久し振りに髙橋真梨子さんのコンサートに行くことになりました
「真梨子さんのコンサートの日、自然史博物館ではバードフェスティバルが・・・フェスティバルホールに出向く前にどうでしょうか?」
「いいですね、バードフェスティバルは講演とイベントと展示が並行して行われますので、自分の興味のあるものを選んでいけば、誰でも楽しめると思います。さらに、当日は『関西文化の日』の一環として、植物園も博物館(常設展)も無料で出入り自由ですから、あれも見たい、これも聞きたい、という状態になると思います。効率よく行動するためには『この時間帯は○○に参加』という計画を立てておくことが必要かと思います。」
大阪バードフェスティバルとは?
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と、いうワケで・・・
大阪バードフェスティバル2013 記念フォーラム
『大阪湾の干潟で暮らす生きものと渡り鳥~いま・これから』
主催:日本野鳥の会大阪支部
会場の入り口で【大阪湾の干潟マップ】をいただきました。
クリックで拡大します
マップを見るとわんちゃん的には鳥撮りやそこで咲いてた花を撮りに行ったりしたことがある場所だったんですよ
大津川河口、りんくう公園内海、男里川河口、
鳥たち:
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お花たち:
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南港野鳥園:
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なんで・・・講演は、とっても身近に感じながら聞かせていただきましたよ。
↑のポストカードは写真じゃないんですよ
日本ワイルドライフアート協会会員でプロ作家として活躍されている「細密画絵師 戸川郁夫」氏の作品です
『いきもの描いてます』のブースではプロ作家の筆遣いを間近に・・・
大きな作品も展示されてありました、近づいて見れば見るほど写真のような、けどよく見るとそうじゃなかったんですよ。
『釣りキチ三平』(つりキチさんぺい)でお馴染みの漫画作家:矢口高雄さん
2010年5月のカレンダーです(クリックで拡大します)
植物園の方へブラリ散策
パンパスグラスがお日さまに輝いてました
午前中同じところを通ったのですが気が付かなかった、ラクウショウの黄葉
フウ
モミジバフウ
薔薇の表情あれこれ
11 16長居植物園
ピアノ演奏:Carmen Cavallaro
「ところで、わんちゃん、おサルさんに会いに行こか?」
「え~っ 植物園におサルさんが居るんですか?」
居ましたね・・・
そして4時過ぎにフェスティバルホールに向かって移動
「フェスティバルホールが新しくなるのが5年後と聞いたとき『5年後に新しくなったフェスティバルホールの舞台で歌えるかしら?』っと思ってました。5年後の今、ここで歌えることをとてもうれしく思ってます、私一人じゃないんです、皆さんがここにこうしていらしていただけることが感謝です、来年も再来年もここフェスでずっと歌って行きたいと思う」っとお話しされてました
そして、ヘンリーバンド全員のパワフルな演奏とパフォーマンスがより一層、真梨子さんを盛り上げてました。
以前は♪グランパ♪だけだったスタンディングが今回は何回も立ち上がって手拍子っと楽しみましたよ。
髙橋真梨子さんのコンサートステキでした
『髙橋40年』
40周年を記念して、ペトロ&カプリシャス作品からソロ作品に至るまでの歌手生活40年史を物語るに十分な髙橋真梨子本人セレクトによる"ベスト作品集"、そして、新録音作品として40年を経た髙橋真梨子だからこそ歌い得た・新たな解釈を与え得た"セルフカバー集"(一部新曲も収録)の、3枚組全40曲収録となるアニバーサリー作品集
➱髙橋真梨子 Premium 40 Forty オフィシャルサイトより
わんちゃんの手元にもあります。
【おまけ】
「日本野鳥の会」
日本野鳥の会というと大晦日の紅白歌合戦で、客席の紅の数と白の数を数分間で双眼鏡を覗きながらカウンターを押しながら数えるっというイメージがあります。
