しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

井笠ボーリングセンターが開場

2020年08月23日 | 昭和41年~50年
井笠ボーリングセンターには2~3度行ったことがある。

大ブームの年が1971年(昭和46年)で、日本中のボーリング場の多くはブームが去る時に竣工した。
井笠ボーリング場は数少ない、良い時にオープンしたボーリング場だ。

・・・・・・・・・・・・・



ニュー井原新聞・縮小版 昭和43年9月21日


井笠ボーリングセンターが愈々開場

期待される健全娯楽の殿堂


(写真は2004.11.7)





井笠鉄道では、かねてから旧本社址(跨線橋西側)にボーリングセンターを建設中であったが、
9月15日同センターに加藤知事を始め地元笠岡・井原両市のほか、周辺郡一帯の各界層の関係者300余名を招いて、
これの開業披露式を盛大に挙行した。

式は、松本井笠鉄道総務課長の司会で始まり、徳田専務の開会の辞、関藤社長のあいさつがあって、小野笠岡市長、木村参議、伊藤県議、石津岡山県ボーリング場協会長らの祝辞のほか、
佐藤総理や、橋本、加藤県選出国会議員た多数の祝電が読み上げられた。
次いで関藤社長がテープ切断のあと、中央レーンでボールの投げ始めを行い、壮厳ななかで、然も和やかに儀式をおこなった。

同ボーリングセンターは、一階をバスの発着場、二階三階に各10レーンのボーリング場を設けているが、
ほかに喫茶コナー、ミーティングルームなど、至れりつくせりの施設を完備しており、超近代的な外観内容は、県西部地域における健全娯楽の、文字通りセンターとしての機能を果たすものと、多大の期待をもって迎えられている。

営業時間は10時~23時 (土日祝日9時~24時)
入場料は、だいたい150円から250円、外に貸し靴券50円、予約料300円となっている。
このほか井笠ボーリングセンター友の会に入会すると、数々の特典がある。
建設費は約2億円、年中無休。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山下、本間未亡人ら来井

2020年08月23日 | 昭和31年~35年
ニュー井原新聞・縮小版 昭和34年4月11日



山下、本間未亡人ら来井

宝蔵院梵鐘等法会


(写真右が、バターン半島死の行進責任で銃殺刑となった本間中将の富士子夫人)



井原市東江原町宝蔵院(住職、モンテンルパの父加賀尾秀忍師)で、4月5日梵鐘供養、戦没刑難の○○(文字未読)、檀家回向の大法会を行い、
戦後比島で刑死した山下奉文大将の未亡人久子さん(鎌倉市61才)、同本間晴元中将未亡人富士子さん(東京都55才)らの遺族を始め、檀信徒、並びに井原市長代理山岡助役、
今井県議、藤井前県議、地元議員多数が参列。

おわって荏原公民館に安置されてあった梵鐘が、稚児60人の行列によって同院境内にある鐘つき堂まで運ばれたが、山下、本間両夫人らを始め、遺族の手によって遠く殉難の地にも響けよとばかり、平和を祈念した鐘がつき鳴らされた。

尚、この梵鐘は、加賀尾師が三年の月日と、百万円に近い浄財で、山下、本間両将軍や受刑者の真筆などを浮き彫りにした、重さ約三百キロ、高さ一、三米、直径約六十糎の大きさのものlで、京都の岩沢梵鐘会社で鋳造されたもの。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンテンルパの父帰る

2020年08月23日 | 昭和26年~30年
ニュー井原新聞・縮小版 昭和28年8月11日



ようこそ加賀尾師
4年ぶりの郷土に感慨もひとしお





加賀尾秀忍師(52才)は、8月9日午後5時2分井笠鉄道やくし駅着、
市側代表出迎えの教育副委員長、教育長等の感激合掌して出迎える地方住民百余名の中に降りたち感慨ひとしおの中に郷土の土に第一歩を印した。
師は東江原町の高野山真言宗、宝蔵院の自宅に帰着早々左の談話を本社に寄せた。

 
「私が日本に帰って一番強く感じたことはぶらぶらとすることもなく毎日遊んでいる者の多い比島人に比して、日本人全体が一様に働く意識に燃え真剣に生活と取り組んでいる真摯な姿であります。・・・・(略)」


時の人
新生井原市が生んだ時の人、加賀尾秀忍師は、当分寸暇なき講演と慰労と供養と日比親善運動とが入混った日程で埋められている。
岡崎外務大臣より感謝状、山県厚生大臣から木像一体を贈られた。
尚8月15日井原高等学校に於いて講演会開催の予定である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする