motoryama7011fの鉄ヲタ日記

おでかけしたい

中山道サイクリング その8(軽井沢→大宮)

2020-11-26 21:10:00 | 旧五街道サイクリング



6:45 軽井沢の清々しい朝です。
今日もすっきり快晴でサイクリング日和、ありがたいことです。


6:59 自転車で約10分進むと碓氷峠に到着。
ここに県境があることからわかる通り、ここが峠の最高地点でこの先は基本的に下り坂になります。
軽井沢駅からここまでも緩やかな上り坂がちょっとあるだけで、基本的には東側に急坂があるだけの片峠と言えます。
旧街道サイクリング初回で漕いだ鈴鹿峠もそうですが、進む向きによって攻略難易度が大きく変わる峠って結構ありますよね。


群馬県に入って国道18号線碓氷峠区間を下っていきます。
この道は歩道がないので自転車走行は危ないのではないかと気にしていたのですが、交通量は思っていたよりかなり少なく5分に1台すれ違うかどうかというレベルでした。朝なのも影響しているかもですが。
箱根峠と同じく碓氷峠にも走りやすく整備されたバイパス道が別にあり、ほとんどの車は碓氷バイパスへ流れているようでした。
横川~軽井沢の連絡バスも基本的には碓氷バイパス経由ですし。


旧道を通る車は碓氷の峠道ドライブを楽しんだり、信越本線旧線のめがね橋などを観光しに来る方がメインなのかなぁと思います。
走っている車はパジェロやプリウスのほか軽自動車も結構見かけました。ハチロクとか居ないかなぁと気にしていましたが出会えませんでした。






国道18号線旧道からは信越本線の廃線跡がいくつも見られます。
奥に見えるトンネルは新線のトンネル跡でしょうか?架線柱も残っていて現役の線路のように見えます。




この地点から自転車の止まっているところを経由し、国道18号線旧道に沿う向きでトンネルに至るほうがおそらく旧線ですね。
遠くに見えるトンネルと違い構造が古めで、要石が立派なレンガ造りのトンネルであることが分かります。
それにしても、一番紅葉が映える時期に碓氷峠に来られたのは正解でした。最高です。


レンガ造りの旧線と、コンクリート造りの新線。それらの違いを見ながら峠を下っていきます。
今となってはどちらも鉄道が走ることはないんですよね。


7:37 熊ノ平駐車場
ここから階段を上った先に信越本線の旧熊ノ平駅があります。


この駅からは多数のトンネルが観察できます。
真ん中と右は線路が残されていることからわかる通り、廃線時の下り線・上り線となります。




一番左は下り旧線の突っ込みトンネル跡。ちょっと特殊なスイッチバック駅であった名残です。
両端をトンネルに挟まれた構造であり列車の長さに対して有効長が足りなかったことから、一旦突っ込み線に入ってから後退してホームに着けていたようです。


その後、一部の突っ込み・引き上げトンネルは新線のトンネルに流用されたようです。複線化された最末期はこんな感じだったようです。


変電所設備の名残を見ながら今度は横川方のトンネル跡へ。


こちら側は一番左に複線サイズのトンネルが1つ。こちらは新線が当初単線で開業したときのものでトンネル内に分岐が設けられており有効長を確保していたようです。
新線に切り替えた後は突っ込み・引き上げ線が廃止されましたが、通行可能な列車の両数は減ったんでしょうか?


左側から2つが新線のトンネル跡。コンクリート造りで線路が残されていることもあって現役の鉄道設備にも見えます。


さらにこの右手にはレンガ造りのトンネルが2つ残っています。
画像で言う左側は横川へ向かう本線のもので右側は下り列車が後退して入る引き上げ線のトンネル。
突っ込みトンネルは平坦線に建設されているので急勾配の本線トンネルと比べるとその差がよくわかります。


旧熊ノ平駅跡。末期は信号場の扱いでしたが綺麗にプラットホームが残っていますね。
約20分の観察をしてから退散。もっと滞在したいところですが…


真っ赤に色付く紅葉越しに自転車を撮影。密を避けた紅葉狩り、いいですよね。
朝なのもあってか駐車場には1台しか止まっていませんでした。
「バイクかと思ったけど自転車!?」って驚かれました。ロードバイクならまだしもママチャリでダウンヒル攻めてるわけですからある意味怖いですよねw

AmazonMusicの頭文字Dの再生リストを爆音でかけながらブレーキを適切に使いながら坂を下っていきます。
ピザマンファイヤ、HEARTBEAT、SPITFIREとかテンション上がりますよね。
どの曲が碓氷峠の曲か忘れましたがEUROBEATでダウンヒル駆け下りるのは爽快ですね。
熊ノ平駐車場の近くで一部区間電波が無いらしくその区間だけ音楽が止まっちゃいましたが基本的には電波が入るみたいですね。

普段あんまり音楽を聴かないのでAmazonMusicで事足りているのですが、ちょっと曲数が少ない気がしちゃいますね。
Forever Youngとか流したかったんですけどないんですよ。「…いるのか、そこに!?」ごっことかしたいんですけど。
(訂正:よく探したらありました、同名の曲に埋もれてましたね…)


めがね橋だけでなく、この橋もかなり立派な造りをしていますね。100年以上前に開通させた信越本線、その苦労を感じられます。




8:00 碓氷峠めがね橋


紅葉のめがね橋いいですよねぇ。素晴らしい。






めがね橋の上は遊歩道「アプトの道」として整備されています。歩いてみるとわかりますが橋の上も結構な勾配がついていて不思議な感覚です。


橋の上から見る国道18号線旧道。峠道らしく右へ左へうねうねとカーブしています。
それに対し鉄道は明治期にしては珍しくトンネルと橋を多用して直線的な線形で敷設されています。
貨物需要旺盛な幹線鉄道であったためスイッチバックを多数配置する王道の峠対策は取らず、困難が伴うことは承知でアプト式を採用しこのルートを取ったと考えると凄いなぁと感じます。


反対側を見ると、新線の高架橋が見えます。新幹線の構造物みたいにかなり新しく見えますがこれも廃線、もう列車が走ることが無いというのがにわかには信じがたいところです。


