歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

久しぶりに芝居を見たけれど…

2016-06-20 | 日記
何年振りなんだろう?芝居を見るなんて。音楽ライブはともかく、演劇のもつ不自然なセリフや大袈裟な身振りに抵抗を覚え、特に蜷川幸雄的な芝居にはウンザリ感が僕の中にあった。そんな気持ちを抱えながら、とある成り行きで熱海五郎一座を見る羽目になってしまった。
そもそも主宰の三宅祐司が好きじゃない。バカになり切れなさがなんとも歯がゆくて半端な役者にしか思えなかったからだ。

しかし、この芝居を見て絶賛する気にはならなかったけれど、彼がやろうとしている芝居の意味は感じられた。劇団を率いる自負心は己自身の存在を証明するには格好のオモチャなんだろうね。その為には何ものをも恐れない。そんな気負いが劇団員の心を鷲掴みにしている。売れっことして排出した役者は二人。僕の知る限りはね。
そして彼らは、この劇団にはいない。どうしてかって…それは、劇団なんか作りたいなんて思っちゃいいないからだよね。
可哀想なのは三宅祐司。しかし、彼はそんなこと思っていない筈だ。少し寂しくなったりするけど、ちょいと腹立たし気持ちになったりするだろうけどね。おおむね、満足してるんだと思う。
それは、半端な気持ちがそうさせてる気がする。
覚悟なんてせずになすがままに、成り行きで時の流れに身を任せる。矛盾するけどそうありたいと強く願ったように思うんだ。

シナリオはいい加減で笑いが練り込まれず、新しい笑いはなく間のタイミングはズレるから笑いとペーソスのバランスは崩れ歌や踊りは半端で僕をイライラさせる。

笑いの究極は痛さ。

そんなコトバはザレごと。

そうは言っても観客は大笑いして大受けなんだぜ。そうだよね。それが現実。

嫉妬なのかもしれないんだ。

学生演劇部のノリを堅持しながら商業的に成功ささている彼らに対して…

でも、僕には観客に媚びへつらう喜劇は、喜劇じゃないんだ。

いつか何処かで・・・

2016-06-15 | 旅行

サザンオールスターズの歌でこんなタイトルがあったような気がした。

失恋の歌なのか、男が捨てた女コトを思い出しながら後悔して悔やんでいるのか意味不明だけれど

理屈が通らなくても感じ入る歌はいくらでもあったりする。

聴いているほうには支離滅裂な歌詞のなかで

響く言葉だけで感じ取れることが多分にあるものなのだ。

 

たとえば・・・

雨の音だけ聞いただけで泣けちゃったりするのは

それが音だからなんだ。

言葉は文字にして響いたりするものと、音にしてはじめて響いてくるものがあったりする。だから面白。

 

暗く澱んだ夜にだって

刺すような朝陽の中にだって

音が存在している。

それを聴き取れるのはなにも耳だけではないしココロだけでもない。

 

いまの心の在り方に左右されたりはするけれど

自然と聞こえて来るんだ。

 

そんな時を逃さずに

そんな自分のなかの誰かの言葉に耳を傾けたいと思う。

外的要因だけではない。

変身するつもりなど、もうとうないけれど・・・

少しだけ自分自身を元気づけたかったりするときには

 

静かに目を閉じてしまおう。

 

 

 

 

 


梅雨は恵み、夏の日々をイキイキと過ごすためなのか・・・・

2016-06-13 | 日記

梅雨入にも気付かず、気怠い日々を過ごしていた。

目覚めは雨音だった。

相変わらず午前6時30分には掃除機の音がして

拭き掃除の音がする。

まるで禅寺で暮らしているかのようだ。

しかし、けっして不満ではない。

家中が磨き上げられているというのは

とても素敵な事だからだ。

さあ、始めよう!

そんな気持ちになるのは確かなんだ。

今日は昨日の続ではないし明日への踏台でもない。

限られた1日なんだ。

 

僕の1日はそんな朝から始まる。

 

それにしても努力しています。そんな言葉、ついぞ聞いたことがない。

ごく当たり前のことなんだと思う。

 

藤山寛美の娘と香川照之が対談しているTV番組を偶然見た。

「努力などししたことがない。日常の習慣なんです。稽古はね。私は芸人ですから・・・」

芝居役者芸人は日ごろの鍛錬がすべてなんだろうし、辛抱して我慢して、なんて言っているうちはモノにはなっていない。

 

人に乞われた芝居が、自然にふぅ~とできなければ芸人とは言えないんだろう。

それが一流の証。プロとアマの違いは大きいよ。

考えずにカラダが動き出すようにする。

だから毎日のルーティンが大切だと言っている。

 

そして、それとは別に香川照之の質問

「もうすぐ60歳を迎えられそうですが・・・準備は何かしてますか?」

なんて、俗っポイ質問なんだろう

 

「芝居の神様はいてはると思ってます。その神様がおっしゃるには、

山登りであればもう8合目。ここからは酸素も薄くなるし体も疲れている

だから、背負うモノは少なくしたほうがいい。」

たしかに、僕も60歳になるころに思った。

何もかもが面倒くさいと・・・・ある種の解放感を味わったんだ。

何物にもとらわれずに、囲われずに生きていけそうな気がしたんだ。

余計なしがらみなど糞くらえ!って。

何処かでそんな声が聞こえたんだ。神様の声だったんかな・・・・

そう、誰だって人に嫌われたくないし、好かれたい。

でも、自分を嫌いになってまで人に好かれて気持ちいいのか?

そんな疑問がいつの間にか心の片隅に鎮座していたんだ。

かといって自我を押し通そうなんて、何が何でも・・・なんて思ってもいないんだ。

「どっちでもいいんだよ・・・ぼくは」そんなことが山ほどあるからね。周りには。

右か左か白か黒か・・・どっちでもいいんです。そんな返事もありなんだ。

 

こんなふうにして日々すごしていくのか・・・

きょうも、ものすごく無駄な時間を過ごしたと言う思いでいっぱいだけれど

 

そんな怠惰な自分も許している。


覚めないで・・・と願う夢があったとしても。

2016-06-06 | 映画

眠りのなかで、ああ夢を見ているなぁ・・・なんてコトはよくある。

夢と現実がこんがらがってしまって、自分がどこに居るのかさえわからず

夢の続きを現実に持ち込みながら遠い目をして一日棒に振ることは誰にでもある。

 

それはたぶんに暮らしの中でのフラストレーション?

肩に積った雪のようで、重くはなく軽くはなく、でも寒さばかり肩から体内に浸み込み

体中を凍えさせてしまう。

気が付いたとき、もう遅い。死を待つだけなんだ。

 

「リップ・ヴァン・ウィンクルの花嫁」を観た。

 

何気ない日々のなかで

誰にも気づかれずに、善意や悪意が渦巻いている。

主人公の女性は無自信のなかでも少しづつ自分を良くしたい地道な努力を重ねながら生きている。

そんな彼女に襲い掛かる世間の悪意は、便利屋と名前を変えて彼女をゼロ地点へと突き落としていく。

出会い・結婚・浮気・離婚・木賃宿・親友・死・ホントの出発

このすべては便利屋が彼女に関わりある人間から依頼を受けて仕組んだこと。

人は己の欲望を満たすためにはなんでもする。

 

しかし、すべての始まりは彼女の素直さがそうさせてしまう。

結婚式の打合せのとき、彼氏に言われる。

「親戚少ないね・・・・バランス悪いよ」

この一言で彼女は彼の望むことに応えようと、軽い気持ちで友達に相談し結論をだす。

映画を観ていて、「おいおい、そっちへ行っちゃダメだよ!」なんて思っている僕。

そう、誰かの期待には応えたい・・・・比較的簡単にそれができちゃうので困ったことになっていく。

そして、便利屋に依頼をする。

しかし、この便利屋は彼女を途中で放り出したりはしない。

便利屋が仕掛けたことの顛末後に彼女を助ける。

マッチポンプビジネス。

商売の鉄則。

 

お金というものは便利なものだ。

人の気持ちを楽にさせてくれる。

たとえば善意、いや大袈裟だ。

サービスという当たり前の事柄。

それを負担に感じる人間がいる。

この映画の「真白」。

彼女は言う。

「私みたいな人間にコンビニの店員は買ったものを袋に詰めてくれる・・・・」

サービスとは買った製品に加えて「買ってくれてありがとうございます!」

そんな気持ちを表すためにおこなうモノなのだろう。

しかし、彼女は違う。あまりにも自分を卑下するがゆえに・・・・そのサービスが負担になる。

そうなのだ、頼みもしないのに善意を押し付けられ感謝しなさいよ。。。なんてことをサービスした人から思われたら

居たたまれない。

普段はそんなコト思いもしない。

機嫌よく、「ありがとう!」なんて思い。愛想がいい店員だ。今度またここで買い物しよう・・・・。ただそれだけのこと。

 

そんな負担をお金が帳消しにしてくれる。

サービス料と言う形にすればいいからだろう。

 

人は優しくて、思いやりがあって、気遣いや気配りがあって関係が成り立っている。

でも、ちょっと違うんだよね。

本物のホスピタリティはお客が負担にならない様に仕組んで

ありがとうの言葉さえかけさせずに気分良く過ごさせることなんだと思う。

 

過大な贈り物をもらって、お返しの品を考え込まなくてはならないのなら

貰わない方が良いに決まっている。

あの、ヴァレンタインのチョコレートに対するホワイトデーのようだ。

 

この映画は、普通の女が少し大人の女になっていくごく僅かな時間を切り取って見せてくれている。

 

でも、近ずかぬ方がいいと思う。

この素直さには・・・・・

 

汚れてしまっている僕たちには毒物のような気がする。