≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
行程:JR宇治駅 ⇒ お茶と宇治のまち歴史公園 ⇒ 大吉山展望台(昼食)⇒ 興聖寺 ⇒ 宇治神社 ⇒ 宇治上神社 ⇒ 源氏物語ミュージアム(解散)
歩行(JR宇治駅発着)約6.5km 約10,000歩 所要時間約3時間
お茶と宇治のまち歴史公園こちら
京アニの夢と情熱、「繫ぐ碑」公開 事件5年を前に「仲間忘れない」こちら
宇治川太閤堤跡こちら
大吉山展望台で昼食
大吉山は、正式には仏徳山(ぶっとくさん)という名前の山です。標高131m
展望台にあるベンチでお弁当タイム。スッゴイ強風に悩まされながら……でした。
興聖寺曹洞宗仏徳山 :興聖寺
参道は「琴坂」と称し、宇治十二景の一つに数えられている。
曹洞宗の名刹で、春秋に美しい「琴坂」とともに人気の観光スポットです。開祖道元は、最初の禅苑を京都の深草に建てましたが、戦乱で廃絶1648年に淀城主永井尚政によって宇治の地に再興されました。茶人でもあった尚政は、山水を取り入れて現在のような枯淡閑寂な境内を作りましたが、往時には少なくとも三つの茶亭があったと伝えられています。また、平安時代中期の木造聖観音立像は、かつて源氏物語「宇治十帖」の古跡が「手習いの杜」に祀られていたことから「手習観音」の名で親しまれています。
見事な黄葉を横目に(興聖寺から宇治神社)
宇治神社
隣接する宇治上神社は明治時代に宇治神社から分離したもので、元は一体でした。宇治神社のご祭神は応神天皇の皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)この辺りは、応神天皇の離宮があった場所とされており、宇治神社のある場所が菟道稚郎子命の宮居跡と伝えられています。今でこそ、長男相続説が一般的になっていますが、古代の慣例では、なるべく若い者を後継者にする事で活躍期間が長くなり、それゆえ国が繁栄すると考えられていました。一方、菟道稚郎子命が学んでいた儒教の教えでは長男相続説を唱えるため、第一皇子、のちに仁徳天皇となる大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)と、末の皇子だった菟道稚郎子命が皇位の譲り合いに。もつれ合った末に、兄君を天皇に就かせるために菟道稚郎子命はこの地で自害します。嘆き悲しんだ仁徳天皇が弟君・菟道稚郎子命の御神霊を祀ったのが宇治神社のはじまりと伝わります。
宇治上神社
明治時代までは、隣接する宇治神社と二社一体で「離宮上社」と呼ばれていました。祭神は、応神天皇とその皇子菟道稚郎子命及び兄の仁徳天皇とされています。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。境内にはその他、鎌倉時代に建てられた春日神社などの摂社や、宇治七名水の一つ「桐原水」があります。
1994年に『古都京都の文化財』としてユネスコ世界遺産に登録されました。
宇治橋
大化2年(646)に奈良元興寺の僧道登によって架けられたと伝えられ、「瀬田唐橋」「山崎橋」とともに、日本三古橋のひとつに数えられている。現在の橋は、平成8年(1996)3月に完成したもので、檜製の高欄に青銅製の擬宝珠を冠し、宇治橋が持つ歴史的イメージを残し、周辺の景観にも調和したデザインになっている。上流側に張り出した「三の間」は守護神「橋姫」を祀った名残とか、豊臣秀吉が茶の湯に使う水を汲ませたところともいわれ、そこからの上流の眺めは絶景である。
紫式部像
宇治川に架かる宇治橋の西詰にある石像。紫式部が「源氏物語」において最後の十帖が宇治を舞台にしたことを記念したもの。宇治ライオンズクラブにより2003年に建立された。
源氏物語の植物
ミヤギノハギ(宮城野萩)マメ科:別名・リュウキュウハギ。日本の宮城県で県花に指定されている。
キキョウ(桔梗)キキョウ科
ススキ(すすき)イネ科
フジバカマ(藤袴)キク科
宇治で「秋の色」も堪能しました
ところがですね、この日のコースですが過去に歩いてるんですよこちら
※記事内の説明文は『いきいき健康ウォーク』スタッフさん手作りのパンフレットより引用させていただきました。
