2024年の3月よりサービスを開始したHELLOCYCLING伊勢エリア。参宮街道群の目的地である伊勢にステーションが設置されるというのは旧街道を漕ぐ者にとってかなり朗報でした。
(たしか)当日のツイートです。
話は変わりますが、2024年5月になると奈良県宇陀市の榛原駅近くにもHELLOCYCLINGステーションが設置されました。
…榛原って伊勢本街道の経由地なんですよね☺
2024年10月6日
酷暑がようやく和らいできたこの頃、時は来ました。
この日は予め伊勢に移動し前泊するだけの日にしました。
朝4時台から自転車を漕ぐとなると先に来ちゃったほうがいいですからね。
意味が分からないほどの早朝であろうと自転車を借りられるというのもシェアサイクルの強みですね。
翌朝借りる予定の宇治山田駅のHELLOCYCLINGステーションの下見にやってきました。
一番手前には他地区ではあんまり見かけないパナソニックのベロスターミニがいました。せっかくならこれに乗りたいなぁ。
宇治山田駅のステーションは駅の裏側、かつて近鉄鳥羽線開業前に宇治山田までの特急から鳥羽方面のバスに対面接続するために設けられたバス用スロープの出入口付近にあります。このスロープも趣味的には面白いものです。
この日のお宿は宇治山田駅からすぐのFLYCATINN伊勢。無人チェックインで綺麗な作りにリフォームされていますが窓枠などを見るとちょいちょい古さも見えるかなぁという感じでした。
お部屋は本当に最低限の広さでベッドとユニットバスがあるだけ、冷蔵庫は部屋になく廊下に共用のものが置かれているなどちょっとだけドミトリーに近い作りでした。
チューナーレステレビもついていて必要十分な前泊拠点。宇治山田駅目の前のかなり便利な立地でありながら一泊4,280円という安さはかなり良かったです。
翌朝4:30起床。少し前まで雨が降っていたらしく地面は濡れていますが抜けていってくれたようです。嬉しい。
先程も紹介した宇治山田駅のHELLOCYCLINGステーションでレンタル開始。伊勢本街道を大阪方面へ進みます。
ベロスターミニは電池切れでレンタルできませんでした。パナソニックのビビを榛原まで連行することになりました。
私の漕いで行く伊勢本街道と熊野街道は田丸城下で分かれます。
日光市周辺で日光街道といってもピンとこないため「東京街道」の愛称が使われている例と同じく、伊勢で伊勢街道やら伊勢本街道やらといっても伝わらないことから「初瀬(はせ)街道」という表記もよく見かけました。
初瀬というのは奈良県桜井市の地名でちょうど長谷寺のあたりのことだそうです。
5:57 人気がなく雰囲気の残る伊勢本街道の朝。
ここは外城田駅の北にある山の中。参宮線は山を避けて平坦な箇所を通りますが伊勢本街道は山の中を進んでいきます。そんなに勾配があるわけではないのですが未舗装なので部分的には手押しがいいかと思います。
ここにあるのが伏拝(ふしおがみ)坂。大阪方から遥々やって来た旅人が村人に伊勢まであとどれくらいか尋ねたところ「三里山道五里なわて」と言われ、まだ結構あるじゃないか…とこの坂で伊勢神宮を伏し拝んで引き返していったというエピソードが残るそうです。
似たようなものとして、
中山道槇ヶ根追分の近くにある伊勢神宮遥拝所を思い出しました。行きたいけど行けないからしゃーなしここでお参りしておこうっていう地であっても石碑が残っているということからも当時の伊勢神宮の影響力の大きさを感じられます。
現代の感覚で言うと未舗装の低規格な道に見えますがこれでもかつての街道、よく見ると掘割になっていて手間がかかっているのが分かります。
山間の道を抜けると伊勢本街道は多気駅の南のあたりに出ます。
大物車シキ800を用いた変圧器輸送のための専用線が多気駅から延びていることで一部に知られるダイヘンの工場の周りをぐるっと回るように進んでいきます。
相可宿は今でも街道の雰囲気を残した建物がいくつか残されていました。高札場の近くにあった道標はまつさか道、くまの道の分岐する三叉路であったそうです。
どちらも主要街道という感じではありませんが、大坂方面からだと相可からこれらの道を使って短絡したほうが便利だったことが伺えます。
そりゃ相可から栃原方面に行くのに田丸まで東進するのは遠回りです。
ここを越えるともう大きな町はないと思っていたのですが、山を越えた先に急に市街地が広がって驚きました。
マックスバリュ・ファミリーマート・コメリが揃っているので普通に栄えています、ここはかつての大石宿。今は松阪市の一部になっています。
