勲章ではないが、
帝国在郷軍人会会員徽章
箱の表には、
「帝国在郷軍人会会員証」。
箱の裏側。
箱を開けると記章が二つある。一つはピン止め用。
「会員以外の者が使用すると逮捕する」ような注意書きの紙が貼ってある。
これも勲章ではない、文鎮
・・・・・・・・・・・・
明治卅七八年戦役従軍記章
父は「じいちゃん(管理人の曽祖父)は日露戦争にいっとる」と話していた。
そのことに、何も疑問をもっていなかったが・・・とぃうか気にしていなかった。
曽祖父は昭和20年の終戦直後、
笠岡や福山を席巻した赤痢のため81才で亡くなった。
曽祖父は元治元年(1864)生まれ。
日露戦争の時(1904~1905)には、既に41~42才。
この年齢での兵隊はあり得ない。
二十数年間、父と曽祖父は同じ家で暮らしている。
なぜ父は「じいちゃんは日露戦争に行った」というのだろう、
そうは言ってもちゃんと従軍記章が残っている。
なぞだ!
(なお祖父は日露戦争当時12~13才)
帝国在郷軍人会会員徽章
箱の表には、
「帝国在郷軍人会会員証」。
箱の裏側。
箱を開けると記章が二つある。一つはピン止め用。
「会員以外の者が使用すると逮捕する」ような注意書きの紙が貼ってある。
これも勲章ではない、文鎮
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明治卅七八年戦役従軍記章
父は「じいちゃん(管理人の曽祖父)は日露戦争にいっとる」と話していた。
そのことに、何も疑問をもっていなかったが・・・とぃうか気にしていなかった。
曽祖父は昭和20年の終戦直後、
笠岡や福山を席巻した赤痢のため81才で亡くなった。
曽祖父は元治元年(1864)生まれ。
日露戦争の時(1904~1905)には、既に41~42才。
この年齢での兵隊はあり得ない。
二十数年間、父と曽祖父は同じ家で暮らしている。
なぜ父は「じいちゃんは日露戦争に行った」というのだろう、
そうは言ってもちゃんと従軍記章が残っている。
なぞだ!
(なお祖父は日露戦争当時12~13才)