JR宇治駅が出発地点で帰路はJR宇治駅から、帰宅後歩数計は18028カウントしてました。
行程:JR宇治駅 ⇒ お茶と宇治のまち歴史公園 ⇒ 大吉山展望台(昼食)⇒ 興聖寺 ⇒ 宇治神社 ⇒ 宇治上神社 ⇒ 源氏物語ミュージアム(解散)
歩行(JR宇治駅発着)約6.5km 約10,000歩 所要時間約3時間
お茶と宇治のまち歴史公園こちら
京アニの夢と情熱、「繫ぐ碑」公開 事件5年を前に「仲間忘れない」こちら
宇治川太閤堤跡こちら
大吉山展望台で昼食
大吉山は、正式には仏徳山(ぶっとくさん)という名前の山です。標高131m
展望台にあるベンチでお弁当タイム。スッゴイ強風に悩まされながら……でした。
興聖寺曹洞宗仏徳山 :興聖寺
参道は「琴坂」と称し、宇治十二景の一つに数えられている。
曹洞宗の名刹で、春秋に美しい「琴坂」とともに人気の観光スポットです。開祖道元は、最初の禅苑を京都の深草に建てましたが、戦乱で廃絶1648年に淀城主永井尚政によって宇治の地に再興されました。茶人でもあった尚政は、山水を取り入れて現在のような枯淡閑寂な境内を作りましたが、往時には少なくとも三つの茶亭があったと伝えられています。また、平安時代中期の木造聖観音立像は、かつて源氏物語「宇治十帖」の古跡が「手習いの杜」に祀られていたことから「手習観音」の名で親しまれています。
見事な黄葉を横目に(興聖寺から宇治神社)
宇治神社
隣接する宇治上神社は明治時代に宇治神社から分離したもので、元は一体でした。宇治神社のご祭神は応神天皇の皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)この辺りは、応神天皇の離宮があった場所とされており、宇治神社のある場所が菟道稚郎子命の宮居跡と伝えられています。今でこそ、長男相続説が一般的になっていますが、古代の慣例では、なるべく若い者を後継者にする事で活躍期間が長くなり、それゆえ国が繁栄すると考えられていました。一方、菟道稚郎子命が学んでいた儒教の教えでは長男相続説を唱えるため、第一皇子、のちに仁徳天皇となる大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)と、末の皇子だった菟道稚郎子命が皇位の譲り合いに。もつれ合った末に、兄君を天皇に就かせるために菟道稚郎子命はこの地で自害します。嘆き悲しんだ仁徳天皇が弟君・菟道稚郎子命の御神霊を祀ったのが宇治神社のはじまりと伝わります。
宇治上神社
明治時代までは、隣接する宇治神社と二社一体で「離宮上社」と呼ばれていました。祭神は、応神天皇とその皇子菟道稚郎子命及び兄の仁徳天皇とされています。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。境内にはその他、鎌倉時代に建てられた春日神社などの摂社や、宇治七名水の一つ「桐原水」があります。
1994年に『古都京都の文化財』としてユネスコ世界遺産に登録されました。
宇治橋
大化2年(646)に奈良元興寺の僧道登によって架けられたと伝えられ、「瀬田唐橋」「山崎橋」とともに、日本三古橋のひとつに数えられている。現在の橋は、平成8年(1996)3月に完成したもので、檜製の高欄に青銅製の擬宝珠を冠し、宇治橋が持つ歴史的イメージを残し、周辺の景観にも調和したデザインになっている。上流側に張り出した「三の間」は守護神「橋姫」を祀った名残とか、豊臣秀吉が茶の湯に使う水を汲ませたところともいわれ、そこからの上流の眺めは絶景である。
紫式部像
宇治川に架かる宇治橋の西詰にある石像。紫式部が「源氏物語」において最後の十帖が宇治を舞台にしたことを記念したもの。宇治ライオンズクラブにより2003年に建立された。
源氏物語の植物
ミヤギノハギ(宮城野萩)マメ科:別名・リュウキュウハギ。日本の宮城県で県花に指定されている。
キキョウ(桔梗)キキョウ科
ススキ(すすき)イネ科
フジバカマ(藤袴)キク科
宇治で「秋の色」も堪能しました
ところがですね、この日のコースですが過去に歩いてるんですよこちら
※記事内の説明文は『いきいき健康ウォーク』スタッフさん手作りのパンフレットより引用させていただきました。
JR宇治駅が出発地点で帰路はJR宇治駅から、帰宅後歩数計は18028カウントしてました。