遅まきながら小西康陽「ぼくは散歩と雑学が好きだった。小西康陽のコラム1993-2008」(朝日新聞社)購入。
小西氏も<小西康陽が小西康陽になるために読んだ100冊>や<あとがき>で挙げている植草甚一の「ワンダー植草・甚一ランド」や小林信彦の「東京のロビンソンクルーソー」のような段組、見出し、ブックデザイン(さらには峰岸達氏がイラストを書いている!)。前から読んでも後ろから読んでも斜めから読んでもオッケーなヴァラエティブックの真骨頂。ときどきこういうブックデザインをしている書籍を見掛けることがあって、おそらく編集者かデザイナーは「東京のロビンソンクルーソー」や晶文社の書籍をイメージしているんだろうなあと思う。実は数年前に知野二郎さんと作った本も、まさにそのイメージで構想していた。思ったよりも時間がなかったこと、予算がそれほどなかったことなど、諸々のこともあって思い通りにはならなかったけれども、溢れるようなヴァラエティ感とヴォリューム感だけは出したつもり。
またこういうコラムを再編集したヴァラエティブックを作りたいといつも思う。
18歳か19歳の頃、古本屋で「東京のロビンソンクルーソー」を見つけたときの影響がまだ残っている。もうカヴァーはぼろぼろだし、繰り返し開いたせいで製本も怪しくなっているけれども、いまだ本棚に残っている。
小西氏も<小西康陽が小西康陽になるために読んだ100冊>や<あとがき>で挙げている植草甚一の「ワンダー植草・甚一ランド」や小林信彦の「東京のロビンソンクルーソー」のような段組、見出し、ブックデザイン(さらには峰岸達氏がイラストを書いている!)。前から読んでも後ろから読んでも斜めから読んでもオッケーなヴァラエティブックの真骨頂。ときどきこういうブックデザインをしている書籍を見掛けることがあって、おそらく編集者かデザイナーは「東京のロビンソンクルーソー」や晶文社の書籍をイメージしているんだろうなあと思う。実は数年前に知野二郎さんと作った本も、まさにそのイメージで構想していた。思ったよりも時間がなかったこと、予算がそれほどなかったことなど、諸々のこともあって思い通りにはならなかったけれども、溢れるようなヴァラエティ感とヴォリューム感だけは出したつもり。
またこういうコラムを再編集したヴァラエティブックを作りたいといつも思う。
18歳か19歳の頃、古本屋で「東京のロビンソンクルーソー」を見つけたときの影響がまだ残っている。もうカヴァーはぼろぼろだし、繰り返し開いたせいで製本も怪しくなっているけれども、いまだ本棚に残っている。