【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

高円山(奈良大文字山:432,2m) 2020-12-04

2020-12-10 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング

興福寺前10時集合でしたが、西国三十三霊場第九番 興福寺南円堂で御朱印をいただきたいので早めに出かけました。

御朱印をいただきました、重ね版です。

興福寺
「右近の橘、左近の桜」は京都御所紫宸殿の階(きざはし)の両側にあって名高いですが興福寺は藤原氏の氏寺、「右近の橘、左近の藤」とか・・・







春日大社の参道から「下の禰宜道(通称:ささやきの小径)」を通り抜け高畑の方へ。

寺山霊園(奈良市営)のそばを通り高円山登山口に



万葉集1028 ますらをの高円山(たかまとやま)に迫(せ)めたれば里に下(お)り来(け)るむざさびそこれ
天平 十一年(739年)、聖武天皇が高円の野で狩をしたときに、小さな獣が都の中に逃げ込んだ。このとき偶然勇士に出会って生きて獲えられた。そこでこの獣を天皇の御在所に献上するときに添えた歌。獣の名は俗にムササビという。

    勇士たちに高円の 山へ追い詰められたので
    里へと逃げて下りて来た これがムササビでございます
原注
この一首は、※大伴坂上郎女の作である。しかし、まだ歌を天皇に献上しないうちに小さい獣は死んでしまった。だからこの歌を献上するのを中止した。
※大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ、生没年不詳)は、『万葉集』の代表的歌人。大伴安麻呂と石川内命婦(いしかわのうちみょうぶ)の娘。 大伴稲公(おおとものいなきみ)の姉で、大伴旅人(おおとものたびと)の異母妹。大伴家持の叔母で姑でもある。『万葉集』には、長歌・短歌合わせて84首が収録され、額田王以後最大の女性歌人である。

高円山上り


高円山大文字火床

戦没者供養の送り火が実施される空間は大パノラマが広がる眺望スポット
奈良大文字⇒こちら
火床でお弁当
奈良市内から西方面の眺望がすごかった。


高円山から下山の時


「わんちゃん下りの時はストックを長く伸ばして使った方がいいよ」っとちょっと先を歩いてるMさんが振り向いて声をかけてくれました、言われた通り長くしたらラクチンでした。
前日に「わんちゃん、ザックの中に一枚羽織るものがあった方がいいわよ、山の上でのお弁当となったら寒いからね、それとね、大文字火床に登る最後はキツイから、ストック持って行った方がいいわよ。」うん、大いにお役立ち。

春日大社で解散、







わんちゃんたちは東大寺の方へ散策の後、近鉄奈良駅から家路へ。
鹿さんたちに癒されました




歩数計は23,580カウントしてました。
2013年2月1日登山してましたこちら

宇治・天ヶ瀬ダム 2020-11-06

2020-11-13 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング
JR宇治駅前からスタート
宇治橋を渡り宇治神社⇒こちら




ちょうど七五三の時期だったからか、拝殿の前に「智恵の輪」という茅の輪くぐりの輪のようなものが設置されていて、それをくぐって参拝するようになってました。
見た目は6月末(夏越の祓い)に各地の神社で見られる「茅の輪」⇒こちらですが、よく見ると上の分には稲穂が下がっているのが特徴。この輪をくぐることで稲穂の実のようにたくさんの智恵を授かり、実りのある生活が過ごせるようにと祈願をするためのものだそう。くぐる回数は1回でよく、茅の輪のように8の字にくぐる必要もないそうです。個性的な宇治神社の智恵の輪。わんちゃんももちろん一回だけくぐりましたよ。

続いて宇治上神社⇒こちらへお参りです。


『宇治神社から宇治上神社までは近いですが、その道が風情が有って静かな宇治らしさを最も感じました。さわらびの道と呼ばれていて、源氏物語の早蕨の巻に因んだ名だそうです』ということを後になって知りました。



仏徳山の山中を歩いたのですが、どんな様子だったのか写真が一枚もありません、ず~っと登りが続き下りは石ころといっぱいの落ち葉を踏むと滑りそうで、案外シンドかった、写真を撮る余裕が無かった。

仏徳山展望所から宇治市内の眺め、

すぐ下の森は平等院
天ヶ瀬ダムを上から眺めて、しばしの間休憩






亀石附近の宇治川


観流橋


朝霧橋、橋を渡れば宇治神社


宇治橋に張り出すように設けられた「三の間」


現在は橋姫神社として橋の西側に移された、かつての橋の守り神である「橋姫」がこの場所に祀られていた名残りであるとか、豊臣秀吉が茶の湯に使う水を汲ませた場所などともいわれ、毎年10月に開催される「宇治茶祭り」ではこの逸話にちなんだ「名水汲み上げの儀」が執り行われる。

塔の島で鵜飼のスタッフさんが鵜飼の訓練をされてた、のをちょっと見学。






ここで、解散。
この後一緒に歩いたMさんのたっての希望でこの辺りで一番お薦めのソフトクリームのお店で一服。甘さあっさり、ジャンボなサイズニモマケズ完食。抹茶ミックス(抹茶味とバニラ味)ナルホド美味しかったです。

食べ終わってから、撮り忘れに気が付いた。

JR宇治駅から帰路に。歩数計は24541カウントを記録。

マンホール

宇治と言えば、宇治茶!市章の周りに、お茶の葉が沢山描かれています。


市章は宇治市の「宇」を図案化したものです。

宇治市は古代から交通の要衝であり、平安貴族の別荘地として栄え、平等院など多くの歴史・文化を今に伝えています。 本マンホール蓋は、市の木「イロハモモジ」と宇治川に架かる宇治橋「三の間」、川面に立ち昇る「川霧」をデザインしたもの。 三の間の水は名水といわれ、豊臣秀吉が茶会の水を汲み上げさせたことでも知られています。 川霧は、藤原定頼が「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれ渡る瀬々の綱代木」と詠むなど、古代から宇治に伝わる風物詩です。 川霧が立つ地域はお茶の育成に適しているとされ、宇治では美しい景観とともに名産の宇治茶を味わうことができます。




