塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーボールも進化する

2011-09-11 20:22:26 | 日記
 遠藤保仁のようなFKの名手でも、蹴ったボールが高く舞い上がってしまうことが
あります。

 僕の父はこの場面にでくわすと

 「どうしてもっと低く蹴れないんだ?」
 「あんなに浮き上がっては仕方がないよ。」

 とテレビの前で文句を言っていますが、FKを

 「フカして」

 しまうのは、選手の蹴り方、甲とボールの当たり方に問題があるのではなく、ボールの
特性にある気がします。

 昨年のワールドカップ公式球

 「ジャブラニ」

 の扱いに各国選手が苦労したように、近年ボールの品質の向上は目覚しく、それに従い
操ることも難しくなっているようです。

 本田圭佑が

 「無回転」

 の軌道でボールを蹴る事ができるのは、それだけボールが改良されてきた証拠でしょうし、
以前のボールならば、彼に限らず無回転でFKを打つ事は、大変困難だと推測します。

 僕らがサッカーの世界における

 「技術革新」

 と聞くと、衣類とスパイクをどうしても連想しがちですが、ボールだって日々進化して当然
ですよね。

 2002年のワールドカップ、ドラゴン・アッシュの

 「ファンタジスタ」

 をバックに、フィリップ・トルシエがアディダスの手がけた公式球

 「フィーバー・ノヴァ」

 のCMに登場しましたが、今後サッカーボールをアピールする機会を、各社積極的に増やして
いくと予想されます。
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パルセイロを通じて見られる風景

2011-09-11 20:13:55 | 日記
 いつものように、戸倉駅の窓口でパルセイロのチケットを買い電車に乗り込むと、その
車両には既に

 「背番号12」

 のオレンジジャージを着た男性が掛けていました。

 こんな時、僕は正直

 「恥ずかしい」

 ですね。

 周囲からすれば僕のようなサッカーファンは少数の部類ですから、どうしても周囲を気に
してしまうのです。

 その男性はサッカーの資料を読んでいたのですが、正直心の中で

 「お仲間ですね。」

 と声を掛けてみるべきか?と悩みましたが、結局僕も携帯していた新書を読むことに
して、お互い篠ノ井駅で降りました。


 篠ノ井駅からのシャトルバスには、DFの籾谷選手のサインが掲げられていて、その
サインを見るたびに

 「シャトルバスだな。」

 という思いが実感できます。

 今日の試合でも、

 「打点の高いヘディングでの守備」
 「誰よりも大きい声で仲間を鼓舞する姿」

 が群を抜いて際立っていました。監督からすれば自分から声を出せる選手がいることは、
大きな喜びだと思います。

 パルセイロの試合には年配の方からちびっ子まで、幅広い年齢層が観戦に訪れます。

 この良い意味での

 「アットホーム」

 な形は、たとえプロになっても残していきたいものですね。
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名優、名監督と選手、監督に通じる同じ道

2011-09-11 01:29:19 | 日記
 アガサ・クリスティの代表作

 「オリエント急行殺人事件」

 はシドニー・ルメット監修の下、映画化もされています。

 主人公のエルキュール・ポワロ役に指名されたのは「アルバート・フィニー」で、彼の
脇を

 「ショーン・コネリー」
 「イングリット・バーグマン」
 「ジャクリーン・ビセット」

 をはじめ多くの名優が登場します。

 僕たちは映画を観る際に、俳優、女優が有名か、無名かで判断しがちなのですが、名優
が顔を揃えたとしても

 「脚本の出来、ロケーションの場所」
 「監督の起用方法と予算」

 など、多くの課題を乗り越えない限り、良い作品は生まれません。

 このオリエント急行殺人事件は、成功例の典型的な例と言えるでしょうし、上映時間は
128分とやや

 「長め」

 ですが、時間を気にすることなく、自然に画面に吸い込まれてゆきます。

 今のバルセロナが

 「3-4-3」

 という新布陣でも機能しているのは、グアルディオラという監督の描く脚本、つまり戦術
と練習が、選手達の肌に合っていて、選手達も演技、自分が担う役割がはっきり認識できて
いる証拠だと言えます。

 ですから観ている方も、彼らのサッカーが楽しいし

 「飽きない」

 のでしょうし、次の試合も観戦したくなるというわけです。

 どんな名優、名監督にも厳しい批評しか与えられない時があるように、サッカーでも残酷な
までに打ちひしがれる時があります。

 それでも彼らがスクリーンで再び輝くまで稽古を続けるように、サッカーの世界でも選手
と監督は日々練習に取り組んでいることを、改めて痛感しています。
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