今の時季いろんな場所のキキョウの開花情報を知ることができる、わんちゃん的にはキキョウがダイスキで庭に植えている。
キキョウが大好きな友人の庭から引っ越してきたのです。それより前にも道の駅なんかで見かけたら買い求め庭に植えてみた、キキョウはウチの庭では相性が悪いのか育たなかった、「あの紫の凛とした姿はウチの庭ではアカンのかいな」と。そんな時、「種から育てて庭にいっぱい咲いてんのよコレ、わんちゃんとこに植えてみて」と……。元気に育ってます。ホッと一安心。
何年か前に京都御所の傍の蘆山寺に桔梗を愛でに行ったことがあった。枯山水の庭に桔梗が印象的やった。
紫式部に縁があるとか。大河ドラマも欠かさず観てるし、行ってみよか。
もともと、蘆山寺は現在地より北西の船岡山の南に建立されましたが、応仁の乱で焼失。延暦寺系ということで織田信長に狙われたりもしつつ安土桃山期の天正年間に現在地に移転。江戸時代にも1788年の天明の大火で伽藍を焼失するものの、光格天皇によってすぐ近隣の『仙洞御所』の御殿の一部が移築され再興。
平安時代に紫式部が過ごした邸宅のあった場所に建つ寺院ということで、『源氏庭』が作庭されました。
この地が紫式部の邸宅だったと論証されたのは1965年(昭和40年)。紫式部の祖父・藤原兼輔(権中納言)の建てた“平安京東郊の中河の地”の邸宅というのが現在廬山寺の境内であったと歴史学者・角田文衞により考証されました。
その後、父・藤原為時とともに越前国からこの邸宅に移り住み、その後紫式部はこの地で『源氏物語』『紫式部日記』を執筆しました。
枯山水庭園“源氏庭”はそれにちなんで昭和40年(1965)に作庭されたもの。平安時代の庭園の曲線的な特徴を、現代の苔と白砂に置き換えたもので、白砂は空、苔は屏風などによく描かれる通称“源氏雲”がモチーフ。
源氏庭 桔梗咲いてます
源氏物語 五十三帖 手習『桔梗』こちら
キキョウが大好きな友人の庭から引っ越してきたのです。それより前にも道の駅なんかで見かけたら買い求め庭に植えてみた、キキョウはウチの庭では相性が悪いのか育たなかった、「あの紫の凛とした姿はウチの庭ではアカンのかいな」と。そんな時、「種から育てて庭にいっぱい咲いてんのよコレ、わんちゃんとこに植えてみて」と……。元気に育ってます。ホッと一安心。
何年か前に京都御所の傍の蘆山寺に桔梗を愛でに行ったことがあった。枯山水の庭に桔梗が印象的やった。
紫式部に縁があるとか。大河ドラマも欠かさず観てるし、行ってみよか。
もともと、蘆山寺は現在地より北西の船岡山の南に建立されましたが、応仁の乱で焼失。延暦寺系ということで織田信長に狙われたりもしつつ安土桃山期の天正年間に現在地に移転。江戸時代にも1788年の天明の大火で伽藍を焼失するものの、光格天皇によってすぐ近隣の『仙洞御所』の御殿の一部が移築され再興。
平安時代に紫式部が過ごした邸宅のあった場所に建つ寺院ということで、『源氏庭』が作庭されました。
この地が紫式部の邸宅だったと論証されたのは1965年(昭和40年)。紫式部の祖父・藤原兼輔(権中納言)の建てた“平安京東郊の中河の地”の邸宅というのが現在廬山寺の境内であったと歴史学者・角田文衞により考証されました。
その後、父・藤原為時とともに越前国からこの邸宅に移り住み、その後紫式部はこの地で『源氏物語』『紫式部日記』を執筆しました。
枯山水庭園“源氏庭”はそれにちなんで昭和40年(1965)に作庭されたもの。平安時代の庭園の曲線的な特徴を、現代の苔と白砂に置き換えたもので、白砂は空、苔は屏風などによく描かれる通称“源氏雲”がモチーフ。
源氏庭 桔梗咲いてます
源氏物語 五十三帖 手習『桔梗』こちら