1985年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart42はThe Hootersの"And We Danced"。最高位は10月26日付の第21位。年間チャートは圏外でした。
The Hootersですが、アメリカフィラデルフィア出身のロックグループ、1980年に活動を開始します。
ファーストアルバムは1983年『Amore』をリリース、アルバムからは3枚のシングルが出ましたが、いずれもヒットせず、Hot100にも入らなかったようです。アルバムも200位以内には入れませんでした。
1985年に2枚目のアルバム『Nervous Night』をリリース、このアルバムからのファーストシングル"All You Zombies"こそ、最高は50位台とTop40には入れませんでしたが多少のヒットとなり、続くシングルがこの曲"And We Danced"で、最高位21位の初めてのTop40ヒットとなりました。
"And We Danced"ですが、曲の作者はメンバーのEric BazilianとRob Hyman。プロデューサーはRick Chertoffです。Rick ChertoffはCyndi LauperやJoan Osborneのプロデューサーとして有名な方です。
The Hootersのメンバーの、Eric BazilianとRob Hymanの二人ですが、スタジオミュージシャンとしても活躍しています。Rick ChertoffがプロデュースしたCyndi Lauperの大ヒット曲 "Girls Just Want to Have Fun" や"Time After Time"、Joan Osborneの "One of Us"のバックミュージシャンとして参加していますし、他にも Jon Bon Joviのアルバムなどにも参加しています。
"And We Danced"ですが、私はこの曲の出だしが大好きです。勢いがあって、楽しい曲です。
このアルバムからは3曲のTop40ヒットが出ましたが、その後はTop40に入る曲はありませんでした、が、今でも活動を続けているようです。
The Hootersですが、アメリカフィラデルフィア出身のロックグループ、1980年に活動を開始します。
ファーストアルバムは1983年『Amore』をリリース、アルバムからは3枚のシングルが出ましたが、いずれもヒットせず、Hot100にも入らなかったようです。アルバムも200位以内には入れませんでした。
1985年に2枚目のアルバム『Nervous Night』をリリース、このアルバムからのファーストシングル"All You Zombies"こそ、最高は50位台とTop40には入れませんでしたが多少のヒットとなり、続くシングルがこの曲"And We Danced"で、最高位21位の初めてのTop40ヒットとなりました。
"And We Danced"ですが、曲の作者はメンバーのEric BazilianとRob Hyman。プロデューサーはRick Chertoffです。Rick ChertoffはCyndi LauperやJoan Osborneのプロデューサーとして有名な方です。
The Hootersのメンバーの、Eric BazilianとRob Hymanの二人ですが、スタジオミュージシャンとしても活躍しています。Rick ChertoffがプロデュースしたCyndi Lauperの大ヒット曲 "Girls Just Want to Have Fun" や"Time After Time"、Joan Osborneの "One of Us"のバックミュージシャンとして参加していますし、他にも Jon Bon Joviのアルバムなどにも参加しています。
"And We Danced"ですが、私はこの曲の出だしが大好きです。勢いがあって、楽しい曲です。
このアルバムからは3曲のTop40ヒットが出ましたが、その後はTop40に入る曲はありませんでした、が、今でも活動を続けているようです。
まだYouTubeなどで試していませんが、やはりのちのオリジナルフロイドのがやたらジーン・シモンズでしたので、ちょっと触れずにおこうかな?
