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mola_circus モラを楽しむ

パナマのクナ族が着ているモラ(ブラウス)は、模様がまるで絵画のようです。いっしょにモラを楽しみませんか。

長崎市出島町

2016-11-05 | 旅行
長崎で最初着いたのが「出島」です。

大昔に教科書で教わった出島を頭に描いて行ったのでは、相当に面食らうことになるのですが、
現在は長崎市出島町ということで、直ぐそばには路面電車が走り、ビルも立ち並んでいます。

鎖国時代の出島といえば1600年代から1800年代の200年。
当時が残されていると思う方が変ですが、一度刷り込まれた記憶はなかなか消えないものですね。

明治時代、埋め立てによって無くなった出島ですが、
長崎市が平成8年から進めてきた復元工事でいくつかの建物が復元されて公開されています。

一度は全て無くなってしまったものを復元したという「出島」にいざ行って見ましょうか。

多分メインの建物だと思われる「カピタン部屋」へ。
カピタンというのは商館長のことで、この建物は非常に大きく、カピタンの住居であるとともに、商館事務所であり、また客をもてなす所でもありました。



大広間です。

壁や天井には唐紙が貼られています。
天井にはシャンデリア、調度品は1800年代のものだそうです。
勿論、シャンデリアも電気ではなくロウソクでしたがとガイドさんの弁。





長崎には「サルク」といわれる町歩きのガイドさんたちがいて案内してくれます。

その方の説明を受けて色々知ることが出来ました。



入り口です。
外階段で両側から二階に上れます。



特徴的だったのは壁、天井の唐紙とドアや手すり、外階段の青緑色の塗装です。
私はとても好きな色なので嬉しくもあったのですが、
畳の部屋に一面の壁紙はハッとしましたし、
マッチしているようなしていないような、、でした。

唐紙のことにも少しふれます。


だそうです。

付け焼き刃なこととて、詳しく知りたい方は調べて下さい。



一階の土間に設置されていたこれは、歴代のカピタンの名前が残されていました。

入り口からは一番奥になりますが、かつての「出島」のミニチュア版が作られていました。



まだまだ周囲に堀を巡らすなど、長崎市の計画は進行中です。

中学の修学旅行以来、なんと長崎市街には何十年ぶりです。(_ _).。o○
覚えていることはあまり多くありません。

「出島」の最後にもう一枚、


これは「一番船船長の部屋」にあったベッドです。
ベッドカバーに反応したのですが、このベッド、寸詰りなサイズに思えるのは私だけかしら。(╹◡╹)



コメント (6)
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