塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

昔と変わらぬ日本の尺度

2011-09-20 22:04:11 | 日記
 昔日本の記者が外国人選手と監督にインタビューをすると、大概

 「日本でプレイする気はあるか?」
 「日本でもプロ・リーグが始まった。」

 というコメントを彼らにぶつけています。

 日本中を熱狂させたJリーグが、海外ではどのように伝えられているか、やはり気に
なっていたのでしょうが、この質問、今思うと

 「ウブ」

 な感じがします。

 今ならばさすがにJ1の印象を尋ねることは無いでしょうし、皆がかつてと同じ報酬を
約束できない為に、日本でプレイすることを懇願しません。

 当時の日本はまだワールドカップを遠く、エースのカズですらヴェルディ川崎と契約
していましたから、世界との

 「尺度」

 をインタビューの中にどうしても盛り込みたかったのでしょう。

 中には

 「日本でプレイしてみたい。」

 と語る選手もいました。

 例えばイタリア代表のマッサーロがそうで、事実彼はエスパルスに在籍しましたし、先日
のJリーグOBとミランOBのチャリティ試合にも出場しましたね。

 でも当然「NO」という態度を示した選手もいます。

 むしろこの態度の方が当然と言えますね。

 例えばシンガポールやマレーシアの記者が日本の主力に

 「将来私たちのリーグでプレイする気持ちはあるか?」

 と尋ねても、選手たちはやんわり否定するでしょうし、だからこそレベルの度合いに関係
なく当時も今も日本にやって来た外国人選手には感謝したいと思います。

 今は選手が契約先を選ぶ際

 「チャンピオンズ・リーグに出場するか否か。」

 を気にする時代ですし、日本の映像は世界に配信されていませんから、選手にとって不利
な状況であることに変わりはないので。
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トラックトップにダウンジャケット、秋冬の匂い

2011-09-20 17:44:55 | 日記
 最近騒がれませんが、以前
 
 「トラックトップ」

 が話題になったときがあります。

 前がジップ式のジャージがトラックトップで、僕は2006年ごろインテルの品を
購入して、リーのコーデュロイ・ジーンズに合わせてよく着ていました。

 今は売却して手許には残っていませんが、これから肌寒くなってくるので当時は非常
に重宝しました。

 売却したのは、僕自身が以前のように

 「レプリカ・ジャージ」
 「マーキング・サービス」

 といったサッカー・ウエア全般に関心が持てなくなったためですが、サッカークラブ
の多くは冬に向けて

 「ダウン・ジャケット」
 「クラブ・マフラー」

 を発売しますから、関心のある方は旧作、新作合わせて今から調べておくことをお勧め
します。

 といいますのも、僕は身長168センチなのですが、例えばナイキのダウンですと、「S」
で丁度良いのですが、店頭では基本「M」から扱っていることが多いのです。

 そうすると通販を利用するか、もっと多くの店舗を自分で探すしかないのですが、「S」
が売り切れの場合もあるんですね。

 「XL」

 を着用している方や、それ以上の大きいサイズを探している方も、同じ悩みを抱えている
のかもしれません。

 ですのでジャージ、ダウンを探している方は、試着をして丹念に探してみると、掘り出し物
に出会えると思います。
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五輪代表がマレーシア代表を迎え撃つも

2011-09-20 17:31:27 | 日記
 明日行われる五輪代表の対マレーシア戦は、この台風の最中、予定通り行われるの
でしょうか?

 先日のワールドカップ、対北朝鮮戦も同様に台風問題で直前まで揉めましたが、今回
も台風とは、改めて今年日本に降りかかる

 「天災」

 の多さ、憂鬱さを物語っています。

 台風の進路は今後、僕の住む甲信越地方に進むようですから、九州はもはや

 「安全圏」

 なのかもしれませんが、入国するマレーシアの選手達と関係者が、無事日本を出立
できるかが気がかりですし、日本、マレーシア関係なく、観客の

 「安全」

 にも配慮しなくてはいけません。

 9月といえば小学校は運動会の時期です。

 でも僕が小学生だった25年前は、ここまで陽射しが強くはなかったはずですし、皆
スポーツ飲料ではなく水道水だけが

 「水分補給」

 の方法でした。

 確かに「日射病」に注意という勧告はあったはずですが、ここまで

 「熱中症」
 「水分補給」

 という単語が世間を賑わせたことはありませんでした。

 夏休みだってサッカーに限らず、外で遊ぶことが問題視されませんでしたが、数日前
までの陽射しの強さはとても
 
 「初秋」

 の代物ではありませんでした。

 明日の天候が気がかりですが、五輪代表の選手達には引き続き調整を続けて欲しいもの
です。
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リーボック、ロシア代表をサポートするも