宇治川塔の島十三重石塔⇒こちら



普見山・獅子窟寺ハイキング 2020-6-05

2020-06-10 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

獅子窟寺⇒こちら
獅子窟寺は、標高319mの普見山(ふみさん)の中腹にあります。
獅子窟寺登り口から仁王門跡を通り、


仁王さんは昭和9年(1934)の第1室戸台風で倒れてしまって、今は薬師堂におられる。

ちょうど駅から3~40分ほどで獅子窟寺。


寺の開基は役行者と伝えられ、奈良時代になって行基が聖武天皇の勅願により、堂宇を建立したといわれる。本尊の国宝・薬師如来座像は平安初期の作(拝観は要予約)。行基が一刀三礼し、3年3カ月をかけて刻んだというカヤの一木造り。授乳のご利益があると伝えられている。境内からの眺望は素晴らしく、天候によっては大阪市街地、淡路島、明石海峡大橋まで望める。境内には弘法大師・空海が掘ったとされる井戸もある。

獅子窟寺登り口からはすごい山道、シンドかった。
それでもカンカン照りの元じゃなかったし、雑木林の中の道を歩くにはちょうど良かった、けどシンドかった。
展望スポットが所々にあるにはあるんだけど、周りの木々が伸びて茂ってあんまり展望は良くはなかったのが残念。
キャンプ場があったりするんやから、車ででも来れるんやなぁ・・・
お弁当が待ちどおしかった、切り倒した大木を、ちょうどベンチのようにしつらえてあって、腰かけてお弁当タイム。

ヤマボウシがいっぱい咲いてた、



写真を撮ろうと、ふと見たら毛虫がいっぱい居た、

体いっぱいに毛が生えてる逆光に光って輝いてキレイかった、連れて帰りたかったけど、フィルムケースを忘れたしウチの近所にヤマボウシがあるでも無し、諦めた。
「この毛虫の名前を教えてください」っと、画像を 『新・蛾像掲示板』 に・・・
「たぶんクワゴマダラヒトリの幼虫?では?」っとデカガさんからお返事いただきました。
大人になったクワゴマダラヒトリって?どんなん?
成虫はこちら

遠くの方によ~~く見ると、絡みついた枝が真っ白になるほど花が咲いている
「わんちゃんアレは?何という花やのん?」

「テイカカズラやと思うけどなぁ」

ウチに帰って撮った写真を拡大してみたら、どうも「テイカカズラ」のよう。

『月の輪滝』っという標識があった、どこにあるんやろ?

「コレかな?」っというのは分からなかった。

スイレン池もあったりして楽しみながら歩きながら、おしゃべりしながら河内磐船に戻ってきました。

わんちゃんたちのグループと他のグループと一電車ほど別行動になったみたいでした。
どうもこのグループはせっかちさんが多いみたいで、わんちゃんのお願いとしては分岐点ごとに後続組を確認の上、出発っという方式を守ってほしいなぁっと。河内磐船で出発の時リーダーが「先頭と一番後ろとそんなに離れないように分岐点で確認の上待ちあうようにお願いしますよ」っとおっしゃってたのに…

歩きながら可愛いお花も
ニワゼキショウ                    モチツツジ
 

獅子窟寺のお堂に

18歳と81歳の違い
道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才
心がもろいのが18才、骨がもろいのが81才
偏差値が気になるのが18才、血糖値が気になるのが81才
受験戦争を戦っているのが18才、アメリカと戦ったのが81才
恋に溺れるのが18才、風呂で溺れるのが81才
まだ何も知らないのが18才、もう何も覚えてないのが81才
東京オリンピックに出たいと思うのが18才、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81才
自分探しの旅をしているのが18才、出掛けたまま分からなくなって皆が探しているのが81才
「嵐」というと松本潤を思い出すのが18才、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81才

81歳=認知症が多く、ネガティブ81歳にはなりたくないものです。 
もっとポジティブに…すばらしい将来(老後)が待っています。
「ゲームを楽しむのが18歳、人生と花鳥風月を楽しむのが81歳」
「将来のためにお金を貯めるのが18歳、好きなことに貯めたお金を使えるのが81歳」
「勉強や仕事があるのが18歳、テストも研修もない毎日が日曜の81歳」
「いじめやパワハラがあるのが18歳、上司や部下への気遣いやノルマもないのが81歳」
「期限や指示に追われるのが18歳、自分で決めるのが81歳」
・・そんな、老いを恐れない”ばばあ”にわんちゃんはなりたい



万博記念公園 2020-2-07

2020-02-10 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
集合場所はJR茨木駅です。
狛田(近鉄)⇒新田辺⇒京都⇒(JR)⇒茨木⇒(バス)日本庭園前

公園の中を散策、見ると季節ごとに訪れるのもありかな?みたいなカンジ。

冬の真っ最中なのにバラが咲いてる



 
日本庭園を散策



松の州浜(まつのすはま)


 
梅林の方へも行ってみました
 



 

春には桜『日本桜名所100選』、チューリップのお花畑(チューリップ畑一面に芽を確認、その数、約32万種、10万球!とか。)、花の丘にはポピーフエア(約38万本)が開催されます。秋にはコスモス畑に。夏は蓮の花鑑賞(泥池に入ってお手入れされてました)サルスベリ等々、秋は木々の紅葉、っと四季折々に楽しめるようです。
石畳の『西大路』長い並木道がありました。
何という木なんかなぁ?わんちゃん的にはスゴク気になりました。
「わんちゃん、プラタナスとちゃうかなぁ」「えっ!なんで?」「万博記念公園の木っと検索したら載ってる」「ホンマやわ、木肌の模様がそっくりやね、プラタナスやわ」
『石畳の道の両側に約360m、260本のプラタナスが西洋の並木道の景観を醸し出しています。』っとHPに載ってます。
青葉の頃に行ってみたいなぁ・・・桜の頃からがメインやなぁ。
大阪万博が開催されてたのは50年も前のこと、各国のパビリオン跡にプレートがありました、跡地には、さまざまな木々や花が植栽され半世紀も経てば大樹になり大きな自然の森が再生されてます。公園内はよく手入れされてて気持ちよく散策できました。


遠見の丘・展望塔

てっぺんから見た景色
ほとんどどこからでも、太陽の塔が見えてます。








「太陽の塔の中、見学してみたい」多数の意見で。
見学は事前予約制=こちらこの日は空いていて時間割にすっぽり嵌りあんまり待ち時間なく見学できました。
見学は「太陽の塔」の地下からですこちら
まぁ、凄かったです。   太陽の塔の中=こちら
『太陽の塔』もっと詳しくはこちら





帰りはモノレールに乗りたかったので万博記念公園駅からモノレールで帰りました、終点は門真市、京阪に乗り換え丹波橋周りで帰路につきました。歩数計は19.964歩カウントしてました。
モノレール初めて乗って乗り心地は??まぁまぁかな。
外野席から聞いた情報ではこのモノレールが近鉄奈良線若江岩田のそばまで延びてくるらしい。楽しみやなぁ・・・

