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翌朝、アンドリューと肩組んで写真とって、メールアドレス交換してお別れする。カークウッド(カリフォルニア)に滑りにきたら連絡して、と言う。そんな日もまた来る。
帰りも一人旅。マイアミでトランジット。サンチアゴ空港で二十分しかなかったので、半分くらいマイアミ土産になった。山で一緒だった夫婦と一緒の飛行機。よかったねーと言いあってたが、おたがいぐっすり寝てほとんど行き来がなかった。隣に座ったのが、サンチアゴーマイアミ間は十四歳くらいの女の子(英語だめ)で、、マイアミーJFK間は十五歳くらいの男の子(英語だめ)だったので、黙ってる。オーラとチャオのみ。二人はゲームやってた。私は戦争と平和読んでた。
マイアミのイミグレーションの人は怖かった。チリでは、何しに?何日間?どこに滞在?って三つくらいですんだのが、マイアミじゃ矢継ぎ早に十個以上質問された。女スパイになった気がした。どこへ行ってた? スキーだ? イクイップメントを持ってないじゃないか? レンタルした? レンタル料はいくらかかった? (これ作ってないって、まじ聞かれた。やばかったー、ペソってすごい大金だから覚えられない、五十万ペソとかだっけなー? と相手の顔色見ながら答える。)アメリカのどこに住んでる? 一人暮らしなのか? 家族は? どんな仕事? いつアメリカに来た? グリーンカードはいつ取った? ジャパニーズでサンキューは何て言うんだ? と聞かれたのが最後の質問だが、その人の発音が非常によくないので、「スパニッシュで」と乞われたのかと勘違いして、私は(得意になって)「グラシアス」と言っちまった。その人はたちまち剣呑な顔となり、「ジャパニーズでお願いできませんかねー?」 と強い調子で言われた。焦った。
下宿に帰って来た。
大家の留牛に「ただいま」と一応挨拶したら、「お前はどこ行ってた?」と言う。お前呼ばわりすんなって。ぼけてんのか。
私「言ったでしょ? 先生と一緒にチリに行くって」
留牛「ああそうだった。楼前先生もお帰りか?」
私「まだ。先生は今朝二時にサンチアゴ空港を発って、三回乗り継ぎして……」
留牛「なんでお前先に帰った?」
私「あのね。先生は自分のマイレージを使うために、パナマ、ヒューストン……」
留牛「お前が駅に迎えに行くんだろ?」
私「そうだけど」
留牛「車が水に浸かってた。エンジンがかかるか試しといたほうがいいぞ。かからなかったら、わしの車貸してやる」
いつものように人の話は最後まで聞かないが、いつになく親切な留牛。みやげでも持ってってやるか。でも先生が「おやめなさい。くせになる」と言うかもしれないので、先生が帰るまで待つことにしよう。でもなぜ車が水に浸かってたのだろう。天井のスカンクはまた増えてるし。
写真はオーストリアチームが泊まってた宿舎。彼らってすごい。一回リフト乗ったら、後はスキーでどこまでも行く。永久スキー。
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