道中にはやたらと立派な三重交通の大石バスターミナルがありました。
この規模となると国鉄が鉄道路線に準じて設けた自動車駅がルーツなのかなと調べてみたところはずれでした。
ここはかつて三重交通の運営していた軽便鉄道路線である松阪線の終点大石駅からの転用だったようです。
なるほど確かに大石の町の規模を考えると松阪までの鉄道路線が通っていたというのも頷けます。
大石を過ぎると本格的に山に挑んでいきます。景色は綺麗なんですけど勾配が大変ですね。
この先宇陀方面のメインルートとなる国道166号線は私が進む国道368号線の南側、飯高経由で高見峠へ向かい長大トンネルで越えていきます。
自動車で行く方など普通はこっちを行くんだと思います。
下仁柿の集落を避けるように整備中の国鉄368号線バイパスは進んでいきますが集落の端で途絶えており急に右折を要求されます。
なお、このバイパスは仁柿峠をでかいトンネルで貫く計画なのでそのアプローチとしてだいぶ手前から緩やかに高度を上げる構造になっているためここから旧道に戻されると稼いだ高度がリセットされます。かなしい。
仁柿峠の入口。ここから右に逸れる細いほうが国道368号線となります。
どう見てもメインルートは直進方向だろうと思いますがその直感は正しく、かつての伊勢本街道はここを直進していました。
後に自動車交通のために傾斜を緩和しつづら折りの山道を切り開いて付け足されたのが右側のルートのようです。
酷道と呼ばれる道なだけあって整備状況は正直よろしくありません。こんな道でもおにぎりの看板がついています。
これは…誰がやっているのかわからないですしいいことなのかも微妙ですがガードレールにスプレー書きで峠までの距離が書かれているのが結構助かりました。
峠のてっぺん近くに来ると櫃坂道と合流します。先程の分岐点で左に進んだのち未舗装のハイキングコースを進むとここに抜けるわけです。
こちらが原義的な伊勢本街道なので徒歩の方はこちらのほうがいいのかもしれません。
9:46 仁柿峠を制覇
酷道として知られる道ではあるものの、自転車で走る分にはこれくらいでいい気がします。
新しくトンネルで貫かれたところで自転車は旧道を通ってくださいねという例は今までいくつも通ってきたので(笹子峠など)似たような雰囲気でした。
ここは峠のてっぺんで酷道と未成道が交差するという贅沢な作りになっています。
ここの未成道は先程から何度か話に出てきている整備中のバイパス。峠を越える一番上だけなんで先に造ったんですかと疑問に思われるかもしれません。
実は峠を越えた先の津市美杉町に入った途端から高規格なバイパスが既に完成しておりこの箇所は松阪市飯南町に入ってすぐの場所だったりします。
ここにはかつて峠地区という名前で伊勢本街道の旅人のための旅籠がいくつかあったそうです。
峠を過ぎると高規格な道を下って下多気地区に至ります。
ここには道の駅美杉があるのですが全然賑わっておらずトイレと自販機を利用するのみとなりました。
私は愚かにもそのままバイパスを突っ切って奥津へ向かってしまったのですがこのあたりの旧道沿いには景観保存された多気(たげ)宿場が残されていたようです。
駅名に採用されている多気とは直接の関係はどうやらないようです。この宿場は再訪したいかもなぁ…
多気宿を過ぎると奥津宿までの間に飼坂峠という峠が控えています。ここもかつては苦労したのでしょうが今では長いトンネルでぶち抜いてくれます。
10:38 伊勢奥津駅
名松線というJR東海のローカル線の終着駅があります。なんでこんなところで終わっているんだという支線は調べてみたらかつての宿場町だったというのは意外とよくある話で先程通ってきた大石宿や東海道岡部宿まで来ていた静岡鉄道駿遠線、中山道赤坂宿の美濃赤坂線などもその例です。
山の中なのに津という文字が地名に使用されているのは不思議な話です。
草津温泉や群馬大津は当て字が由来と言われていますがこちら伊勢奥津は雲出川の川港があったことが由来だそうです。
11:15 従井ノ尻谷中央以東三重縣 国界碑
これより先奈良県に入ります。石碑が残っていることから結構昔からここが国の境であったことが分かります。
ただ、ここを過ぎても上り坂が終わりません。普通は国が変わると下り坂になって人の流れ・水の流れが変わるものなんですが…
これについて調べてみたのですが全く分かりませんでした。
奈良県のうち右側に膨らんでいる御杖村・曽爾村の2つは峠の印象で言うと三重県っていう感覚がありました。