星のブランコ 2019-10-04

2019-11-06 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング


祝園9:54→下狛9:07→星田9:32 JR星田駅集合地図の中で
地図の中で
星田寺(しょうでんじ)


星田神社


妙見の桜並木を歩いた、桜が満開の頃、もういっぺん来たいなぁ・・・っとおしゃべりしながら。
星田妙見宮(階段シンドかった)







御神体の磐座“影向石”(ようごうせき:神が降臨する際に御座(みくら)とする石)
“織姫石”(たなばたいし)と呼ばれています。

おもかる石


「おもかる石」というのがありました。
願い事を念じた後、その石が持ち上がるかどうかで
願い事が叶うかどうかがわかるものです。
何も考えず、まず持ち上げると結構重い。。。
「・・・・・」ッと念じて持ち上げると案外スッと軽かった。
後々聞いた話やけど「宝くじが5億円当たりますように」っと念じて持ち上げた時は重たかったらしく、なかなか持ち上げられなかったらしい。願い事によって軽かったり重かったりするようです。
「ホンマかいな?」「ホンマやそうですよ」

ほしだ園地
やまびこ広場で昼食、展望スポットからちょっと遠くの景色を激撮


「第二京阪が遠くに見えるね、その先少しだけは交野市、だから歩いた所はみんな交野市ですよ、JR星田から少し大阪寄りは寝屋川市、第二京阪の先、北の方は枚方市やね。」っと教えていただいた。

遠くに見えた「吊り橋:星のブランコ」へ・・・



やっぱり吊り橋はスゴイなぁ、

面白がってゆっさゆっさ揺らす人も(そんなに怖いほどは揺れません、頑丈だから)

吊り橋の下の方へ廻り、

グル~~ッと歩いてピトンの小屋で小休憩、
アイスキャンデーを食べました、美味しかった・・・
クライミングウォール


アイスクリームをほうばりながら(?)クライミング中の方たちをちょっと離れて見学。
森林鉄道風歩道橋⇒ほしだ園地ゲート⇒天の川沿いの路⇒ほしの里いわふね(目の前が天の川、ここで小休止)ここら辺りで解散したんだったかなぁ⇒京阪私市駅(ここで何人かとバイバイ)⇒JR河内磐船駅から最寄りの駅まで乗って帰路に



交野市のデザインマンホールは五つの要素から構成されています。
一つ目、交野は古くからさくらの名所であり市の木にも選ばれている「さくら」。
二つ目は市の花に選ばれている交野市城に自生するミツバツツジ、モチツツジ等の「つつじ」。
三つ目は古歌に詠まれるなど、古くから交野にゆかりの深い市の鳥である「きじ」。
四つ目に交野市の中心部を流れる「天野川」。
五つ目に交野市のマークである交野市の「交」の字を図案化し、交野の桜と平和の象徴である鳩を型どっている市章。
これら五つをバランスよく配置したものが現在、交野市内の各所に設置されているデザインマンホールです。
ウォーキングしながら道端に咲いてるお花たちにも

ツリフネソウ


アメリカイヌホオズキ          マユミ
 

雄岡山 241.3m・雌岡山 249.5m 

2019-09-15 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング 2019-9-06(金)


JR祝園7:10-JR下狛7:12-8:09北新地・・・徒歩・・・阪神・梅田8:26-9:09新開地(乗り換え)
神戸電鉄・新開地9:22-10:00緑ヶ丘
雄岡山(おっこさん)―雌岡山(めっこさん)―神出神社(かんでじんじゃ)―愛宕山―神戸電鉄・志染駅(しじみえき)
「暑いやろ?この時季に歩きの遠征はちょっとシンドイかなっと思うんよ、欠席しようかなぁ」っと、弱気なわんちゃん。
「雄岡山も雌岡山も300mあらへんし、ダイジョウブ」っという山登り&歩き達人さんに背中を押されて参加を決意。
しかし遠かった、最寄りの駅から集合駅まで3時間もかかった。
そういうことはさておいて、みんなと歩き始めたら歩けるもんやなぁっと、みんなの後について歩いた。



神鉄(しんてつ)緑が丘駅で下車、歩き始めると右手にゴルフ場が、グリーンの芝がチラチラっと見える「ここは廣野ゴルフ場で名門コースですよ」っと教えてくれはった。ウチに帰って「廣野ゴルフ場って名門なん?」っと聞くと「そこは廣野ゴルフ倶楽部いうて名門コースやねんで、パナソニック・オープンの時はあの石川遼君もプレーしてんで」っと長男が言う。




雄岡山の登山道は雑木林の木陰の中を歩いて行く
「有難いなぁ、木陰を歩けるやなんて」っと。
山頂の一等三角点

海を臨むように祀られた祠


標高241.3mと低い山なんやけど、結構眺めも良く明石海峡大橋が見えた。

下山も雑木林の木陰の道を歩く。
広い道路に出て向うの方に雌岡山が見える。

ジリジリと照り付けるのが何とも暑い!!!!!!
雌岡山登山口からすぐ、子午線標示柱が建っている。
 



そのまま登山道を歩く、頂上には神出神社が建っている。




神出神社は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)が結ばれ、大国主命(オオクニヌシノミコト)が生まれたと伝えられる夫婦和合の地。
展望台からは、須磨アルプスや明石の海、淡路島の展望が広がる・・・っと資料にはある。

明石海峡大橋が見えた。


ここで、お弁当タイム。
雌岡山には梅林がある、2月の梅の時季にはにぎわうそう。時季外れなのでスルー。
そこから、下って登って愛宕山山頂、祠があった。


山頂から下って田園地帯を抜ける。
学校(三木東高)が見えたら志染駅(しじみえき)やわ、あともうちょっと

途中のお地蔵さん、お供えのユリはテッポウユリだわ。
志染駅で解散。
緑が丘駅から地図の太線に沿って志染駅まで



マンホールの蓋

港のマーク入りの六甲山を背景に、稲穂と市章が描かれています。
「こうべ」「しゅうはい」の文字。
集落排水管マンホール蓋


稲穂と市章が描かれています。「こうべ」「しゅうはい」の文字。


蜘蛛の巣デザインの中央に神戸市章。
その下にひらがなで「おすい」。
汚水管マンホール蓋

角形消火栓の蓋

神戸港のポートタワーと神戸海洋博物館、
うろこの家、ガス灯、神戸港と神戸大橋、
中央に風見鶏の館、市章と水道局の六剣水マークが配されています。
上部両角にⅠとあるので、最初のデザインの消火栓なんでしょう。