8:14 めがね橋を去ります。横川駅へ向けて坂を下っていきます。




坂を下った先には坂本宿があります。
実は軽井沢と坂本の間では旧中山道は結構離れたところを通っているのですが、自転車で越えるのは苦労しそうな峠道みたいです。ハイキングコースにはいいかもですが。
そちらを通ってしまうと信越本線旧線の遺構が見られないのもあって今回は国道18号線旧道を進むことにしました。




峠のシェルパ、EF63が止まっているのは碓氷峠鉄道文化むら。


10時開館なので残念ながら見学はできませんが、外から眺めるだけなら可能です。
ここも有名な鉄道博物館ながらまだ一度も来たことが無いんですよね、また今度…


8:36 横川駅に到着。おぎのやの店舗が目の前にあります。
この時間おぎのやさんはまだ空いていません、先へ進みます。


妙義のギザギザした山を背景に211系を撮影。理由はわからないですが高崎の211系って正面窓上が白いの居ますよね。


この先で中山道は信越本線と交差、第十五中仙道踏切という踏切名になっていました。


その先では番号が若くなっていきます。高崎側から順に番号が振られているようです。
踏切名を確認すればちゃんと旧中山道に沿って進んでいることを確認できて安心できるので実は結構助かったりします。


その先、これは交差せずすぐ横を通っただけですが製糸踏切という名前にビビっと来て撮影。
元々信越本線は岡谷や高崎などで取れる絹糸を横浜港へ運び輸出することで外貨を獲得するという文明開化を支える大事な路線でした。
往時の役割を何となく感じられる製糸踏切。いい名前じゃないですか。


9:09 松井田宿




9:35 すき家安中原市店
朝ごはんをまだ食べておりません、お腹が減りました。
晴れてはいるものの風は冷たく、自転車を漕いでいると体の芯から冷えるものです。温かい豚汁が染みわたります。


すぐ近くにはベルシティー安中ショッピングプラザというのがありました。このレトロな見た目がいいですねぇ。
ドラッグストアがあるかなぁと期待して寄ったのですがここにはなさそうでした。虫歯が痛いので痛み止めが欲しいんですよ…


10:24 ハッピードリンクショップ安中原市店
見かけた中ではここが最も東のハッピードリンクショップだったと思います。
道中で何度もお世話になりました。内容はただの自販機なんですが目立つんで寄っちゃうんですよね。

瓶しか売ってないと思っていたら缶でも売っていた濃縮版魔材で眠気を飛ばします。
あと、ゼリー飲料のカロリーメイトとポカリも売っていたので今後の戦に備えて購入しておきました。


安中貨物で知っている方もいるかもしれません、安中駅の近くには東邦亜鉛の精錬所がありごちゃごちゃとしています。


10:34 板鼻宿本陣跡
跡地には板鼻公民館が建っており、入口のところに記念碑がありました。


板鼻宿を出て少し進むと中山道から上野国一社八幡八幡宮へ分かれます。分岐点には立派な大鳥居が見られます。


11:07 ベルクフォルテ高崎店
中山道沿いにマツモトキヨシがあるというのはかなり助かります。痛み止めとついでに花粉症の薬を購入。






11:30 高崎駅に到着。
お昼までに高崎に着きたいと思っていたのでペースは順調です。


朝ごはんを食べるのが遅めだったのでお昼ご飯にはちょっと早い気がします。ミスドで軽くソーセージパイだけ食べて休憩。


11:58 高崎駅を去ります。休憩は短めに。
表定速度約13km/hで順調にいけば日が暮れるまでに上尾くらいは行けるはずなので頑張ります。


高崎の駅周辺には宿場らしさは残っていないよなぁと思いましたがこんなお店がありました。


高崎アリーナの近くで上信電鉄と交差。タイミングよく踏切が鳴動したので撮影。
元JRの107系による群馬サファリパーク号が見られました。




走り去る高崎駅のほうを見ると、JR時代の塗装のまま留め置かれている107系と先代の群馬サファリパーク号が見えました。




12:21 倉賀野宿
高崎を過ぎると基本的には高崎線に沿って日本橋を目指します。




12:57 神流(かんな)川を渡って埼玉県に入ります。
神流川橋の欄干には神流川の渡し常夜燈のモニュメントがあるのが粋なところです。




13:28 本庄宿に到着。
宿場があった雰囲気は正直ほとんどありませんが本陣跡に石碑が立てられているのはありがたいです。


自転車で旧中山道を辿る人に向けて親切な標識もありました。たすかる。


旧中山道が高崎線の近くを通る区間で進んでいると、踏切が鳴ったので折角なので電車を撮影。
深谷駅から北へ少し進んで緩やかなカーブを描く清心寺前踏切。
遠くには東京駅深谷駅の赤レンガ駅舎が見えていい感じに撮れました。

それにしても不思議な感じですよね、どう見ても東京駅なのに線路の上に赤レンガ駅舎が垂直に置かれている…


踏切のある地点を過ぎるとすぐに深谷宿に入ります。


14:51 ファミリーマートヤマキ東方店
籠原駅に割と近い場所までやってきました。栃木県にはかすってもいませんが北関東ということでレモン牛乳を購入。美味しいですよね。


15:20 八木橋百貨店にて
立派な百貨店の場所に旧中山道の石碑がわざわざ設けてあるのを見てちょっと驚きました。
八木橋百貨店って聞いたことなかったんですが熊谷に1店舗だけなんですね。埼玉県で最初に出来た百貨店ということでわりと凄そうです。




熊谷駅をちらっと見つつ、中山道を進んでいきます。


15:58 吹上付近にて
旧中山道は吹上駅周辺の市街地を進んでいくのですが、交通量が多いのに道幅が狭く歩道もないということで吹上駅周辺をぐるっと迂回する国道17号線沿いに進みました。
その道中にメモ代わりに撮影したのがこちら。くるまやラーメン。

既に2回も通った松本→塩尻のルートの途中にこのくるまやラーメンが2店舗あるんですよね。
長野県のご当地チェーン店なのかなぁと思っていたら埼玉県に入っても見かけたので驚いて撮影したのでした。
店舗情報を調べてみると、東北・関東甲信越を中心に152店舗もあるチェーン店みたいです。
てっきり静岡周辺で結構見るスマル亭みたいなローカルチェーンだと思っていたのでびっくりしました。

