JR東海道線藤沢駅と大船駅との中程に線路をくぐる小さなトンネルがあります。宮前避溢橋りょう{みやまえひいつきょうりょう}といいます。自動車は通れませんが人と自転車は通れます。地元の人がよく使っているそうです。
かつてこのトンネルには、今では想像しにくい大きな役割がありました。昔この辺りは、柏尾川の氾濫原に広がる田んぼでした。そこに土手を築いて1889年に東海道線が開通しました。この柏尾川は名だたる暴れ川で、古くは江島縁起の五頭龍{ごずりゅう}と天女(弁天様)の話で洪水などを起こす五頭龍として描かれたほどです。特に線路ができてからは、溢れた水が土手の北側に留まるようになり農家を困らせたので、その水を川に落とすために作られたのが避溢橋りょうです。今も、トンネルの中央部は排水路を通して一段高く、南側の水路に続きます。付近の土手からは水がしみ出ていて、地下水の流れが残っていることがうかがえます。
武田薬品の前にあるバス停の近く信号のところに東海道本線の下を横断する「避溢橋りょう」の北側の出入り口があります。道路からは見えないと思います。
避溢橋りょう」の南側の出入り口です。
〔宮前避溢橋りょう〕
設計 東京南鉄道管理局 小田原工事区
施工 東鉄工業株式会社
設計荷重 KS-18
基礎根入 天端{てんば}から 4M 270
着手 昭和55年4月6日
しゅん功 昭和57年1月23日
かつてこのトンネルには、今では想像しにくい大きな役割がありました。昔この辺りは、柏尾川の氾濫原に広がる田んぼでした。そこに土手を築いて1889年に東海道線が開通しました。この柏尾川は名だたる暴れ川で、古くは江島縁起の五頭龍{ごずりゅう}と天女(弁天様)の話で洪水などを起こす五頭龍として描かれたほどです。特に線路ができてからは、溢れた水が土手の北側に留まるようになり農家を困らせたので、その水を川に落とすために作られたのが避溢橋りょうです。今も、トンネルの中央部は排水路を通して一段高く、南側の水路に続きます。付近の土手からは水がしみ出ていて、地下水の流れが残っていることがうかがえます。
武田薬品の前にあるバス停の近く信号のところに東海道本線の下を横断する「避溢橋りょう」の北側の出入り口があります。道路からは見えないと思います。
避溢橋りょう」の南側の出入り口です。
〔宮前避溢橋りょう〕
設計 東京南鉄道管理局 小田原工事区
施工 東鉄工業株式会社
設計荷重 KS-18
基礎根入 天端{てんば}から 4M 270
着手 昭和55年4月6日
しゅん功 昭和57年1月23日
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