コースアドバイス⇒「関西周辺の山250:山と渓谷社」参照
雄岡山(おっこさん)・雌岡山(めっこさん)
近郊の裏山という感じで、特に迷ったり、技術的にどうのということはないが、①途中、車道を通るので往来する自動車には注意しよう。全体を通して水場はないので飲料水は必ず持参すること。また、簡単に登ることができる山だが女性の一人歩きは避けた方がよいだろう。
適期は、②盛夏の日中を避ければ四季を通して登山できる。桜咲く4月上旬、秋から晩秋、雌岡山梅林が見ごろの2月上旬から下旬もよいだろう。
①歩道があるのに、車道の左端が所々木陰があるので、そっちを歩いた人がほとんどだった、すれすれに走り去る車には迷惑になったことだろう、わんちゃんたちは歩道をゆったりと歩いた。
②ホンマに暑かった、気候の良い時季だったらもう少し楽しめただろう。

虚空蔵山 2019-8-2

2019-08-11 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

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シルバー健康ウォーキング


「明日のウォーキングでJR藍本集合なんやけど、福知山線に藍本ってどの辺?」
「宝塚をこえて三田のまだ向こうやわ、各停やなぁ」ナルホドそこは無人駅だった。



駅前歩いて200mばかり進むと、右側に酒滴神社(さかたれじんじゃ)という変わった名前の神社がある。

鳥居をくぐって石段を上がって行く


貞観2年(860年)疫病が大流行したとき「吾は素戔嗚尊【すさのおのみこと】なり」と名乗る童子が現れ、お告げ通りに山中に行くと、霊窟から滴り出る酒を発見、それを飲むとたちまち病気が治ったという。そこで村人は石山大明神として祀り始め、のちに酒滴神社と改め寄進したと言われる。
酒滴神社⇒こちら
みんなで山行の無事をお祈りしたあと、田んぼの中の道を歩く、真っ青な空、カンカン照り・・・


向うに見えるのが虚空蔵山かなぁ・・・

頭上で車の通行音が大きくなったのは舞鶴若狭自動車道の下をくぐったとき。

トンネルの向こうに「虚空蔵山登山道」の道標が立つ。

道標の矢印の方へ進む
近畿自然歩道の案内板


カンカン照りで汗びっしょりなのがちょっと和らいだかな雑木林の道。最初の舗装道はすぐに山道に変わる。
細い渓流に沿って登る。木の根っ子が現れ、少し傾斜がきつくなる。
やがてゴロ岩の道になるが、緑の苔に覆われた岩は油断大敵。水分を含んだ部分も多く、うっかり斜めに踏むとスリップするので一歩一歩確実に。

虚空蔵堂まで300mの道標が立っている。

石積みの階段をゆっくりと登ると、ぱぁっと広場が明るく足元見ると一面にヒメヤブランが生えていた、
 
一つ一つ可愛くついカメラを向けた。
風格ある虚空蔵堂。


推古天皇時代に、聖徳太子が夢のお告げによって建立し虚空蔵菩薩尊像を安置したのが起こりとされる。かつては本堂の外に毘沙門堂、薬師寺、仁王堂などの伽藍があったとされています。
この山名の由来もここにあるとされる


境内の一角に石仏と石塔

さらに別の場所には鯱瓦(しゃちほこがわら)


鯱瓦は、慶長年間に焼失した復興時にもちいられたとされており、最古と言われている姫路市の書写山圓教寺と国宝彦根城天守閣にも同形のものがある。

山頂まで残すは800m。


わんちゃんはここで、お弁当にして山頂まで行かはるメンバーを見送ることにした。ここまで来るのがやっとという。シンドかった。
17名参加の内4名がここで待機、別にしんどそうにも見えなかった方もいる「前に頂上まで行ったことあるし」との方もおられた。

虚空蔵山最高地点 



丹波岩
頂上制覇のメンバーの方に戴いた写真です

山頂はちょっと見晴らしがよくなかったらしい、山頂手前の丹波岩が展望がよかったらしい、フツーここで御弁当になるんやけど、木陰が無くカンカン照りの元ではムリだったらしい、わんちゃんたちが居てた虚空蔵堂まで下りてきてお弁当となった。
くだりは元来た道を下りて行った。


登りの時には気づかなかった、お参りする前の手水舎(ちょうずしゃ)場があった。
手水舎(ちょうずしゃ)場⇒神社やお寺の参道に置かれた手洗い場のこと。

手を浸けると水は冷たく気持ちよかった。

そのまま、藍本駅まで徒歩で駅からは下狛駅までJRで一直線(途中乗り換えアリ)

【おまけ 道々撮ったお花たち】






 



東高野街道・八幡市(京阪)~郡津(京阪交野線)2019-2-1

2019-02-22 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
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シルバー健康ウォーキング

東高野街道は石清水八幡宮から河内長野までの街道で、 西高野街道は 堺から河内長野までの街道、ここで東高野街道と合流し、これ以後、高野山に至るまでが高野街道です。 西高野街道はもっともよく利用されたということから、 西高野街道は堺から高野山までの街道を意味することもあるようです。
集合場所は京阪電車八幡市駅前です。わんちゃんたちは近鉄沿線なので桃山御陵前で京阪電車に乗り換え伏見桃山⇒八幡市

駅からすぐ東の放生川の全昌寺橋を渡ります。
このあたりからが東高野街道でしょうか。

飛行神社




京都府八幡市にある神社。飛行機の神、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と航空事故の犠牲者などを祀る。ギリシャ風の拝殿を持っている。日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八が創建した。
こちら

ゼロ戦のプロペラ付き機首部

大阪湾から引き上げられた

安居橋(あんごばし)




安居橋(あんごばし)は、京都府八幡市の放生川に架かる橋である。中央部が盛り上がった反橋(アーチ橋)で、歩行者・自転車専用の橋となっている。八幡八景に登録され、「たいこ橋」として市民に親しまれている。そのため、舞台が設置され、12個の欄干には装飾が施されるなどの工夫がされている。参照:Wikipedia
石清水八幡宮が東高野街道の起点になります。旧街道を南方向へ歩きます。

正法寺(しょうぼうじ)




浄土宗。山号は徳迎山。本尊は阿弥陀三尊
建久2年(1191)開創、天文15年(1546)に後奈良天皇の勅願寺となる。
徳川家康の側室で尾張藩祖・義直の母である、お亀の方(相応院)の菩提寺として、尾張藩の厚い庇護を受けてきた。現在の伽藍は寛永6年(1629)頃に建立されたもので、本堂・唐門・大方丈など、数多くの重要文化財を誇る。
松花堂庭園入口横にある休憩所でちょっとの休憩。

