しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

広島の原爆投下・・・その3(国家と国民)

2020年08月08日 | 昭和20年(終戦まで)
たった3機、なぜ撃ち落とせなかった?

以前の職場で呉育ちの上司は、
呉の夜間空襲の際
「高射砲を撃つが(飛行機の高さまで)届かないのがはっきり見ようた」と話していた。

それでも呉はまだいい、発射しているから。
広島には白昼堂々と、しかもたった三機で、それすら撃ち落とす高射砲も戦闘機もなかったのだろうか?
国は、西日本最大の軍都を護る意思や態勢はあったのか。



長袖を着ていれば肌に被害は無かった

内務省は、
たった三機で油断していたと発表した。
それで、
国民のみんさんは以後、油断せず、暑くても長袖を着て、頭巾をかぶりましょう。
広島では電車も走っています。
新型爆弾はその程度だと。



欺瞞の国家だったのがよくわかる






ついでに前回のつづきで、日本海軍の新型高射砲設置のお話。





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おじ(母の弟)の話・談2003.3.16



野呂山の高射砲


日和じゃったら毎日野呂山へ行く。

このくらい(電信柱程度)の杉丸太を、7メートルくらいかのう。
灰色の色を塗って。

それを山のうえまで持っていく。
着いたら草を刈って。(周辺を)丸ぁるく刈る。

そしたら丸太をこういう角度に向けて・・・(笑い)・・高射砲じゃ。


ワシはもう兵長じゃった。帽子に線が1本はいっとった。

召集兵が引っ張ったり、押したり。もう、親のような年齢の35や40の人じゃった。

坂を野呂山の頂上まであがりょうたんじゃ。

コメント
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