歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

芝居のフィナーレのような桜の花びらが舞っていた・・・・

2020-04-28 | その他

矢上川の土手を散歩するのが日課になってしまって、感染症のお陰でのんびりとした日々を過ごしている。

これでいいのだろうか? と、思えるほどにだ。

余りにも時の流れと世間の移り変わりに敏感でありすぎた。

両隣の人々の顔色を窺いすぎてしまっていた2か月前とは大違いだ。

長閑な日常を退屈な日々と固定してしまうのは危険な状況の前触れ。

始まりがあれば終わりはやってくるわけで、終わりは誰の所為でもなく、吹き荒れる風の所為なのだ。

 

いままで、僕の周辺の人々の本当の気持ちも少し理解できてしまうことも喜びの一つなんだろう。

それは、その人を好きとか嫌いとか、そんなことではなく、ただ、そう思うのだ。

そんな思いを心に書き留めておくだけなのだ。

そんなことで、今の今を過ごして少しばかりの未来を見つめて生きていく。

大切なものは一体何?

そんなバカげたことに思いを馳せてしまうのは愚かな欲張りのすること。

木々の緑の葉の一つ一つを見続ければ判るはず。

葉っぱはすでに芽吹いた葉のじゃまにならぬように生えそろう。

それは考えないからなんだろう。あるがままに持って生まれた樹木の持つ生命力の感覚に倣っているだけなのだ。

暮らしの日々のなかで、こんなに静かな気持ちで樹木たちを見つめ続けたことはなかった。

こんな日々に巡り合えたことを記憶の中に留めておきたいものだ。


孤独は夢が支えている。夢は孤独が支えている。

2020-04-15 | 音楽

もはや、曖昧で猥褻な国など信頼するに価せず、自らの身は自らの努力で守るしかないわけで、家族があれば家族のリーダーとしての役割を言い聞かせて行動するしかないのだ。

至極、当たり前の話だ。溢れかえる情報を自らの脳髄で処理し行動に移す。それを繰り返すことで学習しながらも自らの感覚を信じて身を守る。老人ならではの能力を存分に発揮すればよいだけではないのか。

“ぼっち”を恐れてばかりいては埒があかない。

人は生まれてきた時も死ぬ時も“ぼっち”なのだ。そして必ず死ぬ。

不条理もまた必然なのだ。人間のすることなのだから間違うのは当たり前。

あるがままに頭のなかのホワイトボードに書き殴っておけばよい。

誰それが、そう言っていた。書いていた。と。

そして、合理的に効率の良い方法で利益を得る。

そんな考え方は誰も幸せにしないことが判明したのだ。

経済力や軍事力では国民を守ったり幸せにできないことが判った。

為政者はコロナ禍が終わった時、自分たちの立場の事ばかりを心配する。

大切なのは未来ではなく、今なのだ。

いずれ収束する。開けぬ夜はない。雨はやがて止む。そんな思いだけが蔓延している。

しかし、降りやまぬ雨もあるかもしれぬ。人間はコロナウィルスで絶滅することだってあり得るのだから・・・

そんな考え方で腐った頭を使っていたってこの厄災は終焉を迎えないだろう。

止める方法は自らの力を信じて行動するだけだ。

そのためには自らの五感と第六感を研ぎ澄ませフル稼働させ、感染しないこと。

もし感染したら静かに息を整えること。軽症であれば抗体が生まれ治癒する。

自浄作用を信じることだ。

ただ、忘れてならないのは60歳以上の老人には決して近ず、そして何よりも病院に近ずいてはならない。

そのためには孤独になることを恐れず、寂しさを味わい尽くすのだ。