小休憩の後円福寺に向かいます。
円福寺(達磨堂)


天明3年(1783)、臨済宗初の専門道場、江湖道場として建立された。重要文化財で日本最古と伝えられる達磨大師坐像が坐禅堂の聖僧として安置されているので「達磨堂」とも呼ばれている。
通常非公開・拝観は4月20日と10月20日の万人講当日のみ
この辺りは京都府と大阪府との府境で、国道1号線のすぐ傍で、有名な 洞ヶ峠(ほらがとうげ)もすぐ近くです。
洞ヶ峠(ほらがとうげ)と、検索したら、なんとこちら

国道1号線に並行した住宅街を歩きました、

「高野道」の町名標識版を発見。

13時過ぎ、山田池公園に到着、

ここはハナショウブの頃来てましたねぇ。こちら

今の時季、野鳥観察も・・・居ましたねぇ池の淵に大砲レンズで構えてはる、鳥撮りダイスキな方たちが・・・。
「何を狙ってはりますん?」と聞けば「オオタカが来よりますねん」とのお答えが。
ここで御弁当タイムちょっと遅い昼食となりました。ゴールは京阪交野線・群津(こうづ)駅まで歩く予定でしたが京阪河内森からJR河内磐船に乗り換えるのですが、山田池公園からだったらJR学研都市線長尾駅がべんりかな?っとリーダーの承諾を得てわんちゃんたちはJR長尾駅まで歩きJR下狛駅・祝園駅へと帰途に就きました。
歩数計は24047カウントしてました。

マンホール
八幡市


石清水八幡宮の社前町に流れる、放生川に架かる「安居(あんご)橋」 これは八幡八景の一つに数えられています。
汚水管マンホールの蓋

枚方市

枚方市の花・菊と淀川を下る30石船です


伏見稲荷大社~東福寺 2019-1-11

2019-01-18 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング


伏見稲荷大社⇒四つ辻⇒東福寺⇒今熊野神社昼食⇒豊国神社⇒耳塚⇒京都駅

京阪電車深草で降り徒歩で伏見稲荷大社まで、鳥居前で集合。
ここは狛犬が、おキツネさまです。稲穂をくわえています。




五穀豊穣の神様に由来すると考えられています。現在では様々のことでご利益があるとされる稲荷神社ですが、もともとは穀物・農業の神様です。
他に境内のあっちこっちで鍵・玉(宝珠)・巻物などくわえているっと、それぞれに意味があるっとも教えていただいて、もっとしっかり見とくべきやったなぁ・・・っと反省

本殿 です。


千本鳥居 の最初は2筋に分かれていますが、2つは平行していますので、どちらを通っても奥之院に行きます。


こちら

右バナーの【京都伏見稲荷大社の情報一覧】を下へスクロールして「京都・伏見稲荷大社の千本鳥居の意外な実数が判明」をクリックすると・・・疑問が解決。

だいぶん奥に来ました、

熊鷹社を過ぎてちょっと急な坂を頑張って登ります。
四ッ辻(見付の峰) の茶店前から西方を展望。

そのあと、京都一周トレイル の道標を見ました、

下山してからは京都一周トレイルからは離れたみたいです。

東福寺方面へ向かいました。
紅葉の頃、このコース(伏見稲荷~東福寺)を歩きたいなっと思ってたんですが、なかなか実現してません。またチャレンジしよっと・・・
東福寺の南側 から境内に入ります、すぐに大きな 東福寺・三門(国宝)が目に飛び込んできます。





東福寺の山門(三門)は、1425年(応永32年)、室町幕府第四代将軍だった足利義持が再建した五間三戸、重層入母屋造の建物で、現存する禅寺の三門としては日本最古のもの(国宝)。
九条道家によって創建された東福寺は、奈良の東大寺と興福寺の「東」と「福」をとって寺名としている。
 京都五山の第四位の格式を誇った寺。

遠くに見えるのは通天橋です、


大本山の寺院内にある仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた橋廊です。この遠望は臥雲橋(がうんきょう)からの眺めです。
東福寺の境内には洗玉澗に架かる橋が3つあり、通天橋・偃月橋(えんげつきょう)・臥雲橋(がうんきょう)は、東福寺三名橋と呼ばれています。
紅葉の頃、通天橋からの眺めは最高・・・
また、通天紅葉と呼ばれる洗玉澗一帯に繁る楓は、宋より渡来した葉が三つに分かれた三葉楓で、黄金色に染まるのが特徴のようで・・・っと教えていただきました。ぜひぜひ紅葉のころ再訪したいモンです。

新熊野神社(いまくまのじんじゃと読みます)



ご由緒はこちら
新熊野神社を出て近くの公園で御弁当タイム

三十三間堂、京都国立博物館など、重厚な建物を観ながら豊国神社へ



豊国神社(とよくにじんじゃ)は、京都市東山区に鎮座する神社。神号「豊国大明神」を下賜された豊臣秀吉を祀る。豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の勅命により再興された。
主祭神の居城があった大阪市の大阪城公園(中央区)や滋賀県長浜市のほか、出身地の名古屋市中村区などにも豊臣秀吉を祀る豊国神社が存在している。
こちら

豊国神社の北隣りの 方広寺の鐘楼。



こちら

豊国神社から歩いてすぐのところ(方広寺の門前、正面通:しょうめんどおり南側)にある「耳塚」
鼻塚ともいう。方広寺の門前,正面通(しょうめんどおり)南側にある。豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき,武将が戦功の証拠として持ち帰った朝鮮人戦死者の耳・鼻を秀吉が確認後,1597年に塚を築き埋納したもの。陣中日記などによると兵士・非戦闘員の区別なく殺し,その鼻をそぎとっており,《鍋島家文書》《吉川家文書》などに鼻の請取状が残る。江戸時代の朝鮮通信使一行は,この塚を見て深く心を痛めたという。
わんちゃんたちも「戦争って勝ったモノは酷いことするんやね」っと思い合いました。
なぁんかムネが痛みました。






鴨川



そのまま歩いて京都駅から帰路へ。
歩数計は17555歩カウントしてました。


東海自然歩道・槇ノ尾~清滝~嵯峨 2018-12-7

2018-12-29 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング(SKW)

