音楽ファンなら今日の一句のフレーズに聞き覚えがあるかもしれない。アーロン・コープランド作曲『リンカーンの肖像』のナレーション、「我々は歴史を回避する事が出来ない」。
変える(change)ではなく、回避(escape)という一語に心情がこもる。我々の歴史から逃げる事は出来ない。
コープランドは、NY州ブルックリン生まれ。ユダヤ系ロシア人の家系。ピアニストで作曲家。
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私の長女夫婦が、クイーンズ大学アーロン・コープランド音楽院へ入学するまで、曲を聞いた事がなかった。ニックと結婚して益々聞くようになった。ニックはまずリンカーン大統領の演説を朗読し、次いでコープランドのナレーションを朗読し、最後に曲をかける。ニックはほぼ全て暗記している。朗読しながら涙を拭う事もある。
アーロン・コープランドその人の為に幾度かチェロを演奏した事もあるそうだ。最後に弾いたのは、九十歳のお誕生日に彼の作曲したピアノトリオを弾いた。どんな話をしたかは忘れたらしいけど、『リンカーンの肖像』がいかに素晴らしいか、ニックは熱弁を振るったに違いない。
もう一つ強烈な思い出。
911NY同時多発テロの朝、ニックはアーロン・コープランド音楽院のホールでリハーサルをしていた。マンハッタン島へ続く全ての橋は閉鎖され、戻る術は無い。どうせここに居るしか無いのなら、演奏会をやろうじゃないかと、皆が言い合ってコンサートは開演した。廊下にあるアーロン・コープランドの肖像写真が励ましてくれるように感じた。
私はその日マンハッタン島の中に居て、娘達を幼稚園や学校から連れ帰るのに走り回り、食料を確保し、アパート内の日本人家族と一緒に過ごした。ツインタワーの中の日系銀行で働いている父親や夫の帰りを皆で励まし合いながら待っていた。スーツ姿の全身を煤煙で灰色に染め、歩いて帰って来た父があり、二度と帰らぬ夫があった。当時私の娘達の父親は西海岸に出張中で、空港も駅も閉鎖、レンタカーで走って帰ると連絡が取れた。私は服を着たまま一睡もせず、服を着せたまま寝かせた幼い姉妹の寝顔を見ていた。高層ビルの窓に煤煙が流れて来た。