時間が晩ごはんには早かったので素通りですが、機会を見つけて食べに来たいなぁと思いました。
幸手とか杉戸なら日光街道沿いですし寄りやすそうです。覚えておくことにします。


16:31 鴻巣宿、これぐらいで日没時刻。だんだん暗くなってきます。


16:59 桶川宿本陣跡
まだ薄ら明るいかなぁという頃合いで桶川まで到着。
当初の目標は上尾でしたがほぼ順調といっていいでしょう。


17:18 上尾駅
思っていたより大きな駅で驚きました。駅前には丸広という百貨店もあって活気がありそうです。


17:25 さいたま市に入ります、本日のゴール大宮はもうすぐ!
…なのですが、この辺りから急激にペースが落ちます。
ここまでは基本平坦(全体で見れば緩やかな下り坂)なのでギア2の18~22km/hくらいで飛ばしてきたわけですが、この辺りからギア1ですら重くふらふらと漕いだり平坦なのに推して歩いてみたりと漕ぐ気力が一気になくなってしまいました。


17:45 東大成交差点、加茂宮駅のすぐ近くです。
あとちょっとでゴールなのはわかっているんですが、ここでついに疲れがピークに達しました。まるで自転車を漕ぐ気になれません。
坂が無い平坦イージーコースではあるんですが、それでも高崎からの約70kmを5時間半ほどで漕ぐというのは負担が大きかったのかもしれません。
この交差点に自転車を止め、地べたに座って10分ほど休憩ののち大宮駅を目指して再開。


…と思ったら2km進んだ北大宮駅近くで力尽きて再度休憩。
時刻は18:04。時速6km/h台にまで落ちており相当堪えていることが読み取れます。
この辺りになると幹線道路沿いであっても人通りが多くなってきているのですが疲れを我慢するとぶっ倒れる気しかしなかったので歩道に地べた座り。
見たことはあったけど買ったことがなかった海老スープを買ってみました。
究極に疲れた時に飲んだからか、めちゃくちゃおいしく感じました。うまい。


宇都宮線と東武野田線をアンダーパスで潜ります。
第2仲仙道ガードとここも中山道関連の名前が付けられていました。




街がにぎやかになってきました、もうすぐだ…




18:23 大宮駅に到着。長かった。
大宮はやっぱり都会ですね、駅周辺は帰宅時間なのもあってか人がたくさんいて押して進むのも大変でした。




大宮駅近くのセブンイレブンに自転車を返却。
本来であればHELLOCYCLINGが枠外に溢れることはないのですが、恐らく返却処理がちゃんと完了していない子がいたのか溢れていました。
松本で借りた自転車ですが、大宮地区の自転車とほぼ仕様が同じようで(充電用の端子がついているくらい?)並べても違和感はあんまりありませんね。


松本から3日間お世話になった自転車、利用料金はクーポンのおかげで4,630円でした。
紹介コードから登録していただいた皆様には大変感謝しています。ありがたく使わせてもらっています。


借りた場所と違っても、エリアが全く違ってもHELLOCYCLINGステーション間相互であれば利用が出来るシェアサイクル。
それだけでなく、24時間を超えた長時間レンタルが出来るというのもHELLOCYCLINGの強みかと思います。
運営さんがこんなブログを見たら頭を抱えるかもしれませんが、楽しく利用させてもらっています。

これだけめちゃくちゃな利用をさせてもらっているのでせめて、読者の皆様にHELLOCYCLINGのサービスを知ってもらえたらなぁと思います。
普通はこんな都市間ライドをするものではなくて、使い方によってはバスより安く待ち時間なしの2点間移動が出来たりもします。おすすめです。




自転車の返却を済ませた後は、大宮駅改札内で晩御飯を食べることにしました。
かに玉チャーハン、とても美味しかったです。カニ汁もついてくるのが豪華ですよね。
運動直後でおなかが空いていたのですが、直後過ぎて食欲より疲労と眠さが買ってしまいちょっと残してしまったのが悔やまれます。でもとても美味しかったです。

19:40にはホテルにチェックイン。疲れたのでお風呂に入ってから早めに寝ることにしました。
せっかくのスーパーホテルなので大浴場は入っておかないといけません。いい湯でした。


風呂上がりのプリンは罪の味がしますよね。
「肉体疲労時の栄養補給」が必要な気がしたのでリポビタンDの8ってやつも飲んでおきました。「つらい疲れに」って大きく書いてあるやつです。

明日は東京まで30kmちょいの短い道のり。フル充電の自転車で漕げるのでアシスト使い放題とかなり楽そうな気がしますが疲れを残すわけにはいきません。
次回・中山道サイクリング最終回!

つづく。


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中山道サイクリング その7(岡谷→軽井沢)

2020-11-19 14:01:20 | 旧五街道サイクリング



6:30 塩尻のホテルオークニさんを出発します。
夏であれば4:30出発でも明るいのですが冬になると朝も遅くなります。あと寒すぎますし…

ホテルは結構古めでしたが客室内も使いやすく整備されていていい感じでした。
コンセントの少なさを延長コードを置くことで補ってくれていたりしていて好印象でした。


すぐ近くの岡谷市民病院で記念撮影。いざ出発。




旧岡谷市役所の立派な建物を見ながら下諏訪宿を目指します。




6:58 下諏訪宿に到着。


下諏訪宿のすぐ近くには諏訪大社があり、中山道からアクセスする道の分岐点には大きな鳥居が設けられています。
私は全然知らなかったのですが、諏訪大社って諏訪湖周辺に4カ所にあるんですね。


この大鳥居は下社春宮へ至る表参道のようです。上の地図では黄色い線で示したものです。
赤い色の中山道はこの先で下社春宮のすぐ脇を通るのですがあくまで表参道はここから分かれる道みたいですね。

なお下社秋宮もすぐ近くにあり、中山道をそのまま進むと現れます。ちょうど甲州街道との分岐点のすぐ近くですね。


7:03 下諏訪駅に寄り道。
ここを過ぎると次は小海線岩村田駅までしばらく鉄道空白地帯となります。
諏訪大社最寄りの駅であることを意識してか和風で落ち着いた雰囲気の駅舎になっています。
二階建てで緩やかな斜度の大きな屋根が木曽福島駅などにも何となく近い気がします。
積雪のある地帯であることの他に、当時の流行とかもあるんですかね?


