塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

モウリーニョが見せた「超」の付く現実主義

2011-09-21 22:54:09 | 日記
 モウリーニョのような現実主義者ならば、ガスペリーニもプレシーズンの段階で
何かしらの要求を、フロントに請求したかもしれません。

 最後まで噂にあがった

 「ロドリゴ・パラシオ」

 はジェノア時代の愛弟子ですし、ガスペリーニの戦術、方針がピッチで表現できる選手
がもっといれば、ガスペリーニも楽ができたと思います。

 もちろん愛弟子がいても、解任という結果が変わらないかもしれません。

 ただ心情的に

 「やるべきことはやった!!」

 そう自分が納得できた上での解任ならまだしも、どこかに「しこり」を残したまま
インテルを去るならば、それはやはり勿体無い出来事です。

 モウリーニョ初年度の2008-09シーズンも、彼が描く

 「4-3-3」

 の布陣が思うように機能せず、モウリーニョは

 「マンチーニの遺産」
 「結局頼りになるのはイブラだけ。」

 と批判を浴びながらも、選手が馴染んでいる4-3-1-2の布陣に修正し、スクデット
獲得という最低限の結果を残します。

 ガスペリーニも4バックの導入を示唆しましたが、モウリーニョのような思い切りは見られず
その点が首脳陣には不満だったのでしょう。

 後任監督が未定のインテル。

 このままでは旨に輝く「世界王者」の黄金の盾が、空しく見えるばかりです。
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アッリベディルチ、ガスプ!

2011-09-21 22:43:56 | 日記
 インテルが指揮官ガスペリーニと袂を分かちました。

 残留が第一目標であるノヴァラに3-1でスコアでは解任も致し方ないという見方は
できます。

 チャンピオンズ・リーグも含めて公式戦5連敗、つまり勝率が

 「000」

 ですから、ガスペリーニ自身もどこかで解任の宣告を覚悟していたかもしれません。

 しかし新シーズンのインテルの不振が、ガスペリーニの手腕にあるわけではなく、プレ
キャンプの時から

 「ボタンの掛け違い」

 は既に見受けられました。

 確かに3バックと3-4-3の導入は、ガスペリーニと選手のいずれにも大きな挑戦と
言えました。

 その戦術を遂行するための準備期間で、長友やマイコンが負傷で戦線を離脱していた、
つまり主力が監督の意図を掴む前に、戦線離脱してしまったことが大きな痛手となりま
した。

 皆さんご存知のように、インテルの首脳陣はエトーではなく

 「スナイデル」

 の売却を前提に、移籍市場で動いていました。

 3-4-3では菱形にしない限り、スナイデルの持ち味が生かせない為でしたが、エトー
がアンジに去り、スナイデルは残留。

 そしてエトーの代役、フォルランの入団は8月31日と、これでは事が巧く運ぶわけは
ありません。

 つまりガスペリーニの解任は、もしかすると避けられた代物ではないか。

 そう思えます。

 今回の解任は僕自身彼の手腕を傷つけるものでは無いと思いますし、短期間のうちに彼を
雇うクラブが現れてもおかしくないと思います。
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インテルもかつてチェルシーと同様の悩みを抱えていた

2011-09-21 02:06:20 | 日記
 トーレスとドログバの関係は、1993ー95年までのインテルのFW陣を連想
させます。

 この時期のインテルには

 デニス・ベルカンプ (オランダ代表)
 ルベン・ソサ (ウルグアイ代表)

 という2大エースが在籍していたのですが、どちらも

 「セカンド・トップ」

 に近い動きを得意とする選手であり、お互いが一向にかみ合う気配が無かったのです。

 ちなみにこの時期インテルに在籍していた「トト」スキラッチは、既にジュビロ磐田
へ移籍していた事に加え、マケドニア代表のダルコ・パンチェフが、思うようにイタリア
に馴染めず、FWの