だってブライアンやフーターズ、さらには大物スコルピオンズに失望などしてはいけませんからね。
シンディはまーやらかしてナンボの人だから、まいっか。
さて、安全パイさんのアニマルズ廃棄、これはやむを得ませんかね?確かに2分17分10分11分2分は私も買ったアルバム開いたときにゃ
( ゚□゚)ポカーン‼️でありました。
しかし🐷ソングはイマイチながら、🐶と🐑は今では愛してやみませんの。
特に🐶、序盤と後半の焦燥感は他を探せばヘビーメタルにしかないんじゃないか、と思えるほどにエッジオブブレードなプログレですよ!ヒリヒリもいいところです。
おまけにラストの13連発の言葉違いのリピートは圧巻であります。Who was~ひとつであれだけ気色悪さを増幅させられるとは感心であります。
もっともアルバム発売の77年でなく、75年の🔥以前に、すでに作られていてライブもやっていたようですね。
ユーガッタビークレイジー🤪という曲で、私はこちらの方が好きであります。
🐑もレイビング&ドゥルーリングという、なんかヤバそうなタイトルになっております。
だからアニマルズアルバムはホントに話題にのぼりませんが、あの🐖含めて、私は変態で良かったなー、とBELIEVEアットハートでありますです。
フーターズなのにごめんなさい。
Steel Breezですが、個人名じゃなくってグループ名なんですよね。最高位は16位でした。邦題では「カリフォルニア・ブリーズ」という訳の分からんのが付いていました。
こちらをご覧ください。→→→
https://blog.goo.ne.jp/mou-at40-billboard/e/122e589ee121f81373d61273c11757b3
10枚目というと、『Animals』でしょうか?難しいアルバムでした。
スコーピオンズにトーマスドルビー、さすがピンクフロイド、すごいアーチストが協力していますね。
一度見てみたかったです。
「ザ・ウォール」ライブ、ステージは素晴らしかったようですね。映像がないとなかなか中身は分かりにくいかもしれませんです。
Steel Breezは82年末ごろに♪You Don't Want Me Anymore♪が17位ぐらいのヒットでしたね。
83年の春休みのアメリカ旅行でSan Franciscoを歩いていてとあるライブハウスの前を通ったらSteel Breezがクレジットされていました。
軽快な曲でしたね。
wikiより
◎「インザフレッシュ」スコーピオンズ
◎「アナザ-ブリック~2」シンディ、トーマスドルビー
◎「マザー」ザ・バンド、フーターズ、シネイドオコーナー
◎「ヤングラスト」ブライアンアダムス
その他・・
ベルリンの壁崩壊にあってでしょうか?ボウイとか入って欲しかったですね。
確か80年ごろのツアーはザ・ウォール2枚組のまるまる演奏だったと聞きましたよ。
ウォーターズのはどーだったんでしょー?なんか夢が膨らむような、見ちゃダメみたいな。
フーターズはオープニングのインザフレッシュ?と本編のインザフレッシュをオーケストラルにやりそうですね?
あとパワフルなヤングラストとランライクヘルは間違いないでしょう、いわゆるやかましさ丸出しです。
Bアダムズはあえてシャウト系ではなく、マザーのボソボソが似合いそう。かすれ声に合ってますよね。
あとはクライマックスでもあるコンフォータブリーナムの後半の「痛みはまるでないのです」からを優しく熱唱して欲しいなあ。ザ・ウォールの中では最もエモーショナルですからね。
さてシンディ?ザ・ウォールに彼女が入れますかね?ん?
いや知っておりました、アナザーブリックインザウォールのパート3、これはシンディにギャーギャー言わせたらアルバムバージョンよりも過激かも知れませんね?
いや、Rウォーターズのパートは変人男みたいなので、全部シンディでもイーかも知れんですな?
しかしやっぱり上記の人選はよく分かりませんな?フーターズとウォーターズが語呂があってるからなんでしょかね?
ブヒブヒ🐽 ←ウォールノマエノアルバムデス
ええ!フーターズが「ザ・ウォール」ですか、ちょっとどころじゃあない、驚きの参加です。また他のメンバーもビックリ、ザ・バンドは良いとして、アダムス、シンディ・ローパーですか、ビックリでした。
ラヴァー・ボーイもストレートなロックで好感が持てますね。
ストレートなアメリカンロック、いつ聞いてもこの傾向の曲は飽きません。
ジョン・キャファティ、ヒューイ・ルイス、ジョン・メレンキャンプと、この頃のヒットチャートを賑わせていました。
こういう曲を聴いていると気分まで明るくなりますね。
そうだったのですか、ライブエイドになんとジョーン・バエズの次、2番手の登場ですか。それは盛り上がったでしょう。残念ながらDVDには載らなかったようですね。
「ビーバップハイスクール」のミポリンとはまた懐かしいー!泉今日子ですか。ちなみにこの漫画、私の故郷が舞台となっています。
そうそう、"Day by Day"は良い曲でした。この曲も明るくストレートな覚えやすい曲で、彼ららしい曲でした。この"Day by Day"が彼らの一番のヒットになりました。
今も頑張っているようですね。
おお!「スティールブリーズ!」、「力」が入らなきゃあならんですよ。
「Take It Easy」はどうか、とは思いますが、ストレートなロックは、この頃結構流行っていたような。ジョン・キャファティ、ヒューイ・ルイス、ジョン・メレンキャンプ、などなど、ストレートなロックはやっぱりいつ聞いても元気になります。
調べてみるとロジャー・ウォーターズの90年ベルリンコンサートにも参加しているようですね。ザ・バンド、ブライアン・アダムス、シンディ・ローパーらとザ・ウォールの曲を演奏したようです~ちょっと意外でした。
後、自分は当時ラヴァーボーイも好きで良くフーターズと聴き比べてました。ジョン・キャファティーもいいですよね!
