1986年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart43は、Journeyの"Girl Can't Help It"。最高位は11月1日付の1週のみの第17位。年間チャートは圏外でした。
ここのところ、私のブログへの登場は、女性ボーカルや、ロックでもバラード系が多かったので、良い曲は沢山ありましたが、いささか物足りないところもありました。そこで、今回は、気持ちの良いロック、ニール・ショーンのギターソロもカッコイイこの曲"Girl Can't Help It"です。
Journeyですが、ロックファンの方ならもちろんご存知、アメリカンロックバンドの中では、最も人気のあるバンドです。
結成は1970年代初めころ、レコードデビューは1975年、初めはアメリカン・プログレ・ハードロックハンドとして結構マニアックなインストゥルメンタルのプログレッシブロックを演奏していました。その後のジャーニーのヒット曲を聞いてから、ファーストアルバムを聞くと驚いてしまうアルバムでした。
1977年、ボーカルのスティーヴ・ペリーがバンドに参加、これを機に、ジャーニーの音楽性は劇的に変わります。1978年の4枚目のアルバム『Infinity』は、アルバムチャートで最高21位を記録するヒットとなり、シングルも、Top40は逃しますが、Hot100に入るヒットとなります。
続く5枚目のアルバム『Evolution』、このアルバムから、初のTop40ヒット"Lovin', Touchin', Squeezin'"がでます。
ジャーニーが、さらにビックグループになったのが、1981年にリリースした彼ら7枚目のアルバム『Escape』。ロックバンド「ベイビーズ」から、キーボードのジョナサン・ケインの参加がきっかけでした。
アルバムはNo.1を記録、シングルも、"Who's Crying Now"と"Open Arms"の2曲のTop5ヒットを記録する、大ヒットとなりました。こちらをご覧ください→→→
その後も、8枚目のアルバム『Frontiers』もアルバムチャート2位を記録する大ヒットを経て、1986年にリリースしたのが9枚目のアルバム『Raised on Radio』です。このアルバムからは、ファーストシングルカット曲"Be Good to Yourself"が最高位10位を記録し、今回紹介する"Girl Can't Help It"を含め、4曲がTop10に入り、アルバムも、最高位4位を記録する、これもまた大ヒットアルバムとなりました。こちらをご覧ください→→→
さて、その"Girl Can't Help It"ですが、曲の作者はメンバーのJonathan Cain、Steve Perry、Neal Schonの3人の共作。プロデュースはSteve Perryが務めています。
この曲、スティーブ・ペリーのボーカルばかりが目立つわけではなく、イントロから、ジョナサン・ケインのキーボード、ニール・ショーンのギターがすごくカッコイイ曲です。ニール・ショーンのギターソロもまた良いですねー!
このアルバム『Raised on Radio』、ホント良い曲が沢山入った名盤でした。だた、このアルバム作成途中に、ドラムスのスティーヴ・スミスもバンドを脱退、メンバーはスティーブ・ペリー、ジョナサン・ケイン、ニール・ショーンの3人だけとなってしまいました。このアルバムリリース後、残念ながらジャーニーは活動を停止、次のアルバム発表は10年後の1996年になります。
ここのところ、私のブログへの登場は、女性ボーカルや、ロックでもバラード系が多かったので、良い曲は沢山ありましたが、いささか物足りないところもありました。そこで、今回は、気持ちの良いロック、ニール・ショーンのギターソロもカッコイイこの曲"Girl Can't Help It"です。
Journeyですが、ロックファンの方ならもちろんご存知、アメリカンロックバンドの中では、最も人気のあるバンドです。
結成は1970年代初めころ、レコードデビューは1975年、初めはアメリカン・プログレ・ハードロックハンドとして結構マニアックなインストゥルメンタルのプログレッシブロックを演奏していました。その後のジャーニーのヒット曲を聞いてから、ファーストアルバムを聞くと驚いてしまうアルバムでした。
1977年、ボーカルのスティーヴ・ペリーがバンドに参加、これを機に、ジャーニーの音楽性は劇的に変わります。1978年の4枚目のアルバム『Infinity』は、アルバムチャートで最高21位を記録するヒットとなり、シングルも、Top40は逃しますが、Hot100に入るヒットとなります。
続く5枚目のアルバム『Evolution』、このアルバムから、初のTop40ヒット"Lovin', Touchin', Squeezin'"がでます。
ジャーニーが、さらにビックグループになったのが、1981年にリリースした彼ら7枚目のアルバム『Escape』。ロックバンド「ベイビーズ」から、キーボードのジョナサン・ケインの参加がきっかけでした。
アルバムはNo.1を記録、シングルも、"Who's Crying Now"と"Open Arms"の2曲のTop5ヒットを記録する、大ヒットとなりました。こちらをご覧ください→→→
その後も、8枚目のアルバム『Frontiers』もアルバムチャート2位を記録する大ヒットを経て、1986年にリリースしたのが9枚目のアルバム『Raised on Radio』です。このアルバムからは、ファーストシングルカット曲"Be Good to Yourself"が最高位10位を記録し、今回紹介する"Girl Can't Help It"を含め、4曲がTop10に入り、アルバムも、最高位4位を記録する、これもまた大ヒットアルバムとなりました。こちらをご覧ください→→→
さて、その"Girl Can't Help It"ですが、曲の作者はメンバーのJonathan Cain、Steve Perry、Neal Schonの3人の共作。プロデュースはSteve Perryが務めています。
この曲、スティーブ・ペリーのボーカルばかりが目立つわけではなく、イントロから、ジョナサン・ケインのキーボード、ニール・ショーンのギターがすごくカッコイイ曲です。ニール・ショーンのギターソロもまた良いですねー!
