三年前、南千住で芭蕉さんの像に会っていた。この年短編小説の取材で奥の細道の一句目の詠まれた地「千住大橋」付近のとある民宿へ一泊した。その小説は満足のいく出来だったが、小説賞には落ちた。
この時の紫陽花の一句は、「ホ句の墓場」と名づけたフォルダーに入れっぱなしだった。ポートフォリオ句集の為に全句棚卸しをして、日の目を見た。隣の焼鳥の句は、ふらんす堂句会で並選で、これまたホ句の墓場へ直行し、たまたま隣同士に並んでたので何となく離しがたく日の目を見た。選句ってわからんもんですね。
「ごきぶり考」
キッチンのシンクの下を掃除して、ホースの周りの穴の隙間にゴキブリスプレーをかけて、しばらくしてからごきぶりホイホイを仕掛けると、穴から逃げて来たごきぶりが早速かかる。一匹かかったやつを我慢して放置して置くと、更に数匹かかる。一匹もかからないごきぶりホイホイは結局かからない。ごきぶりは連れが居るところに行きがち。
ごきぶりも夏の季語。講談社の新日本大歳時記には「御器齧り」という傍題があり、平井照敏の新歳時記には、お椀をかぶったような姿を「御器かぶり」と呼ばれるとある。お椀を齧る姿。お椀を被る姿。どちらもイメージがわく。
「屠る」は動物を解体する時に使われがちだが、今日の一句では「皆殺しにする」の意。
黒田杏子先生もごきぶりの句をちょくちょく読んでおられた。
ごきぶりの罠組み立てて誕生日 杏子
昭和五十年の作品『句集木の椅子』より。
調べてみると、ごきぶりホイホイは昭和四十八年にアース製薬から発売されたようだ。五十年には既に日本中で愛用されていたのだろう。先生の誕生日は八月十日。この句を詠まれた当時は三十七歳。私が三十七の夏は、長女を育てながら次女を妊娠中だった。