おじ(母の弟)は15才で海軍飛行予科練習生を受験し、合格。
昭和19年4月出征、昭和20年10月に復員した。
おじが予科練時代の話で、嗚咽がもれるように話す時が三度あった。
一・予科練の合格時の母の表情
二・特攻兵に選ばれた時
三・原爆の雲を見た時
(昭和19年、松山予科練のおじ・まだ16才)
談・2003年3月16日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和20年8月6日朝8時15分 、広島県豊田郡安浦町(現在は呉市)
安浦で、その時なにをしに登っとったのか覚えておらんが。
安浦の海兵団におる時、高い山じゃあないが。80メートルくらいじゃろうか、その山の上にあがっとった。
広島の方向から黒い煙がなぁ。
真っ黒ぃ煙が。
「広島の燃料タンクがやられとる。」そう、思ようた。
野呂山の方が赤いのも見えた。
真っ黒い煙はごうごうごうと上にあがってのう。
すごっかた。そりゃあ、のう。
それから10分くらいしてから「B17」じゃろうか?「B29」か?どっちか知らなぁ、大きょう見えた。
低空でなぁ。
ゆっくり帰るんじゃ。4~5メーターの大きさに見えた、下から見ると。
ゆっくりスピードを落として、それが原爆を落としたんじゃ。
すごかった。そりゃあ。
ぐっぐっぐっ上がりょうた。
昭和19年4月出征、昭和20年10月に復員した。
おじが予科練時代の話で、嗚咽がもれるように話す時が三度あった。
一・予科練の合格時の母の表情
二・特攻兵に選ばれた時
三・原爆の雲を見た時
(昭和19年、松山予科練のおじ・まだ16才)
談・2003年3月16日
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昭和20年8月6日朝8時15分 、広島県豊田郡安浦町(現在は呉市)
安浦で、その時なにをしに登っとったのか覚えておらんが。
安浦の海兵団におる時、高い山じゃあないが。80メートルくらいじゃろうか、その山の上にあがっとった。
広島の方向から黒い煙がなぁ。
真っ黒ぃ煙が。
「広島の燃料タンクがやられとる。」そう、思ようた。
野呂山の方が赤いのも見えた。
真っ黒い煙はごうごうごうと上にあがってのう。
すごっかた。そりゃあ、のう。
それから10分くらいしてから「B17」じゃろうか?「B29」か?どっちか知らなぁ、大きょう見えた。
低空でなぁ。
ゆっくり帰るんじゃ。4~5メーターの大きさに見えた、下から見ると。
ゆっくりスピードを落として、それが原爆を落としたんじゃ。
すごかった。そりゃあ。
ぐっぐっぐっ上がりょうた。