JR京都駅前バス停JR3乗り場から高雄・京北行き乗車 槙ノ尾バス停下車
西明寺こちら拝観から
槙尾(まきお)山と号し、真言宗大覚寺派の準別格本山である弘法大。師の弟子智泉が開基し、鎌倉時代建治年中(1275~1277)和泉国槙尾山の自証上人が中興した。その後衰微し現在の堂舎は元禄12年(1699)徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院と伝える清涼式釈迦像である。この地を槙尾といい、上流の栂尾、下流の高雄とあわせ世に三尾(さんび)と称し、いづれも紅葉の名所として知られる。右京区梅ヶ畑槇尾町




見事に苔むした灯篭

鐘楼

ユズリハの木

苔の上に散ったもみじ

境内の真ん中に植えられているご神木の”高野槙(こうやまき)“です。



樹齢は700年以上で、日本最古の高野槙の木と言われています。
西明寺から神護寺へは歩いてすぐのところ。







神護寺で思い出すのはこちら
こんなこと思い出しながら清滝橋の方へ歩き清滝川沿いの休憩所でお弁当タイム。
清滝バス停からバスに乗って??じゃなくって、



散り残りのもみじ

「わんちゃん、ほら上を見てごらん!!」







町並み保存館

化野念仏寺まで歩き、またそこから釈迦堂清凉寺へ歩き、

↑ 釈迦堂清凉寺

ここで解散、歩いてJR嵯峨嵐山駅まで⇒JR京都駅⇒近鉄線
化野念仏寺からのコースはこの秋の紅葉狩りのコースと一部分かぶってましたこちら
釈迦堂清凉寺の山門を出てすぐ左の森嘉(もりか)こちらに立ち寄って飛竜頭(ひろうず)をお土産に買いました。お豆腐を買われた方も結構おられました。ここは新幹線で買いに来られる、お得意先には京都駅まで配達っと聞いたことがあります。

ちなみに三尾(さんび)の名刹とは⇒いずれも紅葉で超有名
槇尾(まきのお):槇尾山西明寺
高雄:高雄山神護寺、
栂尾(とがのお):栂尾山高山寺 こちら

わんちゃん的には、「忙中閑あり」の環境下です。
諸般の事情が重なり、健康ウォーキングや植物観察会の記事が遅れてしまいました。
ちょこっと、旬を過ぎた感がありますが、アップしていきたいと始めてます。
「ぼちぼち行こか・・・」なので、知らんまにお正月になってしまうかも・・・



瓜生山~狸谷山不動院 2018.11.2

2018-11-10 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング(SKW)

集合・場所  9時50分 京阪・出町柳駅 参加37名
出町柳から今出川通りを東へ歩くと百万遍の交差点「ここら辺に京大があるんやね」と噂しながら川の両側に桜並木が・・・を少し歩きました、そこは「哲学の道」だったのです。銀閣寺の手前から、京都一周トレイルに合流します。



あっちこっちで台風の被害にあった大きな木々が根こそぎやられ倒れていました。


「だいぶん荒れてるなぁ元に戻すのタイヘンやろなぁ」とか、おしゃべりしながら山道を登っていく。
歩いているのは「京都一周トレイル」の一部分です

道筋に次々と36童子像が出てきます。



瓜生山の頂上(標高:301m)に到着です、ここでお弁当タイムでした。

瓜生山は左京区北白川の北東にあり、「京都・東山36峰 の 第8峰目」標高294メートル。勝軍地蔵山とも。播磨国からこの山に現われた牛頭天王がキュウリを好物としたことから山名が生まれたと「雍州府志(ようしゅうふし)」こちらに記す。応仁の乱後、将軍足利義晴がこもった古城跡でもある。山頂に勝軍地蔵を安置。
次の目的地は狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)です。
途中から36童子像も現われます。急な坂道では鎖場となっていて、慎重に下っていきます。



下りきったところで「狸谷山不動院の本堂が見えるね、そやけど、下り道が分かりませんなぁ」っと、手分けして探してくれはったんやけど分岐道は見当たらなかったようで、ハァハァ言いながら登ってきたら‥
下山する道だったハズが、いつの間にか頂上へ行く道になっていたのです。「えっ、え~~~ッ」の心境。さてここでどうするか?再び頂上まで行って新たに狸谷山不動院へ下りる道を探すか、諦めてここから朝来た道を戻って下山するか、全員で思案します。結果は、37名中31名が朝来た道で下山するを選びわんちゃんを含めて、6名が再度頂上に上がり、狸谷山不動院へ下りる道を探すことを選び、ここで二組に分かれることになりました、その日、二度目の瓜生山頂上です。今度は下山道を注意深くチェックされてました。狸谷山不動院へと続く京都トレイルの道と狸谷三十六童子巡礼道との分岐地点、あの鎖の坂に出たのが間違いだったので分岐地点をスルーして、二つ目の分岐点を曲がって下ることにしました。更に次の分岐道に入りますと36童子像も出て来ました、第何番目と言う数字が段々と少なくなっていき、周囲の状況から、この道は順調に狸谷山不動院に向って下りているようでした。

そして第1番目の童子像を過ぎ、

鳥居をくぐると狸谷山不動院でした。


山の傾斜地に建つ 狸谷山不動院・本堂。
清水(きよみず)の舞台みたいです。




狸谷山不動院詳しくはこちら
剣豪・宮本武蔵の修行の場でもあったそうです。


八大神社 こちらに立ち寄りました。





武蔵と吉岡一門との決闘の場となった 一乗寺・下(さが)り松 です。
現在の松は四代目です。

最初、叡電・一乗寺駅から電車で帰る予定でしたが、時間もまだ早かったので、出町柳まで6名で更に歩くことにしました。
「あっ!!」車両全面が楕円形の奇抜なデザインです、あわててカメラ向けたけど、良いのが撮れなかった。後日、一緒に参加のメンバーからこの写真が送られてきました。


叡山電車:ひえい こちら

15時直前、出町柳駅に到着・ゴールとしました。
出町柳と言えば「ふたば」の豆餅、モチロン並んでお土産に買い求めました。
この日の歩数計は22064歩をカウントしてました。


水尾の里:フジバカマ畑とアサギマダラ 2018-10-5

2018-10-08 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング

フジバカマ畑がゴールのウォ-キング、アサギマダラに会えるかも?っという、大いなる希望を抱いて歩き始めたわんちゃんです。
アサギマダラを撮りたくて水尾の里に行ったときはJR保津峡駅から自治会仕立てのバスに乗って行ってます
こちら