下諏訪駅前のハッピードリンクショップ下諏訪富士見町店にてほっとレモンを購入。
日が昇る時間でも山の影に入る時間が多く温かい飲み物が欲しくなります。


今回からようやくまともな手袋を導入しましたが、結構薄手の夏用なので冷えます。無いよりは全然いいんですけど。
今まで素手だったので指先に豆が出来たり皮が捲れたりしていましたがその点は大幅に改善され無傷でした。今後も愛用していきたいと思います。






下諏訪宿もいい雰囲気の宿場町が残されています。画面正面の木々が茂っているところが諏訪大社下社秋宮、甲州街道を制覇するときに参拝してみようかなと思います。


中山道と甲州街道の分岐する下諏訪宿。
ここから左の中山道へ進み、鉄道が越えられなかった急な山、和田峠を目指します。


谷に沿って進んでいくのでなかなか日が当たってくれません。寒いです。




7:46 気温は-2℃。標高は930mまで上がりました。
松本駅の標高が586m、下諏訪駅が767mで比べるとぐんぐん上ってきていることを実感します。
ちなみに昨日越えた塩尻峠は1,012mだったのでそれと比べるとまだまだですね。


7:58 標高1,000mを突破しました。
なお、昨日は一切電動アシストを使わず漕いできましたが本日挑む和田峠・笠取峠に関しては電動アシストを活用して登っていきます。
松本から東へ向かうと次に返せるHELLOCYCLINGステーションは埼玉県の大宮までないのですが、高崎からは広大な関東平野なので本当にアシストが無いと進めない峠は長野県内だけなんですよね。
あと、鉄道急勾配でも知られた碓氷峠はいわゆる片峠、軽井沢から横川へ下る一方の峠道なのでアシスト機能は不要と考えました。この結果がどう響くか…?


結構上ってきました。紅葉が綺麗な時期に来られたのは良かったなぁと感じました。


8:01 樋橋茶屋跡の看板がありました。
和田峠のある下諏訪宿~和田宿間は約23km離れていて、峠越え区間なことに加えて雪も降るので難所とされていました。
そんな区間での休憩や吹雪の避難場所としていくつかの茶屋が設けられたそうで、ここもその1つのようです。


8時を過ぎてもなお日陰のままです。寒いって…


令和の時代でもこういうDVD無人販売所って現存するんですね、というか令和だからこそ対面接触を避けた最先端の販売形態なのかもしれませんが。
こんなボロボロの見た目ながらちゃんと商品は陳列されていて、ボタンも光っておりちゃんと通電されていました。
こういう山奥でも今は全部DVDなんですね、紙媒体のイメージだったのでちょっと驚いたりもしました。
観察だけしておいて申し訳ないのですが購入はしませんでした。ゆるして。


途中で旧道があったので少しの区間だけ進んでみようと思い国道142号線を外れます。


こういう所って荒れてはいても昔の五街道なので荷車が通れる設計になっているんですよね。
自転車でも押して進めることは十三峠で学びました。


まあ少し荒れてはいますが問題ありません。


ただ、途中でアクシデント発生。
街道整備された時代の中山道は崩落で通行止め、古往還を登るよう指示されています。

登るという表現の通り、両手両足を使って岩の間を進むような道しかありません。少し自転車を持って試してみましたが無理でした。


諦めて先程の位置に引き返します。20分ほどのロスにはなりましたが仕方ありません。
無理だと思ったら引き返す、登山の鉄則はサイクリングにおいても有効です。




9:09 和田峠のてっぺんに近づくと国道142号線は新道が設けられており旧道を通る車はほとんどいなくなります。
旧道側には美ヶ原・霧ヶ峰といういかにも山小屋や高原ホテルなど観光に特化した場所と、東餅屋・接待という旧街道の茶屋跡を伺わせる地名が並びます。


ここを直進すると新和田トンネル有料道路となります。
一応自転車も50円で通行可能なようですが、歩道がなくトラックの通行もあるので旧道を行くほうが安全そうです。


9:26 和田峠トンネルに到着。
標高は中山道全体、というより旧五街道の中でも最高の1,531mに達します。




トンネルは片側交互通行となっており信号機で交通整理がされていました。
普通に漕いでいれば自転車の速度でも安全に渡りきることが出来ます。


峠を越えてすぐのところには完全に廃業した力餅のお店があります。


ちょうどこの辺りが東餅屋と呼ばれる地域、その昔峠の茶屋が設けられていたことに由来しますが現在ではこの状況です…
ただ、200mほどの距離が離れていますが国道142号線旧道の上を通るビーナスライン沿いには和田峠茶屋というのが現役で、もしかしたらそっちに移転したのかもしれません。


9:42 永代人馬施行所跡
ここも昔の茶屋跡が由来の地名、というより茶屋くらいしかないから名付けられた地名です。


旧中山道和田峠の峠越えの難所をサポートした接待茶屋。
茅葺屋根の茶屋が現在も残され、旧中山道の雰囲気を感じることが出来ます。




難所であった和田峠のため地元からの寄付で設けられた施設で、11月から3月の寒い時期になるとお粥と焚火を提供しました。
また牛馬には年中煮麦を与えたことが伝えられています。


接待茶屋から先坂を下って、新和田トンネル経由の新道に合流すると歩道付きの走りやすい道になります。




10:18 和田宿に到着。


峠を抜けると急に宿場町の古い町並みが現れる感じは十三峠を越えた先の大湫宿に似た雰囲気を感じました。
山間にあって決して住むのに向いた立地ではないはずなのですが、昔から峠越えの宿場として発展した町という感じがします。


和田宿を越えて長久保へ向かいます。2005年に長門町と和田町が合併したことで長和町に改称したためそこだけ新しくなっています。
そのうち長門町は長久保新町・長窪古町と大門町の頭文字を取ったものということです。