言われてみると、J.Caffertyの楽曲と似ていますね。
83年頃はブリティッシュインヴェイションの前に、この先どうなるんだろう、と思っていましたが、84年の後半あたりから、シンプルなロック系の曲がチャートを賑わすようになりました。
The Hootersもそうですが、♪Scarecrow♪が大ヒット中のJ.Cougarはまさにシンプルなロックアルバムです。
フーターズのこの曲の背景を調べていたら、フーターズはLive AidのJFKスタジアム(米側)でオープニングのジョーン・バエズの次に出演し、この曲を大盛りあがりのなかで歌っているんですね。これがチャートインするヒットにつながったようですよ。この曲でダンスする相手が歌詞のなかで“Be-Bop Girl”と呼ばれているのですが(意味は自由奔放な女の子といったところでしょう)、どうも「ビーバップハイスクール」のミポリンを思い出してしまいます。
僕はフーターズは“Nerves Night”よりも、この次のアルバム“One Way Home”から“Satellite”とか“Johnny B”を聴いてましたね。全米チャートには上がってこなかったのが悔しかったです。
私もシンディ繋がりでフーターズ知りました。独特のサウンドに惹かれ、アルバムも結構聴きましたね。
この後の「Day By Day」が大好きでした。
今も現役だったんですね。
2発屋ではないけどストレートなロックバンドはこの85年ごろはもう少数派であったように思います。
UKならビッグカントリーが本国では頑張り続けていたような…?
曲ですが良いノリしてますよね、私は歌い出しのトコがTake It Easyの節を思い出さされるんですよね。
だからこそ売れた、とかないですかね?さすがにフーターズのはカントリーではないですが。
あと、メンバーのリーダーの人?は親日家だそうですね?別サイトで見ました。初めて買ったレコードが上を向いて歩こう、だとか。来日もしてますね。
ちょっと、ジョニーB、聞いてきまーーす。
この曲が入ったアルバム『Nervous Night』は12位まで上がったかなりのヒットでしたが、次のアルバムは空振りでした。シングルもTop40に入れませんでしたね。私も良いバンドだと注目していましたが、残念ながら次が続かなかったですね。
そうか、この曲の邦題は「朝までダンス」だったですか。日本のラジオではあまりかからなかったかなぁ。イントロからカッコ良い曲でした。
この曲がヒットしたころは、もう社会人だったですよ。
フーターズとジョンキャファティバンド、ちょっと似てました。
The Hooters思い出しました。
ちょうどこの頃シングルの上昇とともに、全米Top40でもよく取り上げられていて、湯川れい子さんもプッシュしていたと思います。
この曲の中ヒットをキッカケに次のアルバムではブレイクするかと思いましたが、そこまでのブレイクとはいかなかったようですね。
けっこう泥臭さもあって好きな曲でしたが。
最初に知ったのはやはりシンディ・ローパーからでした。
シングル「AND WE DANCED」は「朝までダンス」という日本タイトルでピアニカ等始まる前奏はやはりフーターズぽかったですね。当時日本でもFM誌に取り上げられ、曲も「DAY BY DAY」やパティー・スマイスとのデュエット「果てしなき夢」辺りも良くFMで掛かっていたのを覚えてます~当時カセットインデックスにもなっていました。
地元ではかなり人気らしいのですがアルバムも最高12位ともう少し売れて良かった気もしますね!
日本にも一度来ているようですが是非とも見たかったバンドでした。
何となくですが「朝までダンス」というタイトルはシンディと同じ湯川れい子さんが付けたぽいですね!
私の好きなこの頃でしたがイメージだと、
夜更かし昼起き午後部活の私らがフーターズかジョンキャファティバンド。
女と車と猛バイトの私の同居人みたいな浮わついたヤツらが復活したハートやスターシップ。
しかし当時先取りしていて羨ましかったのが、金持ちファミコン夕焼けニャンニャンの、独り暮らしなヤツらで、彼らはミスターミスターかペットショップボイズになるのかな?
とにかく私は外向けの明るいヤツに見られていましたが、性根は暗くインドアでコツコツと…なのでした。
よって部活から解放された翌年はフーターズのようなオラオラではなく、バイトおニャン子ドラゴンクエストのコソコソ感いっぱいでありました。
いやー、でもいろいろ楽しかったなー。
ではフーターズはまた明日、行ってきマス。