歩く会ですからJR保津峡駅から歩きます。

バス道から外れて左手に入っていきます、

立て看板には左方向「ゆずの里 水尾 1.4km 徒歩30分」
せんだっての台風の傷跡かな?大きな杉の木が根こそぎやられてます。


あっちこっちで倒れた木々が交錯してます、

片付けるのんたいへんやろなぁっと思いながら歩きました。

フジバカマ畑は二ヶ所あり、アサグマダラをみんなで探しました「初めて見るねん」と言うてる人たち、ヒラヒラ飛んでるのを見つけるとカンゲキの歓声あげてはりました、蝶々さんんもビックリ「じっとしてられないわ」っというカンジ。
ちょっと離れてもう一カ所の畑に移動のわんちゃん。
静かに撮影されてる方に「ここはアサギマダラはオスばっかりなんですよね?」と話しかけました。
「そうですよ、フジバカマの蜜を吸うのはオスでここにはメスは居りませんよ、オスはフジバカマの蜜を吸って自らの性フェロモンでメスを誘惑するんですよ、メスはほら、向うの山に集団で居ます。フェロモンを持ったオスが来るのを待ってるんですよ」と、お話されてました。あの向うの山にメスの団体が居るなら行ってみたい気もする、わんちゃんでした。
アサギマダラの性フェロモンはフジバカマの毒性アルカロイドが原料となっているため鳥に狙われることなくユラ~リ、ユラ~リと優雅に飛んでいるのです。水尾の里で近所の猫ちゃんがアサギマダラを食べて嘔吐したことがあったそうです。







1.水尾の里
水尾は、昔は山城と丹波の両国を結ぶ要所に当り、早くから開けていました。東の八瀬・大原に対して、西の清浄幽すい境として、大宮人にもよく知られていました。
 また、水尾の地をこよなく愛し、後の世に「水尾天皇」とも呼ばれた「第56代清和天皇」(850年~880年)ゆかりの地としても知られています。 文徳天皇を父に持つ清和天皇は、清和源氏の祖とされるほか、出家後に修行のために、山城、大和、摂津などの寺院をまわり、帰路、水尾山寺に立ち寄った際にこの地の景観を気に入り、この水尾を終焉(しゅうえん)の地と定めたと言い伝えられています。
2.清和天皇陵
①清和天皇ゆかりの地として、清和天皇陵があります。水尾集落から少し離れた山の中腹にひっそりとたたずんでおり、学問・文芸にいそしんでいたといわれる清和天皇にふさわしい地となっています。
 ②水尾小学校の校庭を横切っていくと、杉やヒノキの木立の中に清和天皇社があります。里の氏神で、毎年5月3日には清和天皇社例大祭が古式ゆかしく執り行われます。
1.&2.京都市右京区HPサイトより
わんちゃん的には2.①の清和天皇陵には途中で挫折(5人の中に)、水尾の里から20分ほど山肌の斜面の階段を降りて20分ほど登っていくのです、その登っていくところで「やめときます!!」元の場所に戻るには下りたところを20分ほど登るんです、やっと登り切って皆さんが帰って来はるんを5人で待つことに。
②の清和天皇社はお弁当の場所が水尾小学校(廃校)だったのでお参りできました。





ツマグロヒョウモンも居ました






水尾の里は「ゆずの里」と呼ばれるだけあって柚子の木はあっちこっちにありました、柚子の実はまだ青かったです。


西国巡礼街道・中山寺紅梅 2018-3-02(金)

2018-03-20 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング(SKW)


今回は兵庫県宝塚市にある中山寺の観梅を兼ねたウォーキングです。
わんちゃんたちはJR下狛駅から乗りJR祝園駅から乗ったメンバーと合流し、JR川西池田駅で下車です。

駅前広場に建つ 源満仲公の銅像 です。


銅像の説明には「今から千年余り前、第56代・清和天皇の曾孫にあたる源満仲は、川西の多田盆地に移り住み、天禄元年(970)に多田院(現在の多田神社)を創建し、清和源氏の礎を築きました。川西市は我が国における源氏と武士団発祥の地です」とあります。

ヌートリア

さして大きくもない川の岸に、ヌートリアの姿が見えました。騒がしく人が通り過ぎるのに結構平気なようでした。

天満(てんまん)神社。


地元では「西の宮さん」と呼ばれ、東の松尾神社と並んで旧川辺郡山本村の産土神(うぶすながみ)。
例祭は松尾神社と共催で、だんじり祭が行われる。
菅原道真を祭る本殿は一間社春日造で、寛文五年(1665)に再建され、宝塚市の指定文化財になっています

お昼ちょっと前に中山寺(西国三十三所第24番・紫雲山)の山門に到着です。






参道にはツバキやアセビが満開でした。








境内の休憩所でお弁当タイムとなりました。
昼食後はそれぞれ自由時間となり梅林の方へ期待感いっぱいに散策しましたが、その日(3/2)は、咲いていたのは2株ほどだけでした。今年は何処も梅の開花が遅れていたのでしょうが、今の時季(3/23)はもう散り始めとなってます。
中山寺の「鐘の緒」は、女性の大役である出産の無事安泰を祈る霊跡として、古来よりその伝統をもち、深く信仰されてきました。
ことに幕末には中山一位局が当山の鐘の緒を受けて明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳をたかめ、「安産の寺」としても名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を頂きに参られます。⇒中山寺HP

白鳥塚古墳(はくちょうづかこふん)


白鳥塚古墳(はくちょうづかこふん)は、兵庫県宝塚市の中山寺境内にある古墳。中山寺境内にある事から、「中山寺古墳」と呼ばれる事もある。
巨石で築造された横穴式石室と家形石棺を持つ。
横穴式石室の玄室は長さ6メートル・幅2.5メートル・高さ3メートル、羨道部は長さ9.2メートル・幅2メートル・高さ2.4メートルで、ほぼ南向きに開口する。
床には敷石を敷き、5枚以上の天井石を載せてある。
玄室の中央奥寄りに、長さ190センチメートル・幅115センチメートル・高さ50センチメートルの家形石棺を安置する。石棺はくりぬき式で、蓋には6個の縄掛突起がある。材質は凝灰岩で、播磨龍山の岩を用いたと推定される。
家形石棺の形態から見ると、7世紀初頭の造営と考えられている。⇒Wikipedia


清荒神(きよしこうじん)清澄寺 に到着です。








奉納された火箸など

清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)は、兵庫県宝塚市にある真言三宝宗の寺院(大本山)。摂津国八十八箇所第72番。
896年(寛平8年)に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により建てられた。本尊は大日如来。鎮守社として三宝荒神社があり、竃の神の荒神などを祀る神仏習合から「清荒神清澄寺」の名称がある。
本尊は大日如来で、国の重要文化財に指定されている。
近隣地域では、「荒神さん」と呼び慣わされ、かまど神の一種として、ここで受け取ったお札を台所の神棚に祀るなどの信仰が根付いている。門前の緩やかな坂道には、屋台を含め200近い店舗が軒を並べて門前町を形成している。⇒Wikipedia

ここで(清荒神)自由解散となりましたが、殆どの人が阪急・清荒神駅まで歩いて帰路に就くッと・・・
わんちゃんたちはJR宝塚駅からっというルートを選んでJR宝塚駅へ向かい歩きました。
よく通った宝塚大劇場が見えてました、懐かしかったです。

川西市

中央に市の花リンドウを、周囲に市の木の桜の花を配置。12時の位置に↓あり。
汚水管マンホール蓋

宝塚市

市の花・スミレと周囲は音楽と文化の街のロゴマークである鐘だそうです。
「OSUI」「TAKARAZUKA」の文字。
「<」の模様の受枠にある矢印は下水の流れる方向を示しています。
汚水管マンホール蓋。


道明寺天満宮から葛井寺 2018.2.02

2018-02-10 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
SKW(シルバー健康ウォーキング)


9時30分 近鉄・道明寺駅 に集合。
受付後(参加者:35名)道明寺天満宮にお詣りしました。
 











道明寺天満宮は、大阪府藤井寺市に位置する、菅原道真公、天穂日命(アマノホヒノミコト)と、菅原道真公のおばに当たる覚寿尼公を祭神とした1400年の歴史ある天満宮です。
梅の花をこよなく愛した菅原道真公にちなんで、道明寺天満宮拝殿の裏手には梅林があるのですが、お詣りした日(2月2日)は紅梅も白梅もまだま蕾状態でした。
一生懸命探してパチリ!!



復元修羅

 三ツ塚古墳周濠から出土した修羅(しゅら)の復元品。

修羅とは古墳を造るときに必要な巨大な石を運ぶためのソリのこと。この修羅を使った土木技術も土師(はじ)一族のものであったろうと推定されている。大小の修羅とてこ棒が2006年に重要文化財に指定され、大阪府立近つ飛鳥博物館に大が、藤井寺市立図書館に小が保存されている。ここにあるものは「復元修羅」で、実験考古学の試みとして製作されたものである。

道明寺天満宮近くにある 道明寺 に続いてお参りしました。




菅原道真公が信心をこめて手ずから刻まれた国宝十一面観世音菩薩像を御本尊とする
古義真言宗 蓮土山「道明寺」。
関西風桜餅に使われる「道明寺粉(道明寺糒:ほしい)」発祥の寺。

アイセルシュラホール


アイセルシュラホールとは、大阪府藤井寺市にある考古学・歴史系博物館施設をメインとする生涯学習センターの愛称。正式名称は藤井寺市立生涯学習センター。1994年に開館した。
館名の「アイセル」は、Activity、Information、Consultation、Exchange、Learningの頭文字を並べたもので、「シュラ」は藤井寺市で出土した古墳時代の巨石運搬用ソリ「修羅」を意味する。館の外観は「船形はにわ」と「修羅」をイメージしてデザインしたものとされる。⇒ウイキペディア参照

葛井寺(ふじいでら)



真言宗御室派。藤井寺、剛琳寺とも称する。山号は紫雲山。本尊は千手観音。西国三十三所第五番札所。

旗掛の松(三鈷の松)

 
大楠公(楠正成)は戦勝祈願に大般若経六百巻、守り刀一振りと非理法権天の旗を寺に奉納され境内に陣を構えられた。
正平2年(1347年)境内松の樹にこの旗を掛け父正成は正行(まさつら)、正時、正儀の3人の息子を呼び秘策を練り十倍の細川顕氏勢に大勝したという藤井寺合戦があった。之よりこの松は『旗掛けの松』と呼ばれるようになり、又この松からは珍しい三葉松が現れこのことから三人力を合わせ固く一致団結すればどんな困難にも打ち勝つ不思議な力が授かると言われ今も珍重されています。

葛井寺を出て近鉄・藤井寺駅で解散でした。

「電車に乗る前にお茶しません?」と、

ぶらり歩いて「古民家カフェ」で一服。





マンホールの蓋 藤井寺市
中心に市章を、その周囲に市の木である「梅」を配置し、
更にその外側に市内に点在している「古墳(前方後円墳)」を配置したデザインです。





當麻の里ウォーク

2018-01-23 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング
近鉄・二上山駅で下車し、まず、近くの春日神社に移動して、ここで受付。




わんちゃん的には初めて参加されたメンバーをリーダーに紹介。参加者は31名でした。
二上山 を間近に眺めながらのウォークです、すぐ近くで見る二上山は、低い山に見えました(けれども、実際の登山はキツくカンジたんでした)、思い出すのは、
二上山登山
二上山の落日

専称寺でスゴイモノ見ました。

雨どいからの氷柱





二上山ふるさと公園 に到着。
まずは展望台への石段登りから始まりです。石段は456段あり、上に行くほど勾配も急です。
100段ごとに記しがしてあって、そこでちょっと休憩しながら・・・






なるほど、奈良盆地が一望できる良い眺め、大和三山は何処?

展望台からの下山は、下るのに階段はこたえるかもね?山道へ迂回しました、凍った個所もありいの、足元がじゅるじゅるなところもありいのタイヘン・・・注意深く足を置きながら下りました。

傘堂(かさどう)

真柱1本だけで瓦屋根を支える、江戸時代前期の珍しい建築遺構です。


石光寺(せっこうじ)





5月にはボタン、シャクヤク、特に冬の今の時季 寒ぼたん は見事です。


石光寺から當麻寺へ行く途中にある、中将姫の墓 です。


當麻寺







二上山が間近に見えてました。
冬ぼたんは奥の院です、「あ~ぁ、ここの奥なんやなぁ」っと横目でチラッ・・・
鑑賞はスルーでした、ザンネン。
2010年1月18日當麻寺:冬ぼたん


當麻寺境内の 中将姫の銅像。

中将姫物語⇒こちら

石光寺は関西花の寺二十五霊場:二十番
當麻寺(西南院)は関西花の寺二十五霊場:二十一番

マンホール

二上山と當麻寺の東塔と西塔に旧當麻町の花のボタンが描かれている。
「たいま」「げすい」の表示。
マークは旧當麻町の町章。
下水管マンホール蓋

近鉄・当麻寺駅解散となりました。
当麻寺駅のすぐそばにあるラーメン屋さん

「らーめんカツ」ちょっと参考程度にカシャッ
歩数計は18,510カウントしてました。

石光寺のカワイイ寒ぼたん