 「駒不足」

 も懸念されていました。

 この時期のインテル首脳は、結果をだしていたソサよりも、調子の上がらないベルカンプ
を起用し続け、大きな批判を浴びました。

 恐らくそれは彼の後方に、同じくオランダ代表の

 「ヴィム・ヨンク」

 が存在したからでしょうが、実はヨンク自身も思うような結果が出せず、このオランダ・
デュオはミランの

 「オランダ・トライアングル」

 とはあべこべの形でイタリアを去ります。

 ぼくは前回トーレスを起用し続けるべきだとお話しましたが、それはマタが既にチェルシー
の水に馴染みつつある印象を受けたからです。

 同じ母国の人間の援護射撃があれば、トーレスも手ごたえをつかめる要素が増えるような
気がするのです。

 サッカーは水物ですから、インテルの例がチェルシーに符号するわけではありません。

 チェルシーのファンからすれば、大きな問題ではありますが。
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チェルシーの思惑、トーレスの今後

2011-09-21 01:58:50 | 日記
 僕はチェルシーがバレンシアからスペイン代表の「マタ」を獲得した際、

 「なるほど!そうか!」

 という印象を持ちました。

 僕はマタの獲得が、

 「チェルシーのエースはトーレス。ドログバとの決別を私たちは宣言する。」

 という意味合いを、内外に示す布石の意味があると感じたんですね。

 これはドログバの実力の問題ではなく、年齢を考慮した世代交代の意味合いと、今後見舞わ
れるであろう彼の故障への対処だったと捉えています。

 つまりトーレスの背後にマタを置く事で、トーレスのワントップで彼が相手の最終ラインとの
駆け引きで、ゴールを量産できるであろう

 「思惑」

 が、ヴィラス・ボアスにはあったのだと思います。

 嫌な見方をすれば、70億円もの資金を費やした選手を無視できるはずがなく、エースを
引き抜いて

 「骨抜き」

 になったであろうリバプールが、スアレスとキャロルが大活躍している現状を踏まえるなら
ば、チェルシーがトーレスに

 「固執」

 するのは、信条的には理解できます。

 しかしここにきてトーレスのスペインへのレンタル移籍が浮上するなど、彼の地位が安泰
でないことも事実です。

 僕はトーレスを継続して起用すべきだと思いますが、首脳陣の考えがどうなのかは、来年
1月まで待つ必要があります。
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1995年、ローヴァーズの至福の一瞬

2011-09-21 01:48:10 | 日記
 ケニー・ダルグリッシュはリバプールにとって、まさに

 「生きる伝説」

 そのものですが、その存在はブラックバーン・ローヴァーズの関係者にとっても同様
なんですね。

 ブラックバーンは1995年に待望のリーグ優勝を果たしていますが、この時指揮を
執っていたのが、何を隠そう

 「ダルグリッシュ」

 その人だったのです。

 確かに前線には

 「アラン・シアラー」

 というイングランド代表のエースFWが在籍していたことも、成功の大きな要因
だったはずです。

 (彼はこの年得点王に輝いています。加えて2トップを組むクリス・サットンとの
  相性も抜群でした。)

 しかし

 1・ファーガソン率いるユナイテッド
 2・レドナップ、マクマナマンを筆頭に上昇傾向にあったリバプール

 を差し置いて優勝できたのは、やはりダルグリッシュのおかげといって良いでしょう。

 今も昔もブラックバーンが資金に恵まれているとは言えません。

 加えてユナイテッドやリバプールでも、選手層の厚さや代表クラスの選手の在籍では、
到底かなうわけがありません。

 しかし1995年のプレミア王者は、疑いようもなく

 「ブラックバーン・ローヴァーズ」

 なのです。

 その後、シアラーは故郷のニューキャッスル、サットンはチェルシーで活躍しますが、
ブラックバーンの関係者にとって、真夏の夢は

 「1995年の夢」

 に置き換えても、差し支えは無いでしょう。

 です。
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