今は機械で数えてますよね。水面で浮かんでいるカモを数えたりすることに比べたら人間は動かないから大丈夫っということで協力することになったそうです。
けど、日本野鳥の会はカウンターで鳥の数を数える団体というイメージが国民に刷り込まれてしまったために平成元年を最後にやめています。
悟堂の長女によると、「紅白協力に関しては嘆かわしい実に嘆かわしい」っと言っていたそうです。(正しいイメージが伝わらないのは歯がゆいですよね)
悟堂は見せ方の非常に上手な人だったようで、野鳥の探鳥(バードウォッチング)も悟堂が考えた造語やそうです。更に全国的な愛鳥運動を起こすには子供を動かすべきと考えた彼はここかしこに野鳥関係の文章を入れたり全国の小中学校に巣箱を掛ける活動を推進したり、野鳥に関する児童向けの出版物をたくさん作ったりとプロデュースしてるんですよねぇ・・・(スゴイですね、野鳥の会=カウンターで鳥を数える団体っと言うイメージをもたれるのには意に反したことでしょうね、せっかくのイメージアップ作戦がムダになりますもの・・・)
中西悟堂は1895年(明治28年)11月16日に生まれました
悟堂は幼少の頃はやくに父母を亡くし祖父母に厳しく育てられています、3歳の頃からちょっと難しいお勉強を始めてますね、賢かったんで5歳で小学校に入学、小さくて痩せてて、いわゆる虚弱体質、でもお勉強はできる・・・そんな子。
9歳になると養父の薦めで秩父の山寺に預けられ108日の座業21日間の滝行と断食を行ないすっかり体質は改善、健康優良児となります。また、山の中で過ごして最初に鳥に親しんだのもこのころ、15歳で調布にある深大寺(じんだいじ)で得度をし悟堂の法名をもらいまして同時に戸籍の名前も悟堂に。仏門に入って天台宗、曹洞宗に学びます、また文学にも目覚め歌集や短歌集も出版、まぁ鳥への関心も高まって多摩川に一ヶ月通ってコチドリの観察に没頭したりも・・・(なかなか熱い人のようです)非常に綿密で策を練る部分とコレだ!っと思ったら突き進む部分とを併せ持った人。
23歳の時大学ノート一冊持って放浪の旅に出たりもしてます。
30歳からの3年間、東京武蔵野の野中の一軒家を借りまして木喰菜食生活を始めます、コメのご飯と過食を断って木の実とか草とかメダカなどを食べて暮らしたとか・・・風呂代わりに川に入って雑木林の中に敷いた茣蓙の上を書斎にして読書に励みました(どうして、そんな生活をすることになったんでしょう?)
悩ましい都会生活を離れ恐ろしい文明生活の欺瞞(ぎまん)の網から脱して太陽と大地とに即した生活を獲得するためだ。っと、彼は書いてます。
またイデオロギーの中を右往左往していたようですが一向に落ち着かなかったそうです、今の生活に入って初めて無欲の生活の良さを知りました、物質の中に幸せを追い求めることは結局欲望の奴隷に欲求不満の操り人形になること・・・とも語っています(ナルホド何も持たない豊かさを実践ってところでしょうか)
こうした生活は悟堂自身にとっては幸せでも決して普遍的ではないし周りの人が幸せとは限らないっと、いうことで3年で止めてます。(キチンと周りを見渡せる人なんですねぇ)この生活で悟堂は自然の中の鳥の存在に気づきますね、日本中の山々に登りまして野鳥の生態と分布を調査。35歳の頃にはカラス、オナガスズメ、ホウジロ、ミミズクなどの鳥たちを自由にならしまして、放し飼いとして庭に放したり、一緒に近くを散歩したりします。
そして1934年(昭和9年)38歳になった悟堂は友達と一緒に「日本野鳥の会」を設立、初代の会長になります。
カスミ網の禁止、空気銃の追放などに尽力して鳥類保護法の制定にも大きな力を発揮、日本の自然保護、環境保護活動の先駆者として悟堂は多くの功績を残しました。彼は著書「野の鳥は野に」で言ってます。
「鳥は空間生活者であって渡り鳥は最大の地球規模生活者である、したがって鳥の棲家は日本中の山林原野、水辺である、そういう鳥たちを自然のままで守ることは取りも直さず日本の山河を守ることである、鳥は野にあるべき、野の鳥は野に、鳥とは野鳥であるべし」と。