塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

機械化の背後にある危機

2011-09-06 01:08:57 | 日記
 過剰なまでの「円高」を克服するため、日本の製造業が続々と海外に工場を建設して
います。

 僕のスーパーの衣料品も、その多くが

 「東南アジア諸国」

 で製造されています。

 また「合理化」という名目の下で機械化が進められ、企業はコストの回収に追われていま
す。

 例えば

 「自動改札の普及」
 「インターネット・バンキング」
 「ネット通販」

 がその例ですね。

 でも、「合理化」の名目でその行き場を無くした人間は、今後どうしたらよいのでしょう
か?

 僕のように役職もなく特別な技量を持たない人間は、今後何をして報酬を得たらよいので
しょうか?

 機械化、合理化を推進したいのならば、導入後溢れるであろう人間に

 「代替案」

 を提示し、それから実行に移っても遅くはないと思うのです。

 チェルシーのような富豪がオーナーシップを抱えていても、

 「選手のサラリー見直し」
 「フロントの人員削減」

 など、終始の見直しに躍起なクラブもありますし、そのトレード下手で有名だったインテル
も下部組織の見直し、フリー・エージェントでの選手獲得など、お金に物を言わせた補強を
改めています。

 アブラモビッチがダヴィド・ルイスとフェルナンド・トーレスの2選手に大金を支払った
のは、今後

 「ファイナンシャル・フェアプレー」

 が導入されるため、「先買い」しておいたほうが賢明であると考えたためと言われていま
すが、これで彼の

 「節約」

 はご破算になってしまいました。

 機械化はどんな企業でも避けられませんし、経済摩擦は以前から危惧されていますが、今後
世界規模で起るであろう

 「人余り」

 は無視できない状況になるでしょうし、それはサッカーの世界でも同様だと思うのです。
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スタジアムという器

2011-09-06 00:58:57 | 日記
 昨日、「バカラ」のウイスキー・グラスを購入しました。

 本来バカラは僕の小遣いでは手に入らないのですが、近所の取扱店が現品を処分とい
う形でかなり値下げをしているので、思い切って購入しました。

 本物のクリスタルというものは

 「こんなに重く、威厳があるものだな。」

 と、つくづくバカラの歴史と職人技を痛感しています。

 バカラで飲んだ水割りの味は、昨日までとは違った気さえしました。

 それだけ僕が「バカラ」という老舗の品を手に入れる事ができた、満足感が高い証拠で
もあります。

 「酒を良いグラスで飲みたい。」
 「料理をもる器、箸にも気をつけたい。」

 とは誰しも考えると思いますが、なかなか実行には移せません。

 同様にサッカー・スタジアムという「器」も、建設し完成するまでには膨大な時間が
必要です。

 特に長野パルセイロのように、スタジアムを「改修」ではなく、「建設」になるであろ
うクラブは、

 「資金確保」 
 「土地の買収」

 など、解決すべき問題が山積みです。

 イタリアのような伝統国もスタジアムが自治体の所有物ということで、一向に改善される
気配がありませんし、ユナイテッドのように横に

 「メガストア」

 を隣接しても、それは彼らが世界規模でファンを持つからこそできることであり、他の
クラブが参考にできるわけではありません。

 良い選手を移籍させないためには

 「給料の保証」
 「クラブの戦力維持」

 のほかに、スタジアムの素晴らしさも含まれるはずです。

 日本の野球選手がアメリカに行きたいのは、腕試しだけでなくアメリカの球場がどこも
魅力的だからだと聞きました。

 この点はサッカーにも言えますし、今後日本でもスタジアムのあり方が更に検討される
でしょう。
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