このアルバム『Raised on Radio』、ホント良い曲が沢山入った名盤でした。だた、このアルバム作成途中に、ドラムスのスティーヴ・スミスもバンドを脱退、メンバーはスティーブ・ペリー、ジョナサン・ケイン、ニール・ショーンの3人だけとなってしまいました。このアルバムリリース後、残念ながらジャーニーは活動を停止、次のアルバム発表は10年後の1996年になります。
ジャニーズのことはよくわかりませんが、ジャーニーは、この時、スティーヴ・ペリーとニール・ショーン、ジョナサン・ケインの3にんでアルバムを作ったので、仲良くやって欲しかったですが、なんでなんでしょうね、再開まで10年もかかるとは。長かったですね。
そうですねー、私の大学には、洋楽のチャートどころか、洋楽を聞く方のサークルもなかったです。ラジオ関東も雑音だらけで聞きにくかったですし。「全米Top40研究会」の話は聞いていましたから、うらやましかったです。
USフェスティバルはApple関係だったのですか、全然知りませんでしたが、すごいメンバーのコンサートだったのですよね。
それにしてもソイツのせいだか何だか、滝沢クンがジャニーズを去るのも野次馬としては残念だなー。
ジャーニーも仲間割れ?なんて悲しいことですな、ペリーとショーンとケインの立ち位置がイマイチ分かりませんで、ペリーとケインがショーンを煙たがっていた、という私の見解は間違いでありました。
今さらですが88年にもう一枚みたかったなあ。
Journeyを知ってよく聴いていたのは、ちょうど大学生の時期なので、彼らがビッグになって不動の地位を獲得した頃でした。
僕も大学生の頃は洋楽を聴いている友人もいましたが、バンドをやってるから聴いている人が多くて、ヒットチャートから聴いている人は少なかったですね。
全米Top40を聴いていて、よく○○大学全米Top40研究会とかが紹介されていましたが、関東の大学ばかりで残念ながら僕の大学にはそのようなサークルはなかったです。
羨ましかったですね。僕の大学にもあったら、きっと月曜日は先週のチャートの話題で持ち切りだったでしょう。
ちなみに83年のUSフェスティバルはS.ジョブスの前のAppleの代表、D.ヴォズニャックの呼びかけで開催されたと思います。
野村のヨッちゃんが金八先生というと、第1作目ですね。野村のヨッちゃんは風呂屋の息子だったでしたか。藤島ジュリーさんが出ていたんですよね、どんな役だったかは覚えていませんが。そういえば三原じゅん子先生も第1作目でしたね。
天国への階段は、残念ながら全く覚えていませんでした。
カリフォルニアのUSフェスティバルですか。フリートウッドマックで出たのか、ニックスさんソロで出たのでしょうか?83年だとソロでしょうかね。なかなかいいもの見ましたね。高校時代には洋楽ファンが周りにたくさんいましたが、社会人になったら全然いなくなりました。この頃はドライブ中には無理やり日本の歌でしたが。
いや、当時のカトー君は生活費を稼ぐために、夜遅くまでバイトに励んでいた勤労中学生だったはず。
その様子を、ゲーセン街でたまたま見つけてしまったのが松浦君。
その時流れていた音楽に関しては、気にも留めていませんでした。
そういえば、「卒業前の暴力」でのスナックZのシーンでは、店内壁にはKISSのポスターが貼ってあったはず。
さらにパート1では、野村のヨッちゃんが金八っつぁんに電話越しで、『天国への階段』を弾いていたのは、もはや語り草。
私がZEPを聞き始めたのが20歳越えてからですから、あの曲が『天国への階段』だと知ることになるのは、20年後の再放送からでした。
でも売れているアルバムはみんなからおさえて欲しい願望をもらってはおりました。
特に85年だったかシンディローパーが好きなみなさんと麻雀打っていたらたまたま83のUSヘスティバルが流れて、なぜかニックスさんのお姿が…
見惚れていたら先輩方が「これもえーのー♥️」となりまして、ベラドンナを録ってあげましたよ。
テープは向こう持ちなので、NGではないですよね?