10:51 JRバス関東小諸支店長久保営業所
上田駅から丸子を経由し長久保までを結ぶ和田峠北線が残っています。
和田峠北線という路線名からわかる通り、昔は和田峠南線という路線もありこちらが旧中山道の宿場を結んで下諏訪までを結んでいました。






長久保宿からは再度上り坂が続きます。宿場内も結構急な坂です。
中山道で一番険しい和田峠は越えましたが、この先には笠取峠が控えています。
依田川に沿って上田に抜けるほうが地形的には有利なので、長久保からのバス路線なども上田を目指して進路を北に取っています。


険しい坂が続きます。予め買っておいたレッドブルでちょっと休憩。




笠取峠の旧道を進みます。自動車通行止めの措置がされていてなんだろうと思ったら大きく崩れていました。


密を避けて紅葉狩り、いいですよねこういうの。


国道142号線に再度合流すると中山道を示すモニュメントが現れます。ここを過ぎるともうすぐ峠のサミットです。


この辺りは別荘地が並んでいて高原リゾートの雰囲気が感じられます。
宣伝を学術関係者に絞って行っていたことから学者村と名づけられています。
学者じゃないと契約できないわけではないそうなのですがそういう経緯から学者の方が多いみたいです。




12:01 笠取峠を制覇、坂を下ると芦田宿に入ります。


中山道のこんな所でも松並木が残っているんですね。たまに見られるとテンション上がりますね。


12:17 芦田宿




芦田を過ぎると次の宿場町は望月なのですが、その途中にやたらと雰囲気のいい場所があります。
ここは間の宿の茂田井宿。以前紹介した新加納宿と同じ間の宿です。


視界が開けてくると、雄大な浅間山が視界に広がります。




12:46 望月宿


この先で1kmほど中山道から逸れるのですが、お腹が減ったので道の駅に寄り道することにします。




13:29 道の駅ほっとぱ~く浅科に到着


浅間山がよく見える素敵な場所なのでサイクリストさんも多いんですかね?
駐輪スペースもロードバイクに対応していました。違和感しかないですが…


お昼ご飯に味噌カツ御膳を頂きました。
カツが美味しいのはもちろん、かぼちゃも栗のように甘くて美味しかったです。ごちそうさまでした。


食後に道の駅でおやきを購入、食後のおやつに頂きました。
やっぱり定番の野沢菜味は美味しいですね。


この先は基本的に平坦な道のりです。鉄道が通っているだけあってそこまで無謀な勾配はなく安心です。




中山道まで少し離れているので浅間山を正面に見ながらサイクリング。これは最高です。


浅科付近からは北陸新幹線の近くを進みます。千曲川と浅間山が非常にいい感じです。


交通量の多い国道141号線と交差、佐久市のロードサイドで結構にぎわっているエリアですね。


15:07 岩村田宿に到着。
古くからのアーケード商店街が残る佐久市の中心街という雰囲気があります。


15:30 小田井宿






16:02 御代田駅近くまで来ました。
上下1本づつやってくるのを撮影。どちらもしなの鉄道カラーでした。




御代田駅付近には御代田交通記念館という施設があり、D51が保存されています。


奥には御代田駅の駅名標も置かれているのですが、展示っていう感じではないですね…


なお、この場所は昔御代田駅がスイッチバック構造だったころの線路を再利用したものとのこと。
確かに地図を見ると不自然な形状をしていますね。


御代田から先、峠というほどではないのですがなだらかな上り坂がずーっと続きます。こういうのが地味にしんどい…
途中のハッピードリンクショップで休憩です。


16:42 追分宿 分去れの道標
ここは追分宿の名の由来となった中山道(左)と北国街道(右)の追分となっています。




追分宿の旧道を進みます。軽井沢が近いこともあってかおしゃれな雰囲気の遊歩道に整備されています。
旧街道の分かれ道を示す追分という地名だけでも歴史を感じられていい雰囲気ですよね。

ただ、周辺には追分と同じくらいの頻度で「西軽井沢」の名前が出てきます。
不動産開発の観点からは軽井沢ブランドを生かしたいのかもしれませんが、うーん…と思ってしまいます。
信濃追分駅も西軽井沢駅への改称が提案されたそうですが、反対があり実現はしなかったそうです。
隣の宿場町沓掛宿の最寄り駅は沓掛駅から中軽井沢駅に改称しちゃいましたね。良かったのか悪かったのか…


この辺りで再度標高が1,000mを越えます。
信越本線としてもここが一番高く、ここからは下り坂となります。


17:12 中軽井沢駅
沓掛宿の最寄り駅ではありますが、完全に軽井沢ブランドを意識した綺麗な駅舎になっています。
最近たまに見かける図書館などを併設した複合型の駅舎のようです。




17:34 本日の目的地、軽井沢駅。
松本駅から軽井沢駅まで自転車で来ることって意外と出来ちゃうもんなんですね。
まだ17時台だというのにこの暗さ、冬は活動時間が短くなりがちです。






晩御飯は軽井沢プリンスショッピングプラザ内のフードコートで頂きました。
やたらおしゃれが集まる軽井沢ですが、庶民的なフードコートもちゃんとあるんですね。


ふわとろオムライスとカシスソーダを注文。美味しかったです。


なんで1人でイルミネーション見てるんやろか…なんて思いながら駅のほうに戻ります。


本日のホテルは駅前のアパホテル軽井沢荘
軽井沢にビジネスホテルがほとんどないこともあってか予約がかなり取りにくいようです。
私はお昼に予約を取ったのですが夜になると既に満室。早めに取っておいて正解でした。

…と思っていたのですが、誤って明日の予約を取ってしまっていたとのこと。なんてことだ。
調整用の部屋(トイレのバルブが甘くてずっとぽたぽた音がする)を充ててもらうことになりました。本当にありがとうございます。
実際部屋に入っても全然不具合は感じず、快適に過ごさせていただきました。
なお、そういうわけでGoToトラベルキャンペーンは適用外。地域共通クーポンはもらえませんでした。


ちなみに、昨日岡谷で貰ったクーポンは軽井沢駅のお土産屋さんで栗のお菓子に交換してきました。
長野といえば小布施の栗菓子ですよね。一部はホテルで頂きましたが美味しかったです。