2011-09-20 12:33:43 | 日記
 リーボックもナイキ同様90年代から本格的にサッカー市場に参入し、現在も契約選手
であるライアン・ギグスを筆頭に

 「ガブリエル・バティスチュータ」
 「ラウル・ゴンザレス」
 「マルティン・ダーリン」

 などと契約を交わしていました。

 また2000年代に入ってからはティエリ・アンリがナイキから契約を変更し、レッズの
鈴木もかつては契約選手でした。

 クラブレベルですと

 CSKAモスクワ、ボルトンがテクニカル・スポンサーとしてリーボックと契約してい
ますが、それでもナイキとは比較にならない小規模なものです。

 1994年のワールドカップ、この大会でナイキは出場24カ国のいずれにも、ジャー
ジの供給は行っていません。

 この時期はまだ

 「アディダス」「アンブロ」「ロット」そして「ディアドラ」

 老舗の影響力が濃かった時期で、だからこそリーボックのロシアとの契約は大きな話題
となったのです。

 しかしロシア代表の主力たちが、ロシアサッカー協会との間で

 「監督問題」
 「ボーナスを含む報酬問題」

 の諍いが起り、この大会を欠場してしまうのです。

 例えばインテルのシャリモフ、フォッジャのコリバノフはこの大会に参戦していません。

 この大会ではロシア代表のサレンコが6ゴールで得点王になりましたが、リーボック
からすれば個人よりも

 「代表」

 そのものの活躍が欲しかった大会でロシアはブラジル、カメルーン、そしてスゥエーデン
と同じB組を勝ち抜けず、予選リーグで敗退してしまいます。

 これらの見方は僕の「主観」で、穿った見方もあると思いますが、この2つの大会で
思うような成果を得られなかった事が、現在のリーボックとナイキに大きな影響があった
ことは、間違いないと考えます。

 
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リーボック、80年代と90年代の逆転劇(2)

2011-09-20 12:23:18 | 日記
 ナイキがリーボックを逆転できた背景には

 「マイケル・ジョーダンとの契約」
 「サッカー市場での成功」

 のふたつの成功が考えられます。

 ナイキがまだサッカー市場で「初心者」だった90年代、契約選手には

 「イアン・ライト」
 「ロマーリオ」
 「フランク・ライカールト」

 と既にビッグネームが並んでいましたから、ナイキ帝国の原型は既に描かれていた形に
なります。

 また前回お話したように、リーボックはバルセロナ五輪でアメリカ代表の公式スポンサー
でしたが、この五輪で最も注目を集めた

 「男子バスケット」

 で優勝したアメリカ代表、つまり「ドリームチーム」が、表彰台でリーボックのロゴを
隠す形で金メダルを受け取ったのです。

 この大会からNBAのプロが参加可能となり、文字通り

 「圧勝」

 で金メダルを勝ち取ったアメリカ。

 しかしリーボックとシューズ契約している選手はひとりもおらず、逆にジョーダンを
筆頭にナイキと個人契約を結んでいる選手は存在しました。

 つまりリーボックのロゴを見せないことで、彼らはナイキへの配慮を見せたわけですが
リーボックにとっては最も

 「美味しい場面」

 が削られてしまったのです。

 そして2年後のワールドカップ米国大会、リーボックはロシア代表をサポートすること
を発表し、世間をおおいに驚かせました。

 長年

 「冷戦」

 の間柄だった両者、そのアメリカを代表する企業が、かつての宿敵を支援するとは皆
考えにくい出来事だったのです。

 しかしこの契約もリーボックには、さほどの旨味はないものになってしまいました。
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