顔と曲とヒラヒラの衣裳でファンを増やしたニックスさんはタマタマとはいえラッキーでありましたかな?
かかっていた曲は覚えておりませんけど。
皆さんが洋楽を聞き始めるきっかけ、いろいろですね。私の周りの洋楽ファンには、ビートルズファン、ハードロックファン、プログレファンなどが沢山いましたが、ビルボードヒットチャートファンは、少なかったなぁ、私ともう一人、ほぼ2人で情報交換していました。今は、このブログを始めて、私の同好の方々が意外に多いのに驚いています。これからも楽しいコメントくださいね。
そうだったのですか、ビルボードチャートの追っかけの前はやっぱりビートルズですか。私も、70年代半ばのことですが、まずは、ビージーズ、カーペンターズ、そしてビートルズを聞いてしばらくしてから、ビルボードチャートの追っかけを始めました。それから、この86年で、もう11年目だったです。
4曲目のシングル"I'll Be Alright Without You"ですが、最高位は14位まで上がりました。4枚目のシングルにして意外なヒットとなりました。それまでのジャーニーの曲とは違う、落ち着いた曲でしたね。そんなところもうけたのでしょうか。このアルバム、いろんな種類の曲が入っていましたね。
しかし3年B組キュインパチ先生ですか!81年となると、それは沖田ヒロくんですかね?川上麻衣子さんが「メツーラくぅーん!」て未成年とは思えない妙なお色気で頑張っていたヤツですな!
ライバル不良の加藤くんが入り浸っていたゲーセンで流れていたのが当時のトトの新譜の「ターンバック(曲です)」でしたが、退廃的、厭世的で当時の夜の犯罪発生場所としてターンバックのメロディがスゴく良かったですよ!
たしかgood-byeエレノアのシングルB面でした、あのアルバムでは今は一番好きかな?
よって、このアルバム全曲は聞いていないのですが、シングルだけ聞けば、『エスケイプ』や『フロンティアーズ』とは違い、かなり落ち着いた感がありますね。
これは、スティーブ・ペリーの力量の問題でしょうか。
ちなみに、後追いで聞くことになる『エスケイプ』は私が中1のころ、『フロンティアーズ』は中3のころでした。
そのころの私はといいますと、81年は『3年B組金八先生』の影響でたのきんトリオに夢中でした。
そして83年はビートルズにハマっていた時期。
そんな時期を経て、ビルボード・ヒットチャートの追っかけをやるわけですが、当然、そんな私のジャーニー関係初体験は、スティーブ・ペリーの『オー・シェリー』。
直接体験は、その2年後の『Be Good to Yourself』となるわけです。
もっとも、その5年前は、ジャーニーならぬジャニーズは知っていたわけですが。
この曲は♪Raised On Radio♪のオープニングの曲でしたね。
アルバムに勢いをつけるカッコいい曲です。
そして2曲目は♪Positive Touch♪、後半のSaxが印象的でした。
3曲目は僕がこのアルバムの中で一番好きまもしれない♪Suzanne♪です。
アルバム向けの大作はなくて、どれもシングルカットできる曲でした。
4曲目のシングル♪I'll Be Alright Without You♪を後から聴くたびにとても哀愁を帯びてて、活動停止を暗示していたのかもしれません。
そうですねー、私はhannahさんと同じ年代なので、87年は仕事もだいぶ忙しくなって、すでにチャートはだいぶ怪しですよ。この頃になると、曲名だけじゃあどんな曲かわからなかったりします、が、今はYouTubeで、どんな曲も聞けますから、懐かしく思い出しながら記事を書くのも良いものです。ジャーニーも、当時聞いたのと、今聞くのではだいぶ感じが違うですね。
自身の就職がきまり、単位もほぼオーケー、となると卒業を身近に感じてしまい、この頃の曲はこのガーキャンヘピッを筆頭になんとももの悲しい雰囲気のものが多く「こののんべんだらりが残り5ヶ月…」と一気に寂しい気持ちになったものでした。
(ヒューイとルイス、ワンちゃん、バンゴゥズを除く)
そして…もしかしてこのブログが3月に………なーんちて、そんな憂慮はないですな!