っていうか1日自転車漕いでもまだ長野県を抜けてないんですよね、県境まで500mくらいまでは来ましたが。
やっぱり長野県でかいなぁなんて思ったりもしました。


あとはこんな感じで、おやき・飲むヨーグルト・信州ワインを楽しんでから寝ました。

つづく。


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中山道サイクリング その6(塩尻→岡谷)

2020-11-16 12:37:40 | 旧五街道サイクリング



前回までに半分以上を制覇した中山道。
残すところあと約240kmを漕ぐために、今回も松本駅までやってきました。


16:16 松本駅前でHELLOCYCLINGをレンタル開始。今回もよろしくお願いします。


既に日が暮れてきている時間帯、ただ松本~塩尻は前に漕いだことがある区間ですしパパっと済ませます。


17:19 塩尻市役所が近づいたところで発見。
このデザインのセブンイレブンの看板って今でもみられるんですね。インドの国旗っぽい。


17:28 塩尻市役所にてD51 155


もうすっかり暗くなってしまいましたが見に来られてよかったです。
腕木式信号機と転轍機標識、駅名標が一緒に保存されています。


車輪のタイヤ部分まで白色の色差しがされているのは過剰な気がしますがまあ仕方ないですかね…?


設置されている駅名標は、みどり湖まわりの新線が出来る前というだけでなく移転前の旧塩尻駅のもので洗馬と広丘が同じ側に表記されています。


前回は塩尻に宿を取って翌日の木曽路サイクリングに備えましたが、今回はもうちょっと進みます。
塩尻を過ぎるとすぐに塩尻峠という峠越えがありますがこれを1つ越えれば諏訪周辺の町があるのでここを今晩の目的地にします。




18:29 塩尻峠に挑みます。真っ暗でこんな時間に進むのは危ない気もする峠道。
Amazonmusicを流して動物対策をしつつ自転車を押して進みます。
こんなんでも旧五街道なのでほとんどの区間に歩道か交通量の少ない旧道が用意されているのが助かるところです。




ゆるキャン△でも出てきた高ボッチ高原の案内看板。
この辺りから旧道は少しずれたルートで峠に挑んでいきますが、私は走りやすさを優先して国道20号線を進むことにしました。


19:07 塩尻峠 ここから塩尻市(1,012m)
特に塩尻峠であることを示すような表記はありませんでしたが、峠を越えると市町村が変わるのって楽しいですよね。

峠を越えてすぐの場所で歩道は道路の右側から左側に移るため歩道橋を渡る必要があります。
歩道橋を押して進むのはあんまり嬉しいものではありませんが、これ以降は下り坂が続く区間なので足取りは軽めです。


そんな塩尻峠の歩道橋、そこから見える諏訪湖の景色が凄いんですよ。なんだこれ。


デジタルカメラで撮ったものがこんな感じ。
大きく右カーブしてつづら折りに峠道を下っていく国道20号線とその先に広がる夜景。最高です。


正面に輝いて見える道は岡谷インターから市街地へ延びる国道20号線でしょうか、この坂を下った先で通るあたりですね。
また、画面右手には街明かりの一切ない諏訪湖も見えています。東から日が昇ってくる早朝に訪れてもいい景色が見られそうなポイントです。


景色は非常にきれいなのですが、さすがに寒いです。下り坂で速度を上げると余計寒いのでゆっくりと下っていくことにしました。


なお、塩尻峠というのは別名塩嶺峠とも呼ばれています。
中央本線のみどり湖まわり新線や長野自動車道が貫くトンネルは塩嶺トンネルを名乗っているためこちらのほうが知られている名前かもしれません。
辰野まわりの旧線は伊藤大八による政治的圧力による我田引鉄であるなどと言われたり大八回りと言われたりしましたが、実際問題蒸気機関車であの勾配を越えたり長大トンネルで貫くというのは現実的ではなかったのではないかという気がします。




19:46 ガスト岡谷インター店にて晩ごはん。
やっぱり大葉おろしハンバーグは偉大です。うまい。


20:58 本日の宿にチェックイン
下諏訪のホテルを予定していたのですが既に埋まっていたので岡谷に泊まることにしました。


長野県の地域共通クーポン、範囲の広さが売りですね。密です。


本日の移動は約25km。あくまで松本までの移動をメインとした日なので短距離ですが仕方がありません。
木曽路の時と同様、ここより先には険しい峠道が存在しているので宿泊可能な箇所がしばらくないんですよね。

岡谷・下諏訪エリアを越えると約50km先の佐久市までビジネスホテルの類は期待できません。
高原地帯であることを売りにしたキャンプ場やペンションは数件あるんですが、大きな町は佐久市まで期待できません。

明日は旧中山道なのに鉄道が完全に諦めた峠越え区間、和田峠を越えて信越本線沿いに抜けていきます。

つづく。


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中山道サイクリング その5(鵜沼→垂井)

2020-11-06 23:40:15 | 旧五街道サイクリング

今回も中山道を自転車で攻略していきます。
残っているのは塩尻~日本橋と鵜沼~垂井。やっぱり最後は日本橋でゴールしたいのでサクッと岐阜県内を終わらせておくことにします。

0:30 名古屋栄を出発。ホームページから24時間乗り放題チケットを購入し出発。

前回と距離的にはそこまで変わらないのですが、内津峠や十三峠などの峠道が無いのでかなり負担は楽だったりします。


1:01 名古屋高速黒川出入口
狭い土地で高速道路に上がるためループ状に配置された構造物が夜に見ると迫力を感じます。




2:05 桃花台新交通小牧駅
廃止となったピーチライナーの方向を変えるためのループ線が見られます。


2:32 田縣神社
奇祭で有名な田縣神社にやってきました。

日が昇る頃に鵜沼宿に着けばいいやと思っていたのですがどう考えてもこれは早く着きすぎますね。
犬山あたりで快活CLUBを見つけて仮眠取ろうかと思いましたが最寄りは江南…




