吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

梅原猛『小栗判官』新潮社 / 1991年3月15日初版発行(その②)

2019-03-15 05:18:09 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

 皆さま、その①を読んで『ああ、これで終わりか』って思った方はいないでしょうね。
 ここからが実に『世にも不思議な物語』になって参ります。


※歌川国貞 東海道五十三次之内 藤沢 小栗判官

 まず、照手姫は実は死んではいなかった()。

 照手姫は牢輿に載せられ、重しを付けて川に投げ込まれてしまうはずでしたが、これを命じられた下男の鬼王・鬼次の二人が哀れをもよおし、重しの石を外して牢輿を川に流すのです。
 主人の命令ですから、照手姫を助けることはできませんが、牢輿が岸に流れ着くことを祈って二人は照手姫を見送ります。流されながら照手姫はこれから先、決して素性を明かさないことを誓うのでした(・・・生きていることが知られると下男の二人は殺されてしまいます)。

 牢輿は『もろこしが浦』に流れ着き、助かった照手姫はそこの翁(おきな)と媼(おうな)の養女になります。ところが媼が照手姫の美貌に嫉妬、『じいさんとぺちゃくちゃやっているに違いない』と思い込んだ媼は照手姫のいる塩焼き小屋に火を放つのでした(↓脚注参照)。しかし照手姫は観音様のご加護があって傷ひとつ付かない・・・思い余った媼は照手姫を人買いに売ってしまいます。

 ああ照手姫の運命やいかに。

 一方、小栗判官はといえば、地獄で閻魔大王に謁見します。


※法乗院(深川えんま堂)の閻魔大王像

 その堂々たる態度と責めを甘んじて受けようとする潔さに感心した閻魔大王は小栗一党全員を生き返らせようとします。ところが配下の十人は火葬にされ骨まで砕かれて生き返ることができないことが判明(喉仏の骨がないと生き返れないのだとか)、小栗一党はそのまま閻魔大王配下の十王として働き、土葬にされていた小栗判官だけが生き返ることになったのでした。

 このとき閻魔大王は小栗判官を『餓鬼病み』にして送り返すよう指示します。
 『餓鬼病み』とは、現代でいうとハンセン氏病(らい病)にあたるでしょうか、全身が膿み崩れる業病です。

 閻魔大王によれば小栗判官は『ロマンの病』という思い病気に罹っているというのです。
 純粋さのあまり、他人を傷つける、それは『ロマンの病』なのだ、と。
 いま一度『人の傷みを知る人間になれ』と、『地獄の責め苦の代わりに「餓鬼病み」なる業病を与えて人の世に送り出す』これを小栗判官の受ける罰とする、という判決でした。

 哀れ小栗判官は
 ロマンの罪のむくいにて
 餓鬼の病を身に負いて
 はるばる遠き黄泉路より
 ひとり旅路を帰りけり
 ひとり旅路を帰りけり

 どんな罰でも受けようと固く決意した小栗判官はこの世に還り着くのでした。

 なったあ なったあ じゃになったあ
 小栗判官『じゃ』になったあ
 なあんの『じゃ』になあられたあ
 ・・・・・・生者になったあ!


 (その③へつづく)



※脚注:この戯曲のオモシロイ点はヒトの心の裡の描写が巧みなことです。
 ――――――――もろこしが浦の媼の独白、あまりに巧みなので一部書き写してみます。
 (前略)もうじいさんはあの娘とできているのだろうか。できている。きっとできている。私が寝た後でじいさんはあの娘のところへ忍び込み、娘とぺちゃくちゃぺちゃくちゃやっているのだ。腹が立つ。腹が立つ。まだ娘とできていないかもしれない。しかしいずれそうなる。そうなったときは遅い。そうなったらどうしよう。そうなったら、じいさんはわしが殺してやる。しかし五十年も連れ添ったじいさんを殺すのはかわいそうだ。あの娘を殺してやろう。あの娘がいなかったなら、多少は私たちの間にいさかいがあったものの、二人は仲良く暮らせたはずだ。あの娘が憎い。ひと思いに殺してしまおうか。そうだ、あの娘は今、塩を焼く苫葺小屋にいる。苫葺小屋に火をつける。苫葺小屋は火の回りが早い。ぱあっと火が回る。火が回る。あの女は火を見て逃げ出す。しかし扉は閉まっている。扉は閉まっている。逃げ出すことはできない。そこであの娘は焼け死にというわけさ。丸焼けになった豚のようにあの女は死ぬ。にくい雌豚が丸焼きになるのだ。行こう。行こう。潮を焼く苫葺小屋に行って、その小屋に火をつけてやろう。