11:50 道の駅伊勢本街道御杖
今まで漕いできた国道368号線はここから先名張へ向かい、この先の伊勢本街道榛原方面は国道369号線となります。
この三叉路の便利な立地にあるのがこの道の駅。伊勢本街道の名前が駅名に入っているのかなりいいですね。
さっき経由した美杉はなんもないタイプの道の駅ですがここは大当たりです。温泉併設です。
疲れもたまってきたので温泉に入ってきました。最高ですね。
ただ、サイクリング用に手足に締め付ける力が加わるタイツみたいなサイクリングウェアを着て暑い中漕いで来たので解放されたうえで血行が良くなると急に頭や手足に血が回ってきて急にだるさがやってきました。
いくら本格的な夏が過ぎ去ったとはいえまだまだ暑いので軽い熱中症みたいな症状はどうしても現れがちです。対策は万全していても。
温泉施設に併設の食堂で唐揚げ定食を頂きました。畳の間で足を伸ばしてお食事できるのはかなり良かったです。
くたくたに疲れた状態だったので麺類など通りやすい食事にすればよかったかなあと思ったりしました。
結構後半は満腹でしたがあとから思うとここでカロリーを補給しておいたおかげで後半戦も頑張れたなと思いました。美味しかったです。
もう動きたくないという気持ちを我慢しながら、1速でゆっくりでも確実に前に進むことにしました。正直道の駅を出てすぐが一番しんどかった気がします。
この先牛峠を越えて御杖の町へ、正連寺川に沿って曾爾村山粕宿へ進みました。
曾爾村の山粕宿。宿場の真ん中を交通量の多い国道が通らないように後年バイパス的に付け替えられているのですがかつて国道指定されていた頃のものと思われるおにぎり看板が残されていました。
この先の栂坂峠を越えるとついに宇陀市に入ります。国道369号線は長大トンネル(1,827m)でぶち抜いていくのですが歩道がなく交通量もそこそこあるためサイクリングロード「ならクル」の案内看板では旧道を行くように案内されています。
ただ、旧道に通行止めの看板があったのでしょうがなく長大トンネルを走行。残していたアシストを生かしなるべく素早く通過しちゃいます。
峠道の電動アシストって、急斜面で使うとすぐに電池が無くなってしまうだけなので本当に使うべきは緩やかな上り坂で歩道がなく交通量がそこそこある道を早く通り過ぎちゃうために使用するのが一番いいなと思います。
今までHELLOCYCLINGの自転車といえばヤマハのPASナチュラを漕ぐことが多かったものの今回の相棒はパナソニックのビビ。
手元の操作パネルはアシストの強弱の切り替えとライトのオンオフの操作のみ。速度計や走行距離の確認は一切できません。
電池残量も3段階でしか確認できないのは正直不便でした。なのでバッテリー本体のボタンを押して5段階の残量表示を確認していました。
その代わり感覚としてPASナチュラよりも電池が減らない気がしました。今までの経験から温存するすべを身につけてはいるもののそれにしても電池が残りすぎている。
おかげで栂坂峠トンネルを速やかに抜けることが出来たのは助かりました。
その先の弁財天トンネルは回避する旧道が通行止めになっていなかったので旧道へ。
宇陀市室生上田口、ここを越えると榛原駅までの約12kmは基本的に転がっていくだけです。勝利。
榛原の市街地って思ったよりも栄えていないなぁと思いながら地図を見ると駅まであとわずか。この撮影地から榛原駅までは1kmしかありません。
なんか印象と大きく異なるなぁと思っていましたが駅のすぐ近くに来ると急に大規模なニュータウンが広がっていてそういう都市構造だったのかと納得しました。
15:49 近鉄榛原駅北駐車場に到着。
電池残量は点滅状態。
MFゴーストで片桐カナタが
「早く使い切るのはNG、残すのはもっとNGです」と言っていましたがそれと同じ、タイヤマネジメントならぬバッテリーマネジメントが要求されるのがHELLOCYCLING長距離ライドなんだなと改めて思いました。
そんなわけで漕いでまいりました「伊勢本街道サイクリングその1」
この先伊勢本街道は桜井から奈良へ出て暗峠奈良街道とも呼ばれる道で生駒山地を越えて大阪に至るルートのようです。
この先の強敵暗峠ですが、実は既に漕いでおります。つまり残っているのは比較的イージーと思われる榛原~桜井~奈良と瓢箪山~大阪のみ。
これくらいならパパっと漕いで早めに完結させちゃいたいと思います。
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