若干遠回りにはなりますがこんな時間に行っても暗闇なので江南へ向かいました。


5:50 ちょっと寝てから再度出発。




五条川・国道41号線を通って犬山へ。




7:06 犬山駅


犬山駅の改札横にはロッテリアがあるのでここで朝ご飯を食べていくことにします。おいしい。




8:00 名鉄犬山線 犬山橋
折角なのでここで撮影をしていくことにします。


南側からの向きのほうが日が当たる向きではありますが影の処理が難しそうですね。


犬山城を見ながら木曽川を渡り、岐阜県に入ります。


犬山橋を渡り新鵜沼駅へ入るミュースカイ。
2編成を連ねた8両での運転。これはかっこいい。


新鵜沼駅の前を通って少し行ったところで高山本線の特急ひだ1号もタイミングよく見られました。


8:30 鵜沼宿
ここから先が中山道の未踏区間。鵜沼宿で一番宿場っぽさが映えるのは結局この場所な気がしました。


鵜沼宿から三柿野にかけては大部分が片側2車線の国道21号線になっています。
三柿野駅が近づくと川崎重工の巨大な工場群が見えてきます。


三柿野駅のすぐ近くで名鉄各務原線を跨ぎ越します。
この辺りは川崎重工と航空自衛隊岐阜基地に囲まれていてかなり異質な雰囲気があります。


川崎重工の工場に行くためだけの踏切。なんかここだけ築港線みたいな雰囲気ありますよね。


岐阜基地のすぐ近くで国道21号線と旧中山道が分離します。
画面左手に緩くカーブしていく国道21号線に対し中山道はまっすぐ進んでいきます。

この辺りまで来ると岐阜基地の戦闘機が爆音で飛び立っていくのに何度も遭遇します。
ただ、通常の旅客機と比べかなり速度が出ているので低空であっても音が遅れてやってくるのを感じます。
音が聞こえてからカメラを用意するようでは撮影は間に合いませんね…




9:37 新加納町付近にやってきました。
途中で草むらに突撃して引っ付き虫だらけになったので剥がしつつカメラを準備して戦闘機を構えることにしました。





かなり速くてブレちゃいますが、どうやらF-2戦闘機というやつらしいです。
Twitterに画像を乗っけると即答してくれる方々がいるのが助かります()


こんなのも撮れました。さっきのとエンジンの位置が違う気がしますね。
画像サイズからわかる通りかなり小さく映ったものをトリミングしています。




ところで、現在いるこの新加納町。加納から6kmほど離れているのに加納を冠しているのは結構不自然です。
名鉄の路線図を見ていると、「なんでこんな離れたところに新加納が!?」とか「加納と茶所を統合して新加納に…できないだと!?」とか思う方は結構いるかと思います。




鵜沼の次の宿場町は加納なのですが、その間は17kmと極端に距離が開いています。
そのため、正式な宿場ではないのですが宿場に準じた施設として発生したのが間の宿(あいのしゅく)。
例えば東海道では宿場町ではないのに宿場町っぽい有松・本宿などもこの間の宿にあたります。
中山道では馬籠峠の途中の休憩所として設けられていた大妻籠があったりします。

そんなわけで、あくまで加納宿が遠いのでそれを補う役割から新加納宿とつけられました。
宿泊は禁じられていたものの長い宿場間の休憩施設として発展していたようです。




10:04 新加納駅
新加納駅と隣の新那加駅は同じ新○○ですがその意味が大きく異なることが分かるかと思います。




新加納駅のすぐ北側には高山本線が並走していますが駅は設けられていません。
ちょうどいいタイミングで高山本線も撮影出来てラッキーでした。


一帯の滞留水を境川へ流していたことからその名がついた切通地区。
ここも宿場ではないのですが、古くは美濃国を治めた長森城があった場所ということで後に切通陣屋(藩庁)が置かれることとなり中山道の休憩地としてにぎわいました。


岐阜市内の市街地にありながら道の両側とも保存されている細畑の一里塚。
ここに限ったことではないのですが、一里塚というのは街道の両端に土を盛って造っているので二子山・双子山といった呼び名がされることが多いような気がします。
地名にするほどではないけれど目印として使えることからか、付近にバス停が設けられるときには一里塚を名乗るよりそっちのほうが親しみやすいのかもしれません。




細畑駅を過ぎると大きく北に進路を変える各務原線と異なり、中山道はまっすぐ西へ進み茶所駅にあたります。


川を渡って加納駅方面へ。


茶所駅を過ぎると中山道は旧に北へ向いたり結構うねうねと加納宿の中を進んでいきます。
一般的に旧街道は極力まっすぐ進むもので、桝形など宿場内のクランクはあれどここまでコの字型に折れているのは不思議なものです。
これにももちろん理由がありまして、岐阜大学付属小中学校がある場所に昔の加納城がありその城下をうまく通るためにこんな感じになっているようです。




加納大手町の地名が表す通り、学校が並んでいる敷地には加納城の大手門が設けられていました。




そろそろお腹が減ったのでここで岐阜駅へ寄り道。


11:18 岐阜駅のドトールにて昼食。おいしい。


岐阜市内線へ直通列車が走っていた時期もあった鏡島。




12:13 長良川を渡ってすぐの場所には河渡(ごうど)宿があります。
名前が示す通り川を渡った先の宿。川は増水すると通れなかったりするのでこういった場所には宿場が置かれがちです。


12:33 美江寺駅
本数の少ない樽見鉄道、列車のタイミングは合いませんでした。


12:38 美江寺宿に到着。
2時間半ほどかけて加納までの1区間を漕いだのに対して、約1時間で河渡・美江寺と進んできました。
極端に速度を変えたつもりもないのですが、やっぱり鵜沼~加納の間が大きく開いていることを実感します。


美江寺で面白いなと思ったのがこちらの看板。広重画と同じ構図の景色が見られることがPRされています。


パッと見だと何の変哲もない景色なのですが、浮世絵に描かれた景色を同じ視点で見られるというのは結構面白いことですよね。


迷いそうな道でも親切な案内があって助かります。特に岐阜県内はこういった看板が親切だなと感じました。




13:21 東赤坂駅
駅ホームの雰囲気は近鉄の駅らしさがします。待合室の上屋とごつい架線柱の影響でしょうか?




10分ほど待てば上下列車の行き違いが見れる時間だったので休憩もかねて待機。
東急7700系と京急塗装になった近鉄600系の並びが撮れました。東急と京急が並んでいるということは実質蒲蒲線なのでは…?