とにかく87年、私のチャート認識が一気に怪しくなりますです、そこが楽しみ。
⭐⛴️さんにはしんどい思いばかりしてもらっておりますが、まだまだお願いいたします。例えばプリン夫のイフアイワズユアガールフレンドは40に入ってなかったかも知れないんですよね?そのくらい覚えがないであります。
前2作が、特大のヒットアルバムでしたから、次のアルバムの作成は、なかなか大変だったとは思います。そんな中での、良い曲が沢山入ったアルバムでした。大仰な曲がなく、個々には小粒な曲が多かったですが、聞きやすい、それなりにカッコイイい曲が詰まったアルバムではありました。
皆さんのおっしゃるように、このアルバムは、前2作の『Escape』と『Frontiers』のような、強烈なアルバムではなかったですが、その分、長く聴いても飽きがこない、そんなアルバムだと思います。
シングルも、なんだかんだと言いながらも、4枚もTop40に入りました。超大ヒットこそありませんでしたが、良いアルバムだったと思います。
そうなんですよ、私も当時はそんなによく聴いたかというと、そうではなかったかもしれあませんが、最近になっても、時々聞きたくなる、そんな、まさに「心地よい」アルバムだと思います。
ジャーニーも、いろんな路線の対立などあったとは思いますが、解散せずに、10年後にはまたアルバムを出して、シングルもTop40入りする、さすが実力派ロックグループでした。
そうでしたね、このアルバムは、個々に良い曲が沢山入っていました。"Who's Crying Now"や"Open Arms"のような、ガツンという曲はなかったですが、その分聞きやすく、ずっと聞いてられるアルバムだとは思いました。長く親しまれれる、良いアルバムだったと思います。
ジャーニーのヒット曲というと、ドラマティックな曲が多かったですから、この曲は、サラッとカッコイイロック、といったらいいのでしょうか、聞きやすい、ロックでした。そんなところが、今になって、よく聴く曲になりました。
3年ぶりのアルバム♪Raised On Radio♪からの3rdシングル、そして2曲目の紹介です。
このアルバムは分厚い、畳みかけるような大作はなかったですが、シンプルな曲が多かったような気がします。
前作♪Fronteers♪は大げさな曲が多くて、Journeyファンでもちょっとうんざりの部分がありました。
全盛期の勢いはなくなりましたが、シングル4曲をTop20入りさせるあたりは、さすがにJourneyですね。
ところで、太ぼんさんは大学入学時に♪Separate Ways♪ですか。僕は卒業時でした。
アルバムで聴いてみると、今でこそMTVなどが発達しているけれども、あの頃はほとんどがラジオからではした。
音を聞いて想像していたを形にしたのがこのアルバムだそうです。
前作までと比べると、演奏がややおとなしくなっており、特にニール・ショーンのギターは、前作の『フロンティアーズ』並に弾きまくっているのは「トゥ・ユアセルフ」ぐらいでしょうか?
ただ曲の良さは全盛期と比べても遜色ない出来で、特にシングルカットされた「ガール・キャント・
ヘルプ・イット」や「アイル・ビー・オールライト」といった曲は非常に良い作品ですね。
もうこの頃から自分のジャーニー熱は冷めており、この曲もそれほどの感動はなかった記憶が…。
時代が商業ロックから、また違ったものを求めていたのかもしれません。
星船さんが名盤と仰られた「Raised on Radio」もあまり聴き込まなかったんですが、つい最近、改めてこのアルバムをじっくり聞いて、AOR的な仕上がりが心地いい…と感じるようになりました。
年を経て、自分の感性も変わってくるものですね。
「Raised On Radio」も発売と同時に購入して聴きましたが、スケールの大きな名曲がほしいな…というのが第一の感想でありました(^_^;) 個々は好きな曲多いんですけどね…。
先日、スティーヴ・ペリーがジャーニーの楽曲の商標登録を巡りニール・ショーンとジョナサン・ケインを提訴というニュースが。ジャーニーはコロナ禍中にレコーディングしたというニューアルバムが届けられ、来日も…?といういいニュースの中で驚きました。曲の権利関係は難しいですよね…。https://www.musiclifeclub.com/news/20220922_10.html
まさかこの曲のセレクトがあるとは!夏のスザンヌは残念でしたがこちらがそーでしたかー。
大学の入学時にセパレートウェイズ、卒業時にはアイルビーオーライウィザウチュー、ジャーニーにはホントにお世話になりましたです。余計にジーンシモンズですよ、秋だし。
ん?入学時にウインドオブチェンジ、卒業時には愛は止まらない、なグループもあったかな?デヘヘ…