを願うけれど・・・・・
このような感は往々にしてピッタリと当たってしまうのだ。
一日の始まりはいつだってこうだ。
掃除機の音。
まるで、虫になってしまったような気がする。
そう、小さな羽虫。
コーヒーとリンゴとヨーグルト。
もうすっかりこの朝食には慣れてしまった。
特に不満などはない。もともと、食べ物に変化やコダワリがあるわけではない。
ただ差し出されたものを美味しそうな顔で食べる。
満足することでもなければ、不満をまき散らすこともない。
そして、ゆっくりと朝刊を読む。無駄口は聴きたくない。朝から・・・
運よく、僕には毎日行くべき場所があるし、やるべきこともある。
恵まれているのだろう。
それなりに、頼りにされている・・・ところもある。
しかし、必要とされているかどうかは別。
仕事があるだけなのだ。
つまり、その仕事は僕でなくてはならないコトではないのだ。
他の誰かがやってもおかしくはない。
そう、誰でもができるのだ。
仕事というものは、オオヨソ、そのようなものなのだ。
仕事が「先」にあるのだ。
仕事は世の人々の必要があるから成り立つもののことを言うのだ。
だから、あせってはいけない。
生意気を言ってはいけない。
謙虚の意味も、思いやりも、厳しさも、優しさも、そして、愛さえも教えてくれたりもするのだ。
だから、
不満があったとしても、しばらくはみんなの言うことに耳を傾け静かに言われたことをキッチリやればいい。
毎日毎日が同じ繰り返しであったとしてもだ。
修行僧のように過ごす日々があったかなかったか・・・・
そんな日々を懐かしく思えるときが来れば、
人生めっけものなのだよ。
そう、あの「ミレニアム」の三作目「眠れる女と狂卓の騎士・上巻」。
途中でホッタラカシの時間があったけれど、最後の20ページぐらいで狂ったように読んでしまった。
まだ、下巻は買ってもいない。
しかし、この物語を読み終えると、つまんなくなっちゃう。
なんて事を思ってしまえるくらいに面白い。
何が面白いかって言うと、サランデルという女が面白いのだ。
信じられない境遇に放りこまれて、25年間も良く生き延びてこれた・・・
小説だから、当然なんた゜。でも
脇役がしっかりと描かれているからリアルなんだろうね。
物語のステージはスウェーデン。まったく馴染みのない国だということもあって、
街や森や湖の風景など描写がすばらしかったり、想像力をかき立てられるんだ。
それに、スウェーデンの国のあり方なども、書き込まれてしまうと信じるしかなくなるしね。
幼児虐待、女性蔑視、性犯罪。
よく調べてある。
ディティールにこだわれば、リアリティが増すのは当然なのだ。
映画や絵画もそうのように・・・同じなんだ。
ただ、いかに表現するかが問題だけれどね。
でも、僕がこの物語が好きなのは、そんな事じゃなくて、女を描ききってるところなんだ。
登場人物で、とても魅力的に書かれている「エリカ・ベルジェ」。
野心に燃えるマスコミの寵児。しかし、僕には醜悪にしか映らない。
マスコミ人のポリシーを大手マスコミの経営陣に語るところが随所にある。
しかし、どれも薄っぺらな正義論なんだ。
事実が全てで、その積み重ねに真実があると信じきっている。
人間の行動の事実は、見聞きした以上のものがあるわけで、誰も結論付けなどできやしない。
社会悪を暴いて糾弾し、世の中を正す。
薄っぺらな記者。そう希望に胸を膨らませて入社してくる新聞社の新入社員とレベルは同じ。
本当に真実を知ってしまったら・・・・記事になんかできゃしないんだ。
正論は正論でしかなくて、世界は変わったりしない。
そしてもう一人、「ミカエル・プロムクヴィスト」。
男として救いようがない男。
オンナの愛にきっちり応えられない男は最低なんだ。
サランデルは別にスウェーデンと言う国に自分の正当性を認めてもらいたがったりしてるわけではない。
ただ、自分で選んだわけでもない出生を自ら引き受け、文句も言わず
厄災が訪れると自らの力で乗り越え生き延びるのだ。
そこに、誇りを感じて生きている。
別に他人にどう思われようとほっておいてくれれば楽しく生きていけるのだ。
ただ、ひとつ「ミカエル」と出会ったばかりに、「愛されたい」と願っただけなんだろう。
最悪の境遇のなかで否定してきたものは「愛」だったんだろう。
でも一番欲しいと願っていたものは、誰かに愛されることだったし、愛することだったんだ・・・と思う。
この3部作の結末はまだ読んではいない。
下巻を買うのはもう少し後になる。
だって、上巻を読み終えた余韻を、もう少し愉しみたいんだ。
特に気になることもなく平穏な日々が続くと、どこかしら胸騒ぎが起きて僕を不安にさせる。
それは、会話をしないからなんだろうと思う。
別にそれが人である必要もない。
公園の欅だったり、郵便ポストだったり、登校途中の小学生であっても
一向に構わない。
僕が差し出した言葉に対して、丁寧におうむ返しでもしてくれれば気持ちが落ち着くんだ。
感謝は感謝で帰ってくるし、ありがとうはありがとうで帰ってくるものなのだ。
ただ、時々帰ってこなかったり、満足できない答が返ってくることもあり得る。
でもそんな時、ひとはイラつくんだろう。
自分の欲しい答がいつでもあって、その答えが返ってくるまで
人は、尋ね続けるんだろう。
会話は別段、情報交換ばかりが目的ではないんだし、
自分自身の存在を確認するために。基本的にあるんだしね。
そう、大袈裟に言えば
「私は生きていていいんですよね?」
なんて、いつも問いかけてばかりいるんだから・・・。
一人でいると疲れてしまうし、なぜかと言うと自問自答ばかりしなくちゃならない。
それが、正直に自答すればいいけれど、なかなかそうはいかないんだ。
嘘で固めた自分がウソの質問を繰り返せば、ウソの答えしか返ってこない。
なんて、つまらない週末を過ごしてしまったんだろう?
この心を落ち着かせるのには・・・簡単なんだ。
いま、君の、僕のそばにいてくれる人に、素直に聞けばいいのだ。
正直に、「君は昨日何をしていたの?」
ただそれだけでいいんだ。
ホントに、答はカンタンなんだ?