『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 娑羅雙樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす・・・・・』と「平家物語」にうたわれた沙羅双樹の花はあまり見ることができません。
梅雨の季節に、白い椿のような花を咲かせ、雨に打たれてすぐに散ってしまうそのはかなさがひときわ心を打ちます。と、ポスターにありました。
先週、梅雨の晴れ間に妙心寺の東林院にその「沙羅の花を愛でる会」に行って来ました
そこで、あっと驚くことが・・・・
有名な樹齢300年といわれた沙羅双樹の樹はものの見事に枯れていました。
上の方の木々で作ったといわれるお数珠が樹にかけてありました。
数は108つの煩悩の半分の54個の珠の数珠でした。
丁度12年前に「沙羅の花を愛でる会」に行ってるんです私。
その時は大きな沙羅の樹が根元をちょっと上がったところで二股になってましてね、
「沙羅双樹とはお釈迦様が入定されたとき、いっせいに花開き、その死を悲しんだと言われ、仏教とゆかりの深い名木です」というのがお坊さんの説法の始まりでした。
1995年6月17日のこと、東林院の沙羅の花を愛でる会に行って来た。ザンネン1週間早かった・・・と日記帳に記してある。
今回はお寺に着くともうお坊さんの説法は始まっていました。
「形あるモノは必ずこわれてゆく。形美しきもの永遠に保てず」 なるほど・・・
お釈迦さまは「今日なすべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことがよき一日を生きる道である」とお教えになっておられます。
沙羅の花は一日だけの命を悲しんでいるのではなく、与えられた一日だけの命を精一杯咲きつくしています。
人間の命にはいつかは限りがきます。
そこから「生かされている人生をどう生きるか。今日を無駄には出来ない」
つまり「今は今しかない、二度とめぐり来ない今日一日を大切に悔いなき人生を送らねば・・・」と、いう気持ちがわいてはこないでしょうか。
この仏縁深き花のもとで、静かに座って自分を見つめ、【生きる】ことについて考えてみてください。
と、しめくくられ、ご自分はライブも行く、特に中島みか、チャゲ・アスが好きとかおっしゃりながら45分のお説法がありました。
緑の苔は雨がよく似合います。苔に落ちた昨日咲いた沙羅の花の白さがホントはかなげ、
でした・・・
すっごい気になることがあったので、私調べてみました・・・・
よく「沙羅双樹」と呼ばれるが、
お釈迦さまが 亡くなったときに近くに生えていたことで有名な
「沙羅双樹」は、全く別の熱帯樹のこと。
「沙羅双樹」は日本の風土では育たない。
では、なぜ夏椿がこの「沙羅双樹」に 間違われたのか・・・。
昔、ある僧侶が、仏教にゆかりのある沙羅双樹の樹は日本にもきっとあるはず、
と、山に入っていろいろ探したところ、
夏椿の木を見て「これが沙羅双樹だ!」と思い込み、
それを広めたため、との説がある。
(ちなみに、釈迦が悟りを開いたことで有名な木は 「インド菩提樹(インドぼだいじゅ)」)
夏椿の別名 「沙羅の木」(しゃらのき)。
沙羅双樹とまちがえたためこの別名がついた。
やっぱり東林院のお坊さんはお仲間をかばっておられるは・・・・
お説法の中で「夏椿」なんて一言も言わはりませんでした
「なつつばき!!」と言うよりも「さらのはな」って言う方がこのお寺には似合いますよね? そっとしておきましょう・・・・
「銀盃草」と名札あり
直径4~5㌢のお花にしては高さ10㌢ほどの茎の先に咲いていました
可愛かったので思わず石畳に膝もひじもついて・・・・
もっとそばに寄って撮りたかったのですが
「無粋なあなた、この柵を越えないで」という立て札が・・・・