塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

隠ぺいという事実

2014-01-06 00:01:32 | 日記
 マルハ・ニチロの冷凍食品問題のように、何か食品に問題露呈すると僕のスーパーのように扱う企業は大きなダメージを
受けます。

 それは通常業務に

 「商品撤去と問い合わせ対応」

 がある為で、僕は衣料品の方ですから少なくとも鮮度と賞味期限に関しての問い合わせは受けたことがありません。

 今回の件でもそうですが「偽装」という声が挙げられますが、一方で人間ならば誰しも隠し事をしたいと思う時があるのも
事実です。

 偽装なら僕だってありますよ。

 1・テストでしくじった時、答案をどう隠すか考える
 2・通知表をどうやったら両親に見せなくて済むか考える
 3・自分の部屋でエロ本を隠す最適の場所はどこなのか?

 それだけ不備を詫びて同時に適切な解決策を提示するのは難しい。

 ではどうして難しいのか。

 答えは簡単で「怒られるに決まっている」からで、事実その通りになる事が多いですね。

 サッカーで言えば選手はミスをし、同時に監督もミスをします。

 恐らく選手が自分のミスを詫びることよりも、監督が選手に頭を下げる事の方が難しいですし、そこには上官としてのプライド
もありますからね。

 でも監督の手腕が正しければ2012年のユヴェントスのように、無敗で優勝できるかと言えばそんなこともないでしょう。

 中には

 「相手のシュートがことごとくバーを叩いた」
 「ブッフォンの大当たりに助けられた」
 「オフサイドの判定を見逃してもらえた」

 という外的要因だってあると思いますし、監督は時に潔く頭を下げるkとおも必要でしょうが、それで権威は失墜するでしょう
か。

 僕は権威主義ではありません。

 今の所上官、サッカー監督になることもありませんが

 「今の発言には勇気が必要だ。凄いことだよ」
 「伝えてくれてありがとう」

 というように、相手の姿勢を讃え共に解決策を探せるようになりたいとは思いますね。
コメント
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