ミセスローゼンの上人坂日記

病人のごとセロ背負ひ行く落葉


本番前にはいろんな事が起こる。ニックの松山初コンサート直前に、チェロのペグが割れ、急きょ一色楽器さんに頼んで直して貰ったのを思い出す。今朝、突然ミコのチェロの胴にヒビが入った。一昨日から急にニューヨークが冷え込んで、夜の内に自動的に暖房がガンガン入った。急激な温度変化が原因じゃないかと思われる。A弦を弾くとbuzzzzというノイズがして、大きな音が出せない。その上ミコも喉が痛くてゾクゾクすると言う。風邪か、暖房の乾きか。明日お昼にコンサート。どうしたらいいの。とにかくミコは休ませ、私がマンハッタンの弦楽器店にチェロを運んで見てもらう。久々に会った店主が、これは駄目だ、胴表を外してヒビを埋めなくてはならない、明日までには直らない。起こってしまったものは仕方ない。代わりに最高級チェロを貸してあげよう、と言う。ええええと思うが、他にチョイスが無い。胴とネックの大きさと駒の高さと指の間隔が近い物を借りたいが、そんな小さいチェロは見つからない。やや大きな物を借りて帰り、ミコはすぐ学校で練習だ。風邪引きでも仕方ない。一日で新しいチェロに慣れなければならない。指が覚えてる感覚で弾くと音程が狂う。新しい指幅を耳と頭で覚え、新しいチェロの癖も理解しなければならない。ニックがどうだ、と電話してくる。ミコの先生もあなたならやれる、と励ましてくれる。友達が聞きに来てアドバイスをくれる。もう嫌だこんなの無理、と泣き言を言いたいだろう。舞台に上がる勇気が挫けるだろう。急がば回れ。あきらめず、根気よくやるしかない。一つ一つ音を確認している姿は、チェロと対話しているようだ。全てを問いかけ、一言一句を聴いている。こんなに真剣に初対面の人と深く語り合い、短時間に親しくなるのは不可能だ。楽器だからできること。ある意味素晴らしい体験である。明日はミコとチェロが一体となって、思い出に残るエルガーを弾いてくれると信じる。
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