13:43 赤坂宿 赤坂港会館


赤坂はかなり内陸部ですが、杭瀬川水運の川湊として栄えたようです。
また、東海道本線からもよく見える金生山の石灰石・大理石採掘も古くから有名です。
江戸時代には肥料用に石灰が、明治期は洋館建築に大理石が、近代化とともにセメントや製鉄の材料として需要があり掘り続けられた結果金生山の形は大きく変わってしまっています。




13:45 赤坂本町駅跡
ロープ式の遮断機があったであろう形状を残した西濃鉄道市橋線の踏切。
旅客扱いをしていた頃にはここに赤坂本町駅が設けられていました。

街の名前を冠した国鉄の駅が別に設けられていて、旧街道沿いに私鉄の駅を設けるときって○○本町駅ってなりがちですね。
東海道では吉原本町、藤沢本町を通ってきましたし中山道では板橋本町もそうですよね。




赤坂宿本陣跡を出て少し進むと、西濃鉄道昼飯線の廃線跡が見られます。
美濃赤坂駅からやって来た線路は一旦中山道を横切って美濃大久保駅へ、スイッチバックして昼飯駅へ向かっています。






こちらが美濃大久保駅跡。荷役用のホームが現在も綺麗に残っていますが線路は剥がされています。




この駅より先にはすぐに矢橋工業の工場群が控えています。




美濃大久保駅は中山道から少し外れた場所にありますが、昼飯線の終点昼飯駅は中山道沿いに見えます。


東海道本線の勾配緩和線、新垂井経由の下り本線。10分ほど待ってみましたが列車はやってきませんでした…


14:27 垂井追分道標
ここで中山道から大垣・名古屋方面の美濃路が分岐します。
前回は大垣から垂井追分を通って三条大橋まで漕いだのでこれにて中山道の岐阜県内区間は制覇となります。




垂井駅にて少々休憩し、帰りは概ね美濃路に沿って帰ります。


美濃路の宿場はこんな感じで、一夜城で有名な墨俣を通るのですが遠回りになることから横着して岐阜羽島経由で進むことにしました。


15:12 太平洋前バス停
やたら壮大な名前ですが、太平洋工業の工場の前という意味みたいです。


15:20 奥の細道結びの地として知られる大垣。
この写真の左側すぐに奥の細道結びの地記念館があります。


15:26 新規川
名前を付けずに保存したような変な名前の川。名前の通り江戸時代に人工的に開削されたことからこの名がついたそうです。


大垣大橋を渡って揖斐川を越えます。




次に渡る羽島大橋で長良川を越えます。ここでは東海道新幹線とかなり近い距離で並走するので歩道を走るとかなりの迫力を感じられると思います。




折角なので羽島名物のSOLAR ARKを絡めて新幹線を撮影。
綺麗に晴れた青い空と黄金色の田んぼの組み合わせがいい感じでした。




新幹線から度々見える「727cosmetics」の看板。近くで見ると結構大きいんですよね。


16:13 岐阜羽島駅
岐阜羽島への新幹線駅誘致に尽力したとされる大野伴睦夫妻像。なんか指導者様って感じの雰囲気がありますよね。


何とは言いませんが、羽島のぞみパーキング…


あとは羽島名物
こんなおいしい水があったのだろうか?
超☆海洋深層水100%マハロ

なんかも近くで見てきました。岐阜羽島って駅規模に対して変なものが多い気がするんですよね。


16:40 ホームセンターバロー羽島インター店
岐阜羽島駅からちょっとだけ離れますがせっかくここまで来たので寄るしかないと思いまして。


さばいどるのサイン入りポスターが見たかったんですよね。かほなん推してます。


旅客が多すぎて廃線となった名鉄起線で知られる起を過ぎ、この辺りからおおよそ美濃路の経路に戻ります。


何となく旧街道っぽい道を選んで走行。東海道や中山道などの五街道に比べて脇街道ってあんまり案内が無くて辿るのが大変なんですよね…


17:39 美濃路萩原宿問屋場跡
美濃路を示すものが全然なく不安ながらの走行でしたが、どうやらこの辺りは美濃路で正解だったみたいです。


並んでいる家の雰囲気が宿場っぽさありますよね。雰囲気は伝わるかと思います。




18:15 名鉄名古屋本線の国府宮駅の南側で踏切を渡ります。
国府宮神社一の鳥居と御神燈が線路沿いからも見えるこのポイント。これだけ立派なのはこの目の前の道が美濃路のため。
旧街道や脇街道から主要な神社への分かれ道に大きな鳥居を設けるというのは多賀大社の高宮大鳥居などもそんな感じでしたね。

この踏切を渡る少し手前の地点に稲葉宿がありました。
稲葉宿を抱える稲葉村と小沢村の合併によって稲沢村が誕生、これが現在の稲沢市のルーツとなっています。


18:28 稲沢付近で電車の車窓に見える三菱電機のエレベータータワー。でかい。


18:58 枇杷島駅




19:35 名古屋駅ナナちゃん人形前に返却完了。
対戦ありがとうございました。


20:10 運動後のメシがうまい!



最後に今回のルートの振り返りを。
直接旧街道・脇街道に関係のない江南への寄り道は色を薄くしています。
上街道沿いルートは以前鵜沼から帰ってくるときに通っていますからあんまり関係がないですね。
愛知県内に一切踏み入ることなく滋賀県へ抜けていく中山道とそこからのアクセスを図った脇街道のルートがザックリとわかるかと思います。


そしてこちらが現在の自転車旧五街道制覇マップ。
鵜沼~垂井を漕いだことで中山道が塩尻から三条大橋までストレスなくスムーズにつながったのが気持ちいいですね。
地図上ではまっすぐ引いたほうがいい感じに思えますがこれが十三峠やうとう峠に阻まれて結構大変だったりしたんですよねぇ…

中山道の中間地点は以前紹介した通り原野駅や道の駅日義木曽駒高原の近く。
もう中山道は半分以上制覇しているわけです。あと240kmほどということで頑張れば3日で行けそうな距離まで来ました。頑張るそ…

おわり。



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