THE BEATLES / REVOLVER
2018年10月2日、ザ・ビートルズのエンジニアとして知られる、ジェフ・エメリックが亡くなられました。享年72歳。長く心臓病を患い、ペースメーカーを使用していたこそうです。
ジェフ・エメリックがビートルズのエンジニアに昇任したのは、1966年4月、「REVOLVER」の録音からでした。それは4月6日、「Tomorrow Never Knows」から始まりました。
エンジニアとしての初仕事が「Tomorrow Never Knows」って、いきなり荒れる大海原に投げ出された感じだったでしょうね。なにせ翌日には、あのテープループの録音をしてますから!もちろん、それまて前任者ノーマン・スミスのアシスタントとして経験を積んでましたけどね。(ちなみに、ノーマン・スミスはプロデューサーに昇格し、ピンク・フロイドを手掛けます)。それでも、アシスタント・エンジニアとチーフ・エンジニアでは雲泥の差でしょうし、何よりその時ジェフはまだ二十歳でしたから!
*海外版のWIKI によりますと、ジェフ・エメリックの生年月日は1945年12月5日とのことで、「REVOLVER」録音時の1966年4月は20歳になりますが、日本語版のWIKI ですと、生年月日が1946年12月5日になっていますので、こちらですと19歳ということになります。ですが、2018年10月2日で72歳なら、1945年が正しそう。
それにしても二十歳のジェフ・エメリックが、かのビートルズのエンジニアを任されるというのも運命的ですよね。ただ、そのジェフの若さが、当時、急速に新しいサウンドを求め始めたビートルズに合っていたというのは、よくいわれる話。つまり、経験が浅いがゆえに、型通りの録音方法にとらわれない柔軟な発想が可能だったと。例えば、「Tomorrow Never Knows」ではジョン・レノンの声をレズリー・スピーカーに通してみたり。またリンゴのバスドラムにウールのジャケットを詰め、うんとマイクを近づけて録音し、さらにリミッター&コンプレサー処理したり。ありとあらゆる手でビートルズの要求する革新的サウンドを実現していきました。
ジェフ・エメリックは、「REVOLVER」から「THE BATLES」(通称ホワイトアルバム)まで、彼らが最も実験的だった時代にエンジニアを務めました。ビートルズのサウンド的先鋭さに果たした彼の貢献は計り知れないでしょう。しかしそんな彼も、ホワイトアルバム製作中、現場の雰囲気の悪さに愛想を尽かし、去っていきます。
でもそれがビートルズとの分かれになった訳ではなく、「ABBEY ROAD」ではエンジニアとして復帰していますし、アップル・スタジオにも関わっています。ポール・マッカートニー&ウイングスの作品でもエンジニアを務めています。ビートルズの彼に対する信頼が伺えますね。
ビートルズ以外にも、エルヴィス・コステロ、ジェフ・ベック、チープ・トリック、アート・ガーファンクルなど、様々なアーティストと仕事をしています。
また、ジェフ・エメリックは、ビートルズと共に過ごした時代を、1冊の著書に纏めています。それは日本でも発売されている「ザ・ビートルズ・サウンド最後の真実」。これがビートルズのレコーディング風景が伺えるとても面白い本なのです。例えばジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作による「A Day In The Life」ですけど、ポールの自伝的な著書「PAUL McCARTNEY MANY YEARS FROM NOW」からは、中間のオーケストラ・パートについて、その構成やアイデアも含め、ほぼポールが一人でやった様な印象を受けますが、ジェフ・エメリックの本では、当初は空白だったあのパートに、ジョンは「ものすごく小さい音から次第に大きな音になり、ついにはそれが全てを飲み込んでしまう」という抽象的なイメージを持っていて、それに対して「オーケストラを入れたらどうだ?」とポールが提案した、そんないきさつが現場にいた彼の目から生き生きと描かれているんです。ジョン・レノンのファンとしては、ちょっと嬉しかったですね。
あと「Revolution」のシングル・ヴァージョンの録音。あのジョン・レノンの激しいギター・サウンドについて、ジョンの無茶振りと、それに辟易しながらも応えるジェフ・エメリックっていう。現場の雰囲気というか、あの頃の緊張感がひしひしと伝わってきて大変興味深い。しかもそのサウンドは後世に影響を与えるほど斬新なものだったんですから、凄いですよね。でもその軋轢が、ジェフが出て行く原因になっている訳ですから、ちょっと複雑な思いですけどね…。
ジェフ・エメリックの成してきた仕事は、いわゆる縁の下的なものですので、これまで彼について語られることはあまり無かったかもしれませんが、ビートルズの快進撃に無くてはならない、天才的なエンジニアでしたね。
ジェフ・エメリックさん、安らかに。
2018年10月2日、ザ・ビートルズのエンジニアとして知られる、ジェフ・エメリックが亡くなられました。享年72歳。長く心臓病を患い、ペースメーカーを使用していたこそうです。
ジェフ・エメリックがビートルズのエンジニアに昇任したのは、1966年4月、「REVOLVER」の録音からでした。それは4月6日、「Tomorrow Never Knows」から始まりました。
エンジニアとしての初仕事が「Tomorrow Never Knows」って、いきなり荒れる大海原に投げ出された感じだったでしょうね。なにせ翌日には、あのテープループの録音をしてますから!もちろん、それまて前任者ノーマン・スミスのアシスタントとして経験を積んでましたけどね。(ちなみに、ノーマン・スミスはプロデューサーに昇格し、ピンク・フロイドを手掛けます)。それでも、アシスタント・エンジニアとチーフ・エンジニアでは雲泥の差でしょうし、何よりその時ジェフはまだ二十歳でしたから!
*海外版のWIKI によりますと、ジェフ・エメリックの生年月日は1945年12月5日とのことで、「REVOLVER」録音時の1966年4月は20歳になりますが、日本語版のWIKI ですと、生年月日が1946年12月5日になっていますので、こちらですと19歳ということになります。ですが、2018年10月2日で72歳なら、1945年が正しそう。
それにしても二十歳のジェフ・エメリックが、かのビートルズのエンジニアを任されるというのも運命的ですよね。ただ、そのジェフの若さが、当時、急速に新しいサウンドを求め始めたビートルズに合っていたというのは、よくいわれる話。つまり、経験が浅いがゆえに、型通りの録音方法にとらわれない柔軟な発想が可能だったと。例えば、「Tomorrow Never Knows」ではジョン・レノンの声をレズリー・スピーカーに通してみたり。またリンゴのバスドラムにウールのジャケットを詰め、うんとマイクを近づけて録音し、さらにリミッター&コンプレサー処理したり。ありとあらゆる手でビートルズの要求する革新的サウンドを実現していきました。
ジェフ・エメリックは、「REVOLVER」から「THE BATLES」(通称ホワイトアルバム)まで、彼らが最も実験的だった時代にエンジニアを務めました。ビートルズのサウンド的先鋭さに果たした彼の貢献は計り知れないでしょう。しかしそんな彼も、ホワイトアルバム製作中、現場の雰囲気の悪さに愛想を尽かし、去っていきます。
でもそれがビートルズとの分かれになった訳ではなく、「ABBEY ROAD」ではエンジニアとして復帰していますし、アップル・スタジオにも関わっています。ポール・マッカートニー&ウイングスの作品でもエンジニアを務めています。ビートルズの彼に対する信頼が伺えますね。
ビートルズ以外にも、エルヴィス・コステロ、ジェフ・ベック、チープ・トリック、アート・ガーファンクルなど、様々なアーティストと仕事をしています。
また、ジェフ・エメリックは、ビートルズと共に過ごした時代を、1冊の著書に纏めています。それは日本でも発売されている「ザ・ビートルズ・サウンド最後の真実」。これがビートルズのレコーディング風景が伺えるとても面白い本なのです。例えばジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作による「A Day In The Life」ですけど、ポールの自伝的な著書「PAUL McCARTNEY MANY YEARS FROM NOW」からは、中間のオーケストラ・パートについて、その構成やアイデアも含め、ほぼポールが一人でやった様な印象を受けますが、ジェフ・エメリックの本では、当初は空白だったあのパートに、ジョンは「ものすごく小さい音から次第に大きな音になり、ついにはそれが全てを飲み込んでしまう」という抽象的なイメージを持っていて、それに対して「オーケストラを入れたらどうだ?」とポールが提案した、そんないきさつが現場にいた彼の目から生き生きと描かれているんです。ジョン・レノンのファンとしては、ちょっと嬉しかったですね。
あと「Revolution」のシングル・ヴァージョンの録音。あのジョン・レノンの激しいギター・サウンドについて、ジョンの無茶振りと、それに辟易しながらも応えるジェフ・エメリックっていう。現場の雰囲気というか、あの頃の緊張感がひしひしと伝わってきて大変興味深い。しかもそのサウンドは後世に影響を与えるほど斬新なものだったんですから、凄いですよね。でもその軋轢が、ジェフが出て行く原因になっている訳ですから、ちょっと複雑な思いですけどね…。
ジェフ・エメリックの成してきた仕事は、いわゆる縁の下的なものですので、これまで彼について語られることはあまり無かったかもしれませんが、ビートルズの快進撃に無くてはならない、天才的なエンジニアでしたね。
ジェフ・エメリックさん、安らかに。