眠りのなかで、ああ夢を見ているなぁ・・・なんてコトはよくある。
夢と現実がこんがらがってしまって、自分がどこに居るのかさえわからず
夢の続きを現実に持ち込みながら遠い目をして一日棒に振ることは誰にでもある。
それはたぶんに暮らしの中でのフラストレーション?
肩に積った雪のようで、重くはなく軽くはなく、でも寒さばかり肩から体内に浸み込み
体中を凍えさせてしまう。
気が付いたとき、もう遅い。死を待つだけなんだ。
「リップ・ヴァン・ウィンクルの花嫁」を観た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/43/ad/75dc0b4bed03e81d8ff704048859a4eb_s.jpg)
何気ない日々のなかで
誰にも気づかれずに、善意や悪意が渦巻いている。
主人公の女性は無自信のなかでも少しづつ自分を良くしたい地道な努力を重ねながら生きている。
そんな彼女に襲い掛かる世間の悪意は、便利屋と名前を変えて彼女をゼロ地点へと突き落としていく。
出会い・結婚・浮気・離婚・木賃宿・親友・死・ホントの出発
このすべては便利屋が彼女に関わりある人間から依頼を受けて仕組んだこと。
人は己の欲望を満たすためにはなんでもする。
しかし、すべての始まりは彼女の素直さがそうさせてしまう。
結婚式の打合せのとき、彼氏に言われる。
「親戚少ないね・・・・バランス悪いよ」
この一言で彼女は彼の望むことに応えようと、軽い気持ちで友達に相談し結論をだす。
映画を観ていて、「おいおい、そっちへ行っちゃダメだよ!」なんて思っている僕。
そう、誰かの期待には応えたい・・・・比較的簡単にそれができちゃうので困ったことになっていく。
そして、便利屋に依頼をする。
しかし、この便利屋は彼女を途中で放り出したりはしない。
便利屋が仕掛けたことの顛末後に彼女を助ける。
マッチポンプビジネス。
商売の鉄則。
お金というものは便利なものだ。
人の気持ちを楽にさせてくれる。
たとえば善意、いや大袈裟だ。
サービスという当たり前の事柄。
それを負担に感じる人間がいる。
この映画の「真白」。
彼女は言う。
「私みたいな人間にコンビニの店員は買ったものを袋に詰めてくれる・・・・」
サービスとは買った製品に加えて「買ってくれてありがとうございます!」
そんな気持ちを表すためにおこなうモノなのだろう。
しかし、彼女は違う。あまりにも自分を卑下するがゆえに・・・・そのサービスが負担になる。
そうなのだ、頼みもしないのに善意を押し付けられ感謝しなさいよ。。。なんてことをサービスした人から思われたら
居たたまれない。
普段はそんなコト思いもしない。
機嫌よく、「ありがとう!」なんて思い。愛想がいい店員だ。今度またここで買い物しよう・・・・。ただそれだけのこと。
そんな負担をお金が帳消しにしてくれる。
サービス料と言う形にすればいいからだろう。
人は優しくて、思いやりがあって、気遣いや気配りがあって関係が成り立っている。
でも、ちょっと違うんだよね。
本物のホスピタリティはお客が負担にならない様に仕組んで
ありがとうの言葉さえかけさせずに気分良く過ごさせることなんだと思う。
過大な贈り物をもらって、お返しの品を考え込まなくてはならないのなら
貰わない方が良いに決まっている。
あの、ヴァレンタインのチョコレートに対するホワイトデーのようだ。
この映画は、普通の女が少し大人の女になっていくごく僅かな時間を切り取って見せてくれている。
でも、近ずかぬ方がいいと思う。
この素直さには・・・・・
汚れてしまっている僕